ADHD診断を受けた子供に待ち受ける運命
小学校2年生のA君は、落ち着きのない子供であった。春のクラス替えの頃から、A君はさらに落ち着かなくなり、授業に集中できない状況が続いた。他にもA君同様、落ち着かない生徒はいた。その子は授業中、歩き回るなどA君より問題は多かった。
学校は、文部科学省から出された『全生徒の6.5%が発達障害である』という発表を受け、該当する生徒を適切な治療に導くように担任に指示を出した。担任は、一番問題のある子どもとその次のA君の父兄を訪問し、精神科受診を勧めた(2人である理由は、40人クラスの6.5%とは2.6人であるから)。2人の両親は、A君を学校から紹介された精神科クリニックに連れて行った。医師は、担任からの報告書と両親からわずか3分ほど話を訊いただけで、A君をADHDと診断した。ちなみにこの担任は、ここ3年で7人の子供を精神科に導いたが、その7人すべてがADHDと診断された。担任が連れて行った子供で、今まで病気でないと診断された子供はいない。
A君には、コンサータが処方された。コンサータを服用した直後には劇的な効果があった。A君は集中力がまし、授業に集中することができた。しかし、その効果は長く続くことはなかった。その代りに、不眠が現れ、情緒不安定が増し、時々、叫ぶようになった。
精神科クリニックを再度受診すると、医師は「統合失調症感情障害」の疑いがあるとし処方を変えた。不眠に対応するためのフルニトラゼパムと情緒不安時としてリスパダールを処方した。その処方により、感情の爆発は抑えられるようになった。しかし今度は、朝起きられないという問題が起きた。体の不調を訴え度々学校を休まざるを得ない状況になった。医師は処方量を減らし、結果、なんとか登校は可能となった。
投薬はそれからも続き、A君は服薬を拒んだが、両親は、精神科医の服薬をやめると病気が再発するとの医師の言葉を信じ、半ば強制的に服薬を継続させた。服薬を始めて半年過ぎたころから、A君は何にも関心を示さない症状を呈した。時々、独り言を発するようになり、目の焦点もあわないような感じになった。
精神科医は、リスパダールの代わりにジプレキサやセロクエルといった薬に変更してみたが、どの薬も一長一短であり、短期的に良いと感じても、何れも効果は長続きしなかった。奇行が増え学校での友達づきあいもなくなり、結果孤立し、A君は学校に行きたがらないようになった。学校に連れて行こうとすると、暴れて、ついに不登校となった。
ある日、薬をエビリファイに変えたことをきっかけに今までで一番の感情の爆発を起こし、手を焼いた両親は入院治療を行うことを決心した。入院先の病院では、『統合失調感情障害』と診断され、新旧薬によるカクテル処方(多剤大量処方)が行われた。感情の爆発はなくなったが、独り言は増え、小股で歩き、口をもごもごさせるようになった(薬剤性パーキンソニズム)。ついに障害者認定を受け特別学級に入りなんとか学校にいくことはできるようになったが、A君の病状は統合失調症そのものとなった。2年が経過したとき、A君の身長は2つ下の妹に追い越されていることに両親は気が付いた。