里の家ファーム

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言葉のマナー

2018年06月04日 | なんだかんだ。

Twitterの140字で言い争う人たちへ。日本の「短歌」から学ぶべき“言葉のマナー”がある。

【カリスマホストの裏読書術 #11】俵万智『サラダ記念日』

ハフポスト 南 麻理江 2018年06月03日

 Twitterでは、よく言い争いが起きる。

 たった140字なのに、色々な解釈が生まれ、誰かを怒らせたり、誤解させたりする。

 「言葉って本来は、いい加減なもの。十人十色の解釈があって当たり前。あまり厳密に考えず、もう少しゆるく付き合っていくべきです」。

 そう語るのは歌舞伎町のカリスマホスト、手塚マキさん。お店に来たお客さんに楽しんでもらうため、「言葉の力」を磨いてきた。最近のホストはTwitterやInstagramなどSNSで発信する文章が、人気に直結するし、お客さんとのLINEのやり取りも、一言一句考えて送る。

 ホスト歴20年の経験があるからこそ分かる、その難しさ。Twitterが世の中に出てくる、ずっとずっと前からある「短歌」を題材に、手塚さんに「言葉との付き合い方」について語ってもらった。

 サラダ記念日で「シャンパン記念日」を思い出す

 今回の書評では、俵万智さんの歌集「サラダ記念日(河出文庫)」をとりあげます。30年以上前の1987年に刊行されたときは、大きな反響を呼んだそうですね。

 たとえば次のような歌。

 「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

 小難しい言い回しがなく、「カンチューハイ(缶酎ハイ)」という日常的な言葉を使った31文字は、若者を含めてたくさんの人の心を掴みました。近寄りがたい「短歌」が一気に身近なものになり、単行本や文庫あわせて300万部近くの売り上げを記録しました。

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 こちらが本のタイトルにもなった代表作ですね。恋人との何気ない日常の思い出がうまく切り取られている。

 僕の友人に聞いてみると、この歌で「ゲイのカップルが食卓を囲む漫画を思い出した」という人もいましたし、「これって母親と息子の話なんじゃない?」という人もいました。

 ちなみに職業柄でしょうか、僕は20代バリバリ現役ホストをしていた頃の、甘酸っぱい気持ちを思い出しました。

 ホストはお客様との間に起きる小さな出来事を大事にします。「今日は君と初めてあった日だよね」「今日は初めてシャンパンを入れてくれたシャンパン記念日だね」。

 俵さんがホストを想定していたとは思えませんが、「記念日」と聞くと、ホストとお客さんの間を行き交う優しいセリフを想像してしまう(笑)。

 短いからこそ、解釈は無限?

 みんなが知っている簡単な言葉で、たった31文字でストレートに表現している俵さんの歌でさえも、こんなにたくさんの解釈がある。状況や気分によって、感じ方は千差万別です。

 スパゲティの最後の一本食べようとしているあなた見ている私

 僕の友人は冷めきった嫌味な中年夫婦を想像したみたいです。「さっさと食えよ」という妻の冷たい視線でしょうか。男性と女性の家事分担にまで話が及びました。

 一方、僕は最初に読んだ時、ドキドキしました。おそらく初デートであろう、青春の緊張感。目の前に座っている人は、最後に残ってしまった1本のスパゲティの食べ方に悩んでいる。1本だけ丁寧に食べるのは難しい。目を背けてあげるのが優しさなのか。つい想像してしまいます。

 何してる?ねぇ今何を思ってる?問いだけがある恋は亡骸

 ヤバいです、これ。売れないホストのむなしさの歌ですよ。LINEをお客さんに送っても既読にすらならずに、消えていく。フラれるのに慣れるのが仕事なんですけど。切なくなります。

 土を投げる「迷惑な女性」問題

 話は変わりますが、先日、自宅でテレビを見ていた時に、近隣住民に迷惑行為をしている女性のニュースが報じられていました。

 自宅の下を通りがかる人たちに、ベランダから土を投げつけるというのです。

 その時、コメンテーターが「あの土、柔らかそうでしたね」と言ったんです。番組はそのまま流れていってしまったけど、僕はその発言がめちゃくちゃ面白いなと思いました。

 「土が柔らかかったということは、ベランダでちゃんと手入れをしている植物の鉢の土なのかな?そんな大事な土を投げるなんてよっぽど怒っていたんだな」。

 僕の中に少しだけ、女性への関心が生まれてきました。

 普通に考えれば、近所づきあいの難しさを浮き彫りにするニュースだと思うのですが、土の柔らかさに気持ちがいってしまう僕もいる。そして「土を投げる女性」の人生を想像してしまう。

 もっと優しい世界へ

 人間って脳内でいつもこんな風に、連想ゲームをしているものなんだと思います。

 だからたった140字のTwitterでも、「あーだ」「こーだ」と色々な議論が起きてしまうんでしょうね。

 100人がツイートを読めば、100通りの読み方と同時に、100通りに枝分かれした連想の世界が広がっている。

 そういう前提に立てば、もう少しゆるく、軽やかに言葉と接するべきだと思いますよね。

そもそも「言葉遊び」はチーム戦。たった31文字でさえも...。

 そもそも短歌って、誰か一人のアーティストが生み出すものではなく、歌をつくる人、批評をする人、読みあげる人など、グループで魅力を磨き上げていく芸術なんだと思います。

 小林恭二さんの「短歌パラダイス」(岩波新書)という本に詳しいですが、短歌の優劣を競う伝統的な遊び「歌合」では、解釈の違いを複数の人で楽しみながら、ひとつの短歌を複合的な芸術に仕上げていく。

太古の昔から日本人は、たった31文字ですら、1人ではなく、複数で解釈を「完成」させてきたんです。言葉に、唯一の正しい意味なんて、本当はないことが分かっていたのでしょう。

 もちろん時にはニュースや災害情報を伝え、正確性が大切にもなるTwitterと、芸術作品の短歌は単純に比べられません。でも、本来Twitterは「つぶやき」のはず。もう少し距離感を持って、つきあえたらな、と感じています。

自分の気持ちと、他人の考えが同じはずはない。そういう前提に立って、言葉の豊かさと、いい加減さに寛容であって欲しいなと思います。気楽に、面白がるくらいのスタンスで。

 最後に好きな一首を。

 会うまでの時間たっぷり浴びたくて各駅停車で新宿に行く。

 もう心がワサワサして居ても立っても居られない!そんな時間を体感したいから電車にのります!行き先は新宿!——言葉って、うまく付き合っていけば、気持ちをアゲてくれる。そのパワーも魅力なんです。


今季初めての夏日ではなかったでしょうか。
藤の花も咲いています。何も手入れをしていないので、高い木にまとわりついています。太くなった幹がまとわりついている樹を締め付けついには枯らしてしまいます。棚をつくればいいのでしょうが…

ところで、この木に咲いた花の名前、ご存知の方教えてください。