技能実習生 人権守れぬなら廃止に
東京新聞社説2019年1月30日
法令に反(はん)した大手企業が外国人技能実習生の計画認定を取り消された。自殺や過労死などの悲劇も相次ぐ。新在留資格が四月から始まる。もはや劣悪な環境下に若者を置く制度は不要であるはずだ。
三菱自動車は愛知県内の工場で、溶接作業を学ばせるはずの実習生に部品の組み立てをさせていた。実習計画とは異なるので、技能実習適正化法に基づき、同認定を取り消された。
パナソニックは富山県内の工場で社員が過労自殺を起こした。違法な時間外労働とされ、労働基準法違反の罰金刑が確定した。労働法令に反した企業は実習生の受け入れができないため、やはり同適正化法により取り消しとなった。
日本の大手企業がこんなペナルティーを科されるのは異例だが、各地の実習生の労働環境が過酷であるのはもはや常識である。何度も失踪事件は起きているし、二〇一〇年から一七年の間に実習中の事故や自殺、病気で計百七十四人が死亡している。
金属切断機に頭を挟まれたり、漁船が転覆して海に投げ出されたり…。心筋梗塞や心臓性突然死など過労を疑わせる事例もある。中国やベトナムなどから来た若者たちが溺死や凍死、自殺するとは、過酷な環境下で労働を強いられている証左であろう。
少なくとも本来の技術を身に付ける実習ではなく、単純労働者として酷使されているのが現状であろう。しかも、最低賃金以下の報酬しか渡さずに…。
四月導入の新制度で「特定技能1号」の在留資格には、初年度に受け入れる最大約四万八千人のうち、55~59%を実習生から移行させる予定という。農業などではほぼ100%が実習生からの移行とみられている。
実習生がブローカーに多額の借金を背負って来日するのも、返済する見通しがあってだ。つまりは国際貢献の名目下で単純労働をしている。新制度では外国人の単純労働者を受け入れるから、現実的には実習制度存続の意味は見いだしがたくなろう。
とくに労働の最中に命を落とすのは異常だ。人として扱われていないとの疑念さえ湧く。少子化で人手不足というが、日本人がやらなくなった業務を外国人の実習生が負ったりする。
人権が守られぬ世界にアジアの若者を放り込むのは犯罪的ですらある。政府は外国人の労働者政策を練り直してほしい。
*************
【公式】闇に葬られたタコ部屋労働
タコ部屋とは?現代にもしっかり存在します【体験者が語る】
現在ではタコ部屋というような言葉を使ったり聞くことすらあまりないと思います。
「タコ部屋」の語源をたどると、元々は遡る事明治時代の北海道の開拓時代の労働者を一部屋に詰め込んで生活していたもののようです。
そんな現在ではあまり聞く事や、経験することのない「タコ部屋生活」を20数年前に筆者はお金に困り体験することになったのです。
ヤミ金の利用からすべてが始まった
当時日雇い労働者として現場仕事をしていた仲間の紹介でお金を借りたところが今でいう闇金でした。
借り入れした金額は5万でしたが利息が当時はトイチ(10日で1割)で最初は仕事の日銭で何とか利息分くらいは、払っていけました。
しかし、現場で怪我をして仕事ができなくなり返済が遅れ更に返済自体もできなくってきて、当時は闇金法や暴対法と言った法律の整備がありません。
今ではあまり言われない事ですが当時の返済できない時の代名詞が「マグロ漁船」か「臓器売買」女性は「風俗店」と決まり文句でした。
筆者の場合は一ヶ月の返済の遅れで「タコ部屋」行きとなり、強制労働で借入金の返済に充てると借りた闇金から身の回りの物整理する時間半日を監視つきでまとめさせられて、車に連れ込まれてこれから始まるタコ部屋生活の場所へ連れていかれる事になりました。
タコ部屋は現在でも存在する?
他の地域でもあるように聞いていますが、実態は明確ではありません。しかし筆者の住むこの地区(大阪の西成)は昔と変わらずタコ部屋に送られ返済させられる人は存在しているようです。
ただ実際は返済の為だけのタコ部屋生活ではなく「寮」という事で人を集め送り込む手配師の存在があります。そんな手配師が活動できる状況があるのは、この町だからできるのです。
この町の特徴でもある路上生活者、その日暮らしの労働者、手配師等は筆者が連れていかれた頃と周辺環境はおよそ20年以上もたった現在でも状況の変化はないように思われます。
ただ筆者の当時の頃ように借金返済ができない時の定番とも言われていた強制労働や監禁状態等は様々な個人を守る法整備や闇金に対しての法律の強化で時代の違いを感じます。
現在この地区でのタコ部屋に送り込まれる対象者は2通りあります。
一つは昔と変わらず闇金からの借り入れに対しての返済できない場合と求人条件のひとつとして「寮完備・食事つき」等を求人として集めます。先月一人の手配師ともいえる人に友人を介して話を聞くことができました。
「人は集まりますか」「全然問題ないよ」「1つの現場に5人程度送るのに倍くらいは来るよ」とこの地区では仕事=お金の必要な人や住所不定で住める所を探している人材を探すのには困らなくらいの環境にあるそうです。
手配師も集める苦労よりこの地区にいる人達は様々な過去がある人が多いので、手配師の一言「どんなおっさんか見極めるのが大変や」と「前に比べると路上生活者や住むところに困っているおっさんが少なくなって来ているよ」とつぶやいていました。
こんな状況の変化も昔と違う点とも言える事で、行政が生活保護を支給する事や色々な行政での救済措置ができ、手配師に世話になる人は筆者の頃に比べて内容も、数もかなりの変化がみられます。
そんな連中を手配師が集める方法としては早朝にワゴン車のフロントに次のような求人広告を出します。
1.日給 9,000円
2.期間 1ヶ月~
3.仕事 砕石場
4.寮・3食食事つき
この広告をみて手荷物はカバン1つくらいで現場へ運ばれ大半は給与の違いで戻ってくるそうです。
1日9,000円という事が実際に支払われるのが、2,000円程度で理由は寮費(実際はタコ部屋)・食費・管理費等の名目で引かれて支給され異議を申し立てると「辞めてもいいぜ、その代わり送る車代はもらうぜ」等で本人には重労働してもお金が残らないようになっている仕組みは昔と変わらないようです。
タコ部屋の生活スタイル
筆者の頃のタコ部屋生活はそれは悲惨という言葉しか思い出せません。現在はゴルフ場や新興住宅地になっていますが20数年前は山間部で7月だったと思います。
夏の暑さが肌に痛いくらいに感じていた頃に冷房もない簡素な建物の現場の一角に住居と言えるような物ではない所へ連れていかれ20人くらいの同じような環境で連れてこられた色々な「おっさんの集団」が1人一畳くらいのスペースにまるで満員電車の中のような状態で生活を始める事になりました。仕事は朝8時から夕方日が沈むころまでやらされたような記憶があり、労働時間や法的労働条件などが通用する所ではありません。
常に組長と呼ばれている総責任者の下に班長と言われる我々を管理・監視する役目に担当者が目を光らせている事だけは記憶からリセットできないくらいによく覚えています。
3度の食事の後に30分くらいの休憩があるくらいで中には、暑さと、疲労、脱水症状等で倒れても寝かせられるだけで、何ら治療もなく労働者の中での話では「この現場の山中に何人が埋められている事やろ」等の会話を耳にすることさえありました。
こんな過酷な仕事をしても返済がどのように減っているかなどわからず、周りを見ていると組長と言われる責任者が突然「明日大阪に戻ってもいいぜ」と言われ、ある程度の現金を渡され開放されるか半分くらい命がけで脱走するかしかここから抜ける方法はなかったようで筆者は最終的に連れてこられてから20日くらいで逃げる事になりました。
地元の電車の駅まで行くには徒歩では不可能な山間部で連れてこられた時から逃げ出すことを考えて、まるで「脱走物の」映画のようでと言えるのは今だからです。
当時はただ逃げる事しか浮かばず駅への行く方法を毎日考えていた時にチャンスが訪れました。
仕事がいつものように終わりタコ部屋へ戻ってきたときに班長から「明日の休みは食料の買い出しについてこいと言われた時に「チャンスが来た」と思って夜周りが寝静まるのを見て荷物は持てないので大切な物は特にないので有り金を隠して準備だけをして買い物に行ってどのように逃げるかを一晩中考えているうちに決行の朝がやってきました。
その時の緊張感は今生きている事ができるのもその時の決断があったからかもしれません、あの現場で何人かの人が亡くなっているような事も聞きましたがその中の1人になっていたかもしれません。
買い出しに行ったときに更なるチャンスが訪れ、大阪行きの電車にとび乗る事に成功して20数年前の脱走が成功したことで今があります。
タコ部屋での食事
現在はタコ部屋そのものの存在も昔に比べて少なくはなっているようです。また聞くところによると食事や設備面もかなり違っているようです。現在はタコ部屋より「00寮」と呼ばれている所が多く、その原因は昔は借金返済ができないための労役的な物が多く今でいう「多重債務者」が送られていました。
現在は多重債務者は最終的に法的措置として任意整理や自己破産等をして債権者から免れる事や、貸した闇金などは無登録業者や高金利業者として摘発される事が多くなって来ているために借金の為に連れていかれるより、従業員として雇用する為の福利厚生施設的変わってきているようにも思えます。
筆者が連れていかれた頃は借金が原因の人が殆どで、中には「まだ刑務所のほうがましや」という人もいたくらい過酷な環境した。
仕事は過酷で長時間、食事は朝は白米に味噌汁、漬物が少し、昼食は朝飯に目刺し等おかずと呼べる物かわからない物が1品、夜は週の半分が水っぽいカレーライスでそこにも現場でのしきたりでここに長いものが先に食べれて新参者になるともうなくなる事もあるくらいな為に「刑務所のほうがましや」という事もわかるような気もしていました。
現在は「人権の尊重」「個人情報の保護」等様々な個人を守る法の整備がある為に、昔のタコ部屋やその中での食事も含めて粗悪な環境を経験する事や場所も少なくなっているようです。
タコ部屋はどういった事を行うのか
当時は元総理大臣の田中角栄氏が発表した「日本列島改造論」の影響で地方の土地の上昇や山間部の宅地開発で建設ブームとなりそこで働く労働者はいくらでも需要はあり、筆者のような借金の為に送られてくる債務者はどんどんと現場に連れていかれた時代でした。
ひどい所では朝日が昇ると頃に働き出して、日が沈む頃迄まで働かされたと聞いたこともあります。そのような社会環境状態で仕事は山を削り宅地やゴルフ場、電車の路線延長等伴う土木作業や砕石場等「日本列島改造論」という号令と共に建設現場で仕事は殆どがタコ部屋生活をさせられるくらいに活気と人集めに必死の状態でした。
タコ部屋はどこの地域なの?
おそらく日本列島改造論の発表後は日本全国でタコ部屋的土木現場はあった事だと思われます。特に地方の宅地開発やゴルフ場の開発状況はかなり活発になっていきました。
それに加え日本列島改造論では日本全国を新幹線で結ぶという、今では当たり前の事を当時掲げた為に新幹線予定地周辺の土地の価格高騰や開発、新幹線のトンネル工事等全国的に大手ゼネコンにとってはまたとない時代を背景に作業員の確保に下請け、孫請けや更にその下の手配師迄が息つく暇もないくらいでした。
筆者が連れていかれたタコ部屋の作業現場でも最高に労働者が集まった時は100名近くいたようで作業員確保の為に、闇金の債務者情報は孫請けの会社にとって重要な情報として闇金は高価な売り物としていたみたいです。