想定すること。
それは人が考える部分を指すのでしょ。
そこに差があるとしたら、真剣に思うかどうかの違いってことになりますか。
どうせ起きやしない。
確かにそうかも知れないけど。
だけど建築物を作ったからには、それが壊れることを想定するのは義務だから。
周辺に暮らす庶民にそれを担わせることなど無理に決まってる。
もし、それと同程度の感覚ならプロとしては失格かな。
原子炉等規制法では、運転期間を40年とし、その延長は20年だけと記述されているとか。
それを科学的根拠を示さずに変えてしまうのが国の力。
万が一の事故が起きた時、その延長を指示した人が責任を負ってくれるワケでも無いのに。
この国は自己責任の国。
でもそれは庶民レベルの話。
ある程度の権力さえ持てば、何不自由なく暮らせる世界が保証されているの。
それでいいと思えば現状を肯定すればいいし、変だなと思うのなら少しは考えてみてはいかがですかな。
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