被団協がノーベル平和賞を受賞したとの記事。
被団協は「日本原水爆被害者団体協議会」の略称。
高齢となった被爆者の代表が、力強くメッセージを発信する。
人とは何と強いものだろう。
そう思わずにはいられない反面、離れて暮らすワタクシどもは、これまで何をしてきたんだろうと考えさせられるのでございます。
武器として核は使わない。
兵器だもの、戦況により使用の判断をされることもあり得るのでしょ。
だけど一旦発射されてしまったら核の汚染被害は計り知れず。
数日や数週間じゃない。
数年…、いやいや数十年でも終わらない一生を苦しみとともに過ごさねばならんのです。
それは保持する国が意図することなのでしょうか。
風向きによっては、自国民にも被爆被害が及ぶことだって考えられるのでは無いですか。
唯一の被爆国である日本だって、被爆者救済では未だ全員が納得の行く救済を受けられていない現実。
被爆したことを自ら証明しなければならないとは…。
それでも武器は作り続けられてしまう。
それは脅しですか。
それともホントに使う気のある人のモノですか。
何かが狂ってる。
武器には武器を。
平和を求め続けたこの国にしてもしかり。
武装強化し、万全を期すのだと。
少数与党となったイシバさんは、核の傘派だから仕方がありません。
でも、常に敵がいる限り万全など無いのです。
国防がライフワークのようだけど。
外交に全力を尽くすことは無理ですか。
イシバさんのプロフィールには「雪中松柏」とありました。
志や主義を決して曲げないことの例えなのだとか。
そして「媚びず、おもねらず、妥協せず。常に県民に真摯であり、国民に誠実でありたい。」とも。
今さらだけどメモしておきますか。
媚びずは「相手から良く思われたい為に自分の主義主張を曲げて相手に合わせる事はしない。」
おもねらずは「人に気に入られようとして媚びたりへつらったりしない。」
妥協せずは「元の条件に固執し、相手に合わせる意思や譲歩するつもりがない。」
さて、吉と出るのか凶なのか。
そもそもそのモットーが今も続いているものなのか。
北の田舎人は静かに見守ります。
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