モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

無性に

2005-09-16 19:53:17 | いろんな話。

物す屋です
こんばんは

『ぐるナイゴチバトル』を観ていました

アワビはエエねえ(゜-、゜)
なんとかソースとかなんとかマリネとか
しなくてもいいからね
そのまま食べたいもんです

教育テレビの子供料理番組では
「エリンギとアワビのパスタ」なるものを作っていたよ
家庭料理として「アワビ」のパスタって
アリなんだかナシなんだか微妙だと思った(--;)

食いたいなアワビ。。。(魚介大好き)


ふだん菜食(才色ではないほう)に徹しているせいか
徹しているせいかというか
旬の野菜をたんまり御土産にいただくせいか
貧乏人はせっせこせっせこと
その食材を無駄にすることなく料理にいそしむわけです

自然に山のような自然食材メインの食卓になるわけです
(山の幸盛り)

肉を食べたら三倍の量の野菜を食べと
言われるまでもないわけです(山の幸山盛り)

ちなみに同居人の嫌いも徹底しているせいもあり
肉料理のレパートリーが日に日に少なくもなりつつあり(@Д@;

麻婆豆腐もマーボー春雨もマーボー茄子も
挽き肉より生姜ネギの分量のほうが多いくらいだし

餃子のニラ量も大したたまげたことになってるし(@_@;)

ハンバーグも玉ねぎとパン粉の量が
ハンパ無いほど多い我が家

ワタシがすき焼き嫌いなために
ここ25年以上も食卓に上らせたことないし
(小娘になんの権限があったんだか)

野菜炒めに肉を入れたのがいつの日だったのか
もう思い出せないし(野菜炒めって作らないのよねそもそも)

豚の生姜焼きとかトンカツとか
作ったあの日は家族のためじゃなかったしな...( = =)


なんで今日はこんなに肉の話ばっかりしているのかというと

そろそろ自分内の肉含量が残不足になってきたと
身体の声が聞こえてきたからです(」°ロ°)」

普段は肉を食べたいと思いもしないのですが
肉抜き日々が続くと
さすがに自分の中で

肉コールが沸き起こってきます


にーくにくにくにーくにく


「にんにくにくにくにんにくにくにくニクが好ーき♪」

とローカルCMが頭の中を駆け巡ったりします

そんなときは
無性に肉が食べたくなります

そうはいってもセレクト肉も片寄りがみられるわけで。。。

・ケンタにく骨のあたり
・焼肉やタン塩オンリー
・焼き鳥それもタンハツ砂肝ナンコツ塩風味

無性にここいらの肉が食べたくなるです・・・・・・


特にケンチキ肉の骨あたりに貪りついていると
自分「獣(け・だ・も・の)」だなって思ってしまいます


一緒に食べる人を選ばないとね。。。。。。

海へ

2005-09-16 13:24:02 | いろんな話。

物す屋です

心が荒らんでくると潤いを渇望するのか
水のあるところへ出掛けていきたくなります

疲労で心が磨耗しているときは川の流れを
心の傷を癒すときは海の波立ちを
体育座りで眺めていたくなります

川のさらさらとしたせせらぎの音は
疲れた身体と心とに潤いを染み渡らせるようです

海の潮風とさざ波は傷んだ心には
その塩気がヒリヒリと余計に沁みるようです
泣きたくても泣けないとき
海は何を言うでもなくただそこにあるだけで
ちっぽけな自分を丸ごと包み込んでくれるようです

川が私の目の前を横に移動しながら
疲れを流してくれるのとは違い
海は真正面からこちらに向かってきて
私の吐き出したものを飲み込んでくれるかのようです

寄せては返す波を見ていると
自分の澱んでいるところが少しずつ
浄化され薄まっていくようにも思えてきます

汚れを洗い流すように
心の傷も消し去ることができたら
どんなに楽だろうかと思いながら

現実はそんなに簡単なものでもなく

一度できてしまった傷が
そうやすやすと治ったり
消えて無くなったりするものでもないので

それを少しずつ薄めたり
散らしたりしながら
そんな傷を持つ自分とも
付き合っていかなければならないのです

今までも何度もそうして付き合ってきたことなのです

今まで何度もそうしてと
そう思いながらも
やはりまた自分は同じように立ち止まってしまい

もがいたりしています

目を瞑ると
以前見たそのときの海が甦ってきます

それはなぜか
空も海も青い色合いではなく
白みがかったグレーをしています

自分の中にあるもやもやしたものが
吐き出されたらきっとそんな色をしているのだろうと
そう思えるような

なんともいえない鉛色の空と海

きっと今
出掛けて見る空と海の色はまた
違う色なのでしょうが

今の自分には
青い空と青い海を
どうしても思い描くことができません

本好き

2005-09-16 08:36:36 | いろんな話。

物す屋です

「読書」はインパクトにはかけるものの
毛嫌いされもしない都合のよい趣味の一つだと思う

本が好きだといって
褒められることはあってもけなされることは無いように思う

酒が好きだ
博打が好きだ
釣りが好きだ
女が好きだ(いや自分は女は好きではないが)

と言い過ぎると嫌悪感を持たれることもあるが
「本が好きだ」といっても嫌悪されないはずだ

パパが「ちょっと出掛けてくる」といえば
明らかに怪しいが
パパが「図書館に行ってくる」と言ったなら
そんなに疑われないような気もする

日ごろ本の一冊も読みもしないようなパパなら
それはあまりにも見え透いた言い訳に聞こえるが


・・・というようなことを
自分は子供心に察していたのかもしれない
(どんなことをだと聞かないでね)

小さいころからお尻が重くて
(というと今はまるで軽やかみたいだが)
実質的な重さはともかくとして
子供のころの自分は怠け者でお尻が重い子だった

何もしていないときに手伝いを言いつけられて
すぐ尻を上げないとこっぴどく叱られたものだが
「この本を区切りのいいところまで読み終えてから」
といえばすこしは猶予がもらえていたように思う

きっと子供心に「しめしめ」とか
「うっしっし」とか思っていたような気がする


くそガキだった自分・・・


学生時代には
友達と何処かに行くといっても
いつも許してはもらえなかった
門限も厳しかったし(それは今もだったりするけれど)

何とかその厳しい監視の目をくぐりぬけるのに
ずいぶんと「図書館通い」を口実に使ってきた

実際に半分は図書館を待ち合わせに使ったり
図書館をデート場所に使ったりしていたし

きっと半分は親にもばれていたような気もするが

それはそれで可愛いものと
見て見ぬふりをしてもらっていたのかもしれない


いずれにせよ
本好きなことを免罪符に
いろんなことから逃れたりもしてきたけれど
自分の本好きは
たぶん本当のことだと思う

一日に欠かさず一冊は本を手にするのだから
「読書」を趣味といっても偽りは無いような気がする

といっても今まで数多く本を読んできても
何か残っているか覚えているかといわれると答えに詰まる

乱読・速読・積読・とりあえず読んどく

数多く読んできた自分の中に
いったい何が残っているのだろう