里の家ファーム

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本気になって、ごみの減量を!

2019年02月22日 | 社会・経済

名古屋ごみ減量 干潟に教えられたこと

東京新聞 社説 2019222

 名古屋市のごみ非常事態宣言から二十年。市と市民が危機感を共有し、短期間で大減量を成し遂げた。その過程を振り返り、鳥の目で未来を展望しよう。持続可能な社会を築くヒントが見えてくる。

 二十世紀末、家庭から出るごみは増え続け、名古屋市のごみ処理量は年百万トンを超えていた。

 逼迫(ひっぱく)する埋め立て処分場。市は新しい処分場の予定地として、伊勢湾最奥部にある名古屋港西一区に白羽の矢を立てていた。

 候補地は藤前干潟と呼ばれる、伊勢湾に残る最後の大規模干潟、渡り鳥が羽を休める国内最大級の飛来地だ。それをごみで埋め立てるとは-。ここへ来て“炎上”し、海外からも批判が舞い込んだ。

 一九九九年一月、市は埋め立てを断念し、野鳥の楽園は守られた。だが、ごみはどうする-。当時の松原武久市長が、それを市民に問うたのが、二月のごみ非常事態宣言だった。「二年で二割、二十万トンのごみ減量を」-。市長が直接、呼びかけた。

 連日の報道で、市民は知った。ごみは「私たち自身が出している」。そのごみは「決して消えてはなくならない」。ならば「減らすしかないではないか」-。

 市民の多くが「非常事態」を“わが事”と受け止めた。干潟が教えてくれたのだ。

 市は速やかに排出ルールを見直した。びん・缶分別収集を全市に拡大、指定袋制を導入、プラスチック容器の分別収集開始…。延べ約二千三百回の住民説明会を開催し、市民の理解を深めていった。

 二年後、名古屋市民は市のごみ処理量を23%、埋め立て量を47%、減らすことができていた。

 温室効果ガスが地上を覆い、廃プラスチックが大海を埋め尽くす勢いの今だからこそ、振り返って考えたい。名古屋はなぜ、他の大都市から「不可能」と言われたごみ減量に成功したか-。「『鳥か人間か』ではなく、『鳥も人間も』生き残るための選択だった」-。藤前干潟を守る会の代表だった辻淳夫さんのつぶやきを思い出す。

 “藤前干潟の教え”には、地球規模の課題を解決するために、自治体レベルで共有できるヒントが、隠れてはいないだろうか。

 メディアが課題を見える化し、行政が仕組みを作り、市民が“私にできること”をした-。ナゴヤの成功体験は、例えば国連が進めるSDGs(持続可能な開発目標)にも、応用できるはずだから。


 わずか2年という短期間にこれだけの成果が得られたことは、すべての地域でも見習う必要があるだろう。すでに「大量生産、大量消費」の時代は終わったのだ。分別回収とリサイクルの徹底が求められている。「温暖化対策」も待ったなしなのだ。