タイ・バンコクの庶民の生活に迫る!

~タイの庶民の生活とは? 一歩でも近づくために~

タイ 軍事クーデターの真相

2006年09月22日 | 今日の出来事
今日はカセサート大学に用事で出かけた。
その際聞いた話。

サンティ陸軍最高司令官は本来こういう形で軍部による政治弾圧は望んでいなかった。
しかし、19日に予定されていた民主同盟(タクシン政権反対の市民連合)の集会に親タクシン派の兵士を派遣して、この集会の弾圧を図ろうとした。

親タクシン派の師団(連隊かもしれないが)は決して多くはないが、これを統括していたのが、ブリラム出身の議員ネーウィンとヨンユットである。

この二人の愛国党議員は19日に師団を結集させ、市民集会の弾圧を準備していた。
これを抑えるため当然、警察、軍の主たるメンバーが動く。

これを不穏な動き(あるいは実際に集会を鎮圧し始めたタクシン派軍とサンティ派軍が衝突する)を根拠として、タクシン首相が全土非常事態宣言をだす。

非常事態宣言を出した首相は国家の責任者として、憲法を停止し、独裁に近い形で再度選挙をして、国民の指示を取り付け、今まで反タクシンだった軍を抑えて、見事民主主義を利用した独裁政権を築く、、。

憲法裁判所から前回7月の選挙は無効とされ、現在政党解散の審理が続いているが、これも無効にできるという一挙両得の方策だ。

・・・というストーリーができていたらしい。
ソンティ司令官をこれを察知して、非常事態宣言をタクシンに出させないよう、愛国党政治家を通じて工作を行ったが、うまくいかなかったので、19日の軍事クーデターとなったというものだった。

あまりに凝ったというか、ほんとかいなという話であるが、蓋然性はある。
実際19日,21時にタクシンは軍の動きが不穏として、全土非常事態宣言を出そうとしたが、軍によってTV放送を4分で打ち切られた。

その後軍はずっとTV放映をコントロールした。

以前からタクシンは軍に不信感を持っていたし、国民のお父さんとも相容れなかった。そこから信任されている枢密顧問も軍穏健派(=ソンティ司令官)に同情的で、タクシンのやり方には気に入らなかった。

今後タクシンの不正蓄財が追及される。
ソムキット、スダーラット、チッチャイなど旧閣僚は一部身柄を拘束されている。
(写真:カセサート大学;パホーンヨーティン通りに面した門の近く)
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夜の戦勝記念塔

2006年09月22日 | 今日の出来事
戦勝記念塔に着く。時は23:40
報道で聞いていたような戦車などは出ていない。すでに深夜なのだが。
ここまで、空港から30分もかからなかったのでは、、。道はいつもよりはるかに空いている。 まだで歩いている人も多く、通路には露天も出ていた。
ポロのコピーシャツなど。騎馬の大きなマークがついているのは日本では結構探しにくいらしい。
夜景を数枚撮影して、BTSに乗って帰る。
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空港では。

2006年09月22日 | 今日の出来事
夜、9:15に上海から着く相棒を迎えにドーンムアン空港に。
飛行機は予定より早く到着。クーポン食堂を探したが、閉まっていた。

4Fで軽く食事と打ち合せ。帰りはバスで帰ることにする。まだ眠くないし。
空港の表通りは軍が固めていた。
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