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「ひきこもり新聞」

2016年11月18日 | 社会・経済

「ひきこもり新聞」創刊は心を閉ざした人々をどう変えたか?

池上正樹 [ジャーナリスト] ダイヤモンドオンライン【第268回】 2016年11月17日

  引きこもる当事者のための当事者による「ひきこもり新聞」が11月に創刊され、話題になっている。

 この新聞の特徴は、文字通りスタッフが、今も引きこもっている本人、もしくは引きこもり経験者たちで制作しているということだ。これまで支援者や家族会が発信する機関誌などはあったものの、引きこもってきた当事者たちが自らの意思により自分の言葉で発行する新聞は、初めてではないかと思う。

 「ひきこもり当事者の声にもっと耳を傾けてほしい。マスメディアが作り出すイメージや一般的な価値観で切り捨てないでほしい」

 11月1日に発行された創刊号の1面で、木村ナオヒロ編集長(32歳)は、創刊する理由をこう綴った。

 「引きこもり当事者たちを更生施設に連行するなど暴力的な支援団体を紹介する動画や、彼らをヒーローのように扱うイメージ先行の報道を問題視する斎藤環さん(精神科医)らの声明を見て、黙っていられないと思ったんです。僕もそれまで引きこもり状態にありましたが、やはり当事者自らが声を上げなければいけないのではないかって」

 木村さんは、高校を卒業するまでと大学に通っていた期間を除くと、10年あまりにわたって引きこもり状態の生活を続けてきた。大学受験に失敗したり、司法試験を勉強したりしていた間、浪人していたことが恥ずかしくて、他人に知られたくないと思い、人間関係がなくなったことがきっかけだ。

 しかし、声明が会見で発表された直後の4月下旬、木村さんは茨城県で開かれた「ひきこもり大学」というコミュニティの場で同じ当事者と知り合ったことや、6月に横浜で開かれた「ひき桜」という当事者グループの1人で、たまたま「不登校新聞」(NPO法人・全国不登校新聞社発行)のスタッフをしていた石崎森人さん(33歳=後の「ひきこもり新聞」副編集長)と出会ったことで、「不登校新聞があるのなら、ひきこもり新聞があってもいいのではないか」と思うようになったという。

「怒りのようなものが先行していました。これまで親が自分の人生を支配してきたことと、こうした強制的な支援のやり方がダブって見えたんです」

当事者たちの潜在的な思いがアイデアとなって引き出される

 8月、偶数月の第1日曜日に都内で開催されている、多様な人たちが出会うコミュニティの場である「ひきこもりフューチャーセッション『庵』」のテーブルの一角で、「『ひきこもり新聞』を出しませんか?」と呼びかけたところから、同新聞はスタートした。

 当初は、フリーテーブルのテーマの1つとして、筆者がファシリテーターに就き、アイデア会議を始めた。間もなく、興味を持った参加者がみるみる集まってきた。

「当事者の声を集める窓口が必要だ」「そもそも、ひきこもることが問題なのか?」「生きているだけでいい社会なんだと、世の中に問いかけたい」

 ファシリテーターとして見守っていた筆者も驚くほど、当事者たちの潜在的な思いがアイデアとなって、お互いのやりとりを通じで引き出されていく。その根底にあるのは、「当事者が感じることを、自分たちの言葉で発信したい」という思いだ。

 こうして同月中旬に都内で行われた第1回「ひきこもり新聞」編集会議には、十数人の当事者たちが集まった。会議では、参加者から様々な企画のアイデアが生まれてきて、議論は長時間にわたって白熱。もともと「技術的なアドバイスをしてもらえないか」と声をかけられて参加した筆者は、盛り上がる会議室の片隅で、ただ耳を傾けているだけだった。

 編集会議では、「第一人者として知られる斎藤環氏のインタビューを紙面の巻頭に」と、呼びかけ人でもある木村編集長が提案していた。ところが、参加者の中から「当事者のために当事者が発信する新聞なのだから、医師ではなく木村編集長が巻頭を飾るべきだ」「斎藤環さんは裏面でいい」「できる限り当事者の声を紹介したい」といった意見が噴出。先輩格である不登校新聞と提携して紙面づくりをしていくことなども確認され、創刊号のラインナップは決まっていった。

また、営業面でも「自治体のラックに置いてもらおう」「企業に広告をお願いするためのスタッフを設けよう」「ロゴをつくろう」といった提案から、「4コマ漫画やイラストを入れたい」という提案まで、最近まで引きこもっていた人たちのものとは思えないほど実践的な意見が出され、内容が濃いものに感じられた。

引きこもった経験はまだ見ぬ人の救いになる

 木村編集長は紙面の中で、現在、社会的に孤独な状態に陥っている人たちが、同じ経験をした人々と接するとき、引きこもった経験は無駄ではなかったことを知ることになるとして、こう思いを語る。

「どんなに失った時間が多くとも、決して絶望しないでほしい。その苦しみには必ず意味がある。その苦しみは、まだ見ぬ人の救いになる」

 紙面はタブロイド判8ページ。今後、隔月1日に発行していく予定で、次回は来年1月初旬(1日が元旦のため、休み明け)の予定だ。

 価格は当事者100円、定価500円、応援価格2000円。スタッフが関わったり出入りしたりしている当事者イベントなどで販売するほか、購読希望者は郵送でも申し込める。

 ただ、今回の2000部の印刷代は、ほとんどが持ち出しのため、スタッフは今のところボランティア状態。ゆくゆくは、交通費くらいは支給できるようにしたいという。そのため、広く寄付や広告も募っている。また、記者や委託販売者も募集している。

 紙面版とは内容的に少し違うものの、随時更新しているインターネット版もある。問い合わせ先は、eメールがhikikomorinews@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)となる。

※この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方、また、「こういうきっかけが欲しい」「こういう情報を知りたい」「こんなことを取材してほしい」といったリクエストがあれば、下記までお寄せください。

otonahiki@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)


もう一つ。
今国会成立を狙う『教育機会確保法案』(不登校対策法案)。多様な教育を受けられるようにするのではなく、不登校児を問題児扱いし、決まった学校に戻すことを狙った法案に変質してしまいました。前にも書きましたが、フリースクールやその他の学校にも目を向けてほしいものです。また、現在の学校の在り方についても多くの議論すべきものがあるでしょう。

今日は1日病院でした。ほとんど待ち時間ですが。疲れます。