「知り合い自給率100%」ならば騙されない
食の研究所2013.11.20(Wed) 菅 慎太郎
「産地」や「農法」は「おいしさ」の証しか?
1990年代前後のグルメブームに端を発し、農産物、畜産物の「産地」や「品種」はおいしい食材の「証し」として浸透してきました。
お米ならば、「魚沼産コシヒカリ」がお米のトップランナーとしての地位を確立しています。肉なら「松阪牛」。大分で水揚げされる「関サバ関アジ」なども全国区の「ブランド」として浸透しています。
これらの「名称=おいしさ」という図式が、売り場にあふれる大量の食品の中から効率よくおいしい食材を選び出す「おいしさの証し」として機能してきたことは間違いありません。
しかしお米の世界でも、北海道産の「ゆめぴりか」や熊本県の「森のくまさん」など新しい対抗馬が出現しており、「魚沼産コシヒカリ」がいつまでもトップに君臨できるか危うい状況にもなりつつあります。
変わる「仕入れ価格」、変わらない「販売価格」
私たちが食べる「食品」の価格のあらゆるものが「時価」と表示されていたら、一体どんな印象を持つでしょうか?
添え物として馴染み深い「パセリ」は夏場には3~4倍にも跳ね上がり、1年を通して価格の変動が大きいことが分かります。また、野菜サラダなどに用いられる「ミニトマト」だって、冬場はさすがに値段が上昇傾向にあります。
野菜には「旬」があり、季節によって育ちやすい環境がある。夏野菜が冬に並んだりするのは、ハウスで温める燃料費がかかっていたり、「それなりのワケ」が存在します。
けれどもこうした価格の変動幅は、「販売価格」においてはそれほど反映されることはありません。しかしそれは、生産者が泣き寝入りしたり、小売段階での内容量調整によって「見た目上の価格」が安定しているに過ぎないのです。
ホテルの謝罪相次ぐ「食品誤表示」問題
相次ぐ謝罪や発表に、消費者はもはや怒りを通り越して諦めの境地になっているかもしれません。2013年10月22日に阪急阪神ホテルズのレストランで発覚した「誤表示」問題は、1企業にとどまることなく、全国各地のホテルやレストランが「誤表示」の発表・謝罪に追われました。
安価な「バナメイエビ」を「芝エビ」と表示、既成品のジュースを「フレッシュジュース」とするなど、品目も範囲も広範に渡っています。その理由も「無知だった」「無自覚だった」と、「過失」を強調したコメントに終始しているのです。
もちろん、「法の穴」もあったことは否めません。プロが作る外食産業には、材料や産地の表示を義務付けるJAS法は適用外です。法律を「知らなかった」のか、「理解していなかった」のか、各ホテルや料亭の会見でも真相は闇のままです。
「ホテル」というブランドさえ信頼ができないのならば、消費者は一体どうやって「食を選択」していけばいいのでしょうか。
「質問」は信頼を高める鍵
愛する人や子どもに「偽物」を提供したいと思うでしょうか。友人に振る舞う食に、「エリンギ」を「松茸」として出したりすることは決してないでしょう。
人間関係とは、常に「正直」で「誠実」であることが求められます。「その人を知っている」ということは、「ズルをする」ことから遠ざけます。
ホテルにおける「誤表示」だって、そうした人との結びつきがあれば、状況は変わっていたことでしょう。
それでも、ホテルの披露宴の料理やたまたま出席したパーティーで出される料理ならば「1回限り」も多く、いつでも飲食店やレストランの方と友人知人になるわけではありません。しかし、「スタッフと会話」することはできるわけです。
「このお肉、おいしかったけど産地は?」
「この苦味のアクセントになっている野菜は?」
そうした消費者からの質問は、提供する側にじわじわプレッシャーを与えることになります。
「後からクレーム」は自分が損するだけ
「有名な産地だから間違いがない!」
果たしてそれは本当でしょうか。鮮度や保管状態が悪ければ、もちろん味だって落ちます。調理がうまくなければ、せっかくの食材も台無しです。それは「その場」で指摘できるのです。
しかし、家庭から外食産業に至るまで、「おいしさ」をめぐる会話をすることなく、無言で「個食」に走る人が増えています。
グルメサイトの評価だって「挨拶がない」「皿をドンと置いた」「会計が遅い」などオペレーションクレームばかり。肝心の「味」について評価している投稿はほんのわずか。お店に不満があるなら「その場」で話をすればいいわけで、「無言のクレイマー」は自己責任と言っても過言ではありません。
人と会話することを私たちはいつから、どれほど恐れるようになってしまったのでしょうか。料理がおいしかったら、恥じることなく「その場」で「おいしさのワケ」を聞けばいいのです。
雑誌やマンガの情報を鵜呑みにして「アタマデッカチ」になるのではなく、その場で「本能的に感じる」自分の感覚に正直に向き合うことが、自分の「おいしさ」を作り上げていきます。単なる憂さ晴らしの「無言の“嫌い”」や「匿名の“嫌だ”」はその人に何のメリットももたらしてくれません。
知り合い自給率100%のススメ
家庭の食においても、安心、安全を自ら確保する簡単な方法があります。それは「知り合い自給率100%」を目指すというものです。
つまり、生産者やお店とつながりを持つことです。スーパーが主流になる前、八百屋の店頭では、おじさんが旬の野菜についてオススメや出来具合を一言教えてくれたものです。八百屋のおじさんは消費者の顔が見えているから、「人に合わせた提案」が可能になる。「知り合う」こと、「話し合う」ことのメリットは、「コミュニケーションの煩わしさ」以上のものがあるのです。
野菜の美味しさは何で決まるのか。それは「栽培時期(旬)」「品種」「鮮度」の3要素です。(私はこれに「栽培方法」を加えたいです。)
脱サラで就農し、年間50品目の有機野菜を栽培する久松達央氏は、最近出版した『キレイゴトぬきの農業論』(新潮社)の中で、「目的としての有機農業」と「手段としての有機農業」の2つは、はっきり区別されるべき」と記しています。
有機農法をやりたいからではなく、おいしい野菜を作りたいから有機農法で作っている。生産者が美辞麗句を並べるだけでなく、正直に農法や旬について話をする。そうした生産者の情報発信を聞くことで、「生産者と消費者」との間には直接的な「信頼関係」が構築されていくのです。
だから、「購入先の知り合いを増やす」ことは、消費者が自ら安心を簡単に手に入れるための1つの方法なのです。それを100%に近づけていくだけで、自分が食べる食材の安心。安全は構築されていきます。
会食がもたらす「口福(こうふく)」
筆者は様々な場所でいつも提起しているのですが、食卓は「人が集うコミュニケーション」の場です。誰かの話に耳を傾け、共感し、驚き、感動し、学び、時に分かち合う。そうした人間らしさが詰まった場が「会食」の場なのです。
家族団欒でもいいし、友人とのパーティーやバーベキューでもかまいません。人が集い、食を介して「食べ物」を分かち合う。「食べ物」を体に取り入れ、「おいしさ」を口から表現する。「口福(こうふく)」の場面がもっともっと増えてくれたら、コミュニケーションが増えること間違いなし。世知辛いと言われる世の中の人間関係だって、ガラリと変える力を持っていると思うのです。
「アタマ」ではなく「ココロ」に響く食卓を、もっと多くの人と分かち合ってほしいと願うばかりです。「おかわり!」だって立派なコミュニケーションです。
ちょっと古い記事でしたが、私の思うところと共通している点があったので掲載させていただきました。