たそがれおじさんのぐうたら人生(TOGZ) 

「とかち」をこよなく愛するおじさんが自転車で巡る十勝野風景を発信(晩秋の日高山脈11/8)

少々お疲れさんです

2010年11月15日 | 日記

この週末、山梨の叔母が亡くなり葬儀に行ってきました。おじさんの母親の姉で、この叔母もおじさんと同じDNAなものだから、叔母の古里の空気を届け、送ってあげたいとの思いで行ってきました。享年100歳の大往生でした。

おじさんは、10月、11月、出張やら葬儀など、人と出会うことが多く、少々お疲れさんです。人がいないと不安になるくせに、そのようなことを言っているわがままなおじさんがいます。

前にも言ったように、人間は社会的動物ということからは当然のこととはいえ、どちらかというと一人でいることが好きなおじさんですから、人がいるところでは、たぶん、すごく気を使っているのではないかと思います(なんか自分を美化しているみたいですけど)。

まず、人がいれば、人の気配を感じ、人がいるということを意識します。他者はおじさんの一人ぐらいは気にも止めていないのが普通だと思いますが、おじさん心は違います。人がいるということを前提とした表情があり、しぐさがあります。ましてや直接話をするとなったら、なんぼ語彙不足のおじさんといえども言葉にも気を使います。

というわけで、おじさんとしての普段を超える出会いがあったので、少々疲れたということです。

家族だけの生活をしているとき、よくいわれます。「お父さん、口をへの字にして怒っているみたいだ」と。自分ではすごく自然なのですが、外からはそう見えるようです。そういえば、学生時代にも同じことを言われたことがあります。何か考え事をしていて、他者のことを意識していなかったのだと思います。

ついでに言いますが、そう言った人はすべて女性です。女性って正直なんだなぁと、つくづく思います。

多くの人との出会いは、貴重で有意義であったことは当然ですが、少々疲れました。

これって、贅沢な話かも。

 

 

 


程よく、バランスよく

2010年11月11日 | 日記

おじさんは退職5年目を迎えましたが、まだ仕事をしています。たそがれてはいますが、気持ちはまだまだ老いぼれてはいない(やることはいつもトンチンカンなのですが)つもりなので、やる気はあります。が、しかし、やる気はあっても仕事がないのでは意味がありません。

そんなことで、おじさんのような者でも、あてにしてくれていると言えばおごりがあるかもしれませんが、使ってもらえることには、金銭には換えがたい喜びがありますし、感謝している次第です。

人という動物は、社会という集団の中でしか生きていけない動物なんだそうです。おじさんはよく、孤独が好きだといってはいますが、孤独が好きだからと言って、この先ずっと一人で生き続ける自信はありません。おじさんもやっぱり人です。

社会的動物である人間が、社会(周りの人と置き換えてもいいのですが)から、あなたが必要だ、もう少し言葉を変えると、あなたはなくてはならない人、かけがいのない人と言われて嬉しくないはずがないと思うのは、おじさん心だからでしょうか。いや、子どもも大人も人であればみんな同じように感じることなのではないと思うのですがどうでしょうか。

というわけで、使っていただいて仕事ができることに感謝とともにやりがいを感じています。

が、しかし、たそがれるおじさんの人生はこの先が見え始める頃となってきました。まだまだ若いと思っていたのがかん違い。おじさんの同級生も次々と亡くなっていく現実に逢うと、いやが上にも「わが人生とは」と考えてしまいます。おじさんは、与えられた人生は、生きがいのあるものでありたいと思っています。仕事がやりがいだけの人生では何か味がありません。

そこで、おじさんらしい言い訳が始まるのですが、生きがいの一つとして、仕事ができることは先に言ったとおりですが、仕事は自分勝手ではやっていけるものではありません。当然ながら社会(周り)と折り合いを付けるという制約があります。仕事だけではかたよった人生です。おじさん心の人生は、(まったくないと言うわけではありませんが)だれにも制約されない、楽しみがいが一方にある人生を送りたいと思っています。楽しみがいとは、おじさんにとっては趣味です。趣味と言えば、もちろん自転車です。

単純ですが、今のおじさんの生きがいは、仕事のやりがいと、趣味の楽しみがいです。どちらも程よく、バランスよくできれば精神衛生上好ましいと思うところです。

下の写真は、町のホールやパークゴルフ場を取り込んだ公園の一角です。この公園内には3つの施設以外はところどころに樹木があるだけの、ノッペラボウの広い広い空間公園です。おじさんはこの空間が大好きで、たまらんです。この公園の上に広がる空と雲、この風景を見る時は、時間がゆったりと流れています。

                     

 

 

 

 

 

 

 


収穫の秋、そして道々

2010年11月03日 | 日記
おじさんの菜園は、自宅から50kmほど離れたアジトと接した牧草畑の一部を開拓したものです。アジトは実家のあったところで、おじさんのDNAの古里でもあります。今日は、今年最後の収穫に向け晴天の中出発しました。
おじさんは、自転車のイベントや出張などを理由にほぼ1か月アジトに行っていません。本当に久しぶりです。この間、おじさんの奥さんは収穫準備やアジト周辺の片付けに何回か行ってくれていました。奥さんが、「○○に入ったら道々にマユミ(ニシキギ科)があっちこっちにあったよ。」と言っていたので、気にかけながら車を進めていました。本当にあっちこっちに、マユミが殻を赤く染めているのが目に飛び込んできました。奥さんと二人「マユミ街道だね。」と改めて感心していました。これまでは、ツルウメモドキ(ニシキギ科)ばかり気にしていましたが、今年は特別なような気がします。途中、車を降りて今日の晴天をバックに1枚撮りました。いつもより実の付き方が多いようです。半端じゃありません。本当にマユミなのかな。

                        

アジトに着いてから、林のほうを見ると、何か赤っぽい木がポツン、ポツンと見えてきました。牧草畑を車で横切って行ってみると、おじさんの家の林にもマユミがあることが分かりました。もどって、アジトの前の道路縁をキョロキョロしていたら、そこにもちっちゃなマユミがあるではありませんか。下は、アジトの前につつましやかにいたマユミです。

                        

菜園の収穫が目的なのですが、収穫前から道草をしているおじさんです。で、菜園の収穫ですが、今年最後の収穫は、ヤーコンと清舞(十勝ワイン原料のブドウ)です。どれもいわくつきのものです。
ヤーコンは、自宅でつくった苗がいっぱいあったので、狭い菜園に昨年より畝幅や間隔を狭くして移植した結果が下のようなイモのつきかたになってしまいました。根ばかり多くて肝心の実が育っていなかったのでした。多く植え付けたので、収穫量は昨年並みでした。
       
                         

清舞ですが、これは受粉が終わって結実が始まる直前に、山から鹿の訪問を受けてしまい、ブドウの葉をほとんど食べられてしまいました。よっぽど清舞種はおいしい葉だったのかな。葉っぱのほとんどないブドウの実がたわわなはずがありません。よって、下のようなことというわけです。同じ時期に枝豆もやられました。今日は、いい加減なブドウの剪定もしました。来年は菜園の周りは鹿よけのバリアを張る予定でいます。追 ちなみに清舞は、チビで少量収穫なので、そのまま食べました。甘みもたっぷり、おいしかったです。
               
                        
                                 
アジトでの収穫を終え、道路に出たところで、日高を遠望(写真では小さすぎてよく見えませんが)した1枚が下の写真です。おじさんが小さい頃毎日見ながら育った、いわゆる、おじさんのふるさと現風景です。今日の日高は山脈の反対側に雲が張っていて、十勝側にこぼれている状態の風景です。小さい頃は、この日高山脈が季節や天気の状態で、大きく見えたり小さく見えたことが記憶の中にあります。ここは、おじさんの心が縮まっているときによく見に来る風景なのです。ここに来ると、おじさんは元気を取り戻すことができるのです。おじさん心です。 

                        

アジトからの帰り道、深まりゆく秋の風景と雲たちを追いかけていました。裏道を通って東山公園へ向かう坂の入り口付近で、紅葉した白樺と頭巾雲(積雲などの頭部にちょこんとのっているベレー帽のような雲)が正面に姿を見せました。
              
                          

坂を登ったところで、視界も広がり、十勝平野と日高山脈を再び眺めることになりました。丘に下にはカラマツ林が紅葉をはじめていました。カラマツの葉が強い黄褐色になるころには、十勝も初冬を迎えます。

                        

ここの景色をしばし楽しみました。深まりつつある秋の自然。人には色々な感じ方があるようです。知人でおじさんより一回り年上のKさんは「秋は、木々の葉が落ち、草々が枯れていき、季節が終わり(死)、心も沈むので、あまり好きな季節ではない。」と言っています。そういえばそんなことも言えるかなと思うおじさんです。でも、おじさん心としては、どの季節も大好きです。秋は、自然の1年間を終え、年輪を作る季節です。その営みの中にもえる秋(紅葉)があります。人生そのものです。

少しの時間を過ごし、またまた目を日高山脈のほうに向けていました。「ウッ、あの雲から注ぐ光、この間、十勝が丘展望台から見た「天使のはしご」ではないか。」と思いズームアップして撮った1枚です。奥さんは「あれは、天使の滝ではないか」なんて言ってましたけど。もし、雲の付近で雨が降っていたら「降水雲」というのだそうです。

                        

道草をしながらの菜園収穫を終え、15:30帰宅となりました。