国民の命を守るため、安倍内閣総辞職を~新型肺炎危機対応のため超党派で大連立内閣を
ハフポ スト BLOG 2020年02月14日
郷原信郎 弁護士
あまりに拙劣な日本政府の対応によって、国民を新型コロナウイルス感染の重大な危険と恐怖に晒すことになったのはなぜなのか。その「根本的な原因」はどこにあるのか。
新型コロナウイルスで、日本国内で、感染経路のわからない感染者が多数確認され、また、初の死亡者も出たことで、昨日から事態の深刻さは一気に高まった。ザルのような「水際対策」に頼り、「37.5度以上の発熱」、「呼吸器症状」に加えて「湖北省への渡航・居住歴」を検査の条件としていたことで、多くの感染者が「水際対策」をすり抜け、日本国内で急速に感染が拡大していたことは明らかであり、日本政府の対応の拙劣さは、全く弁解の余地がない。
横浜港で停泊中のクルーズ船ダイヤモンドプリンセスでは、3000名を超える乗客乗員が船内に閉じ込められ、感染者が急増しており、下船した乗客の多数が重症となっている。乗員乗客を長期間船内に閉じ込める対応が不合理極まりないものであることが指摘され、国際的な批判が相次いでいる(【クルーズ船の日本政府対応 海外で非難の声も】)。常識的に見て、政府の対応は、「船内監禁感染拡大事件」と言ってよい大失態だ。
このような政府の対応に対しては、早くから、上昌弘氏(医療ガバナンス研究所理事長)が、1月24日の時点で既に【「新型肺炎」日本の備えに不安しか募らない理由】で問題を指摘していた。また、船内検疫の専門家の指摘も相次いでいた。
あまりに拙劣な日本政府の対応によって、国民を新型ウイルス感染の重大な危険と恐怖に晒すことになったのはなぜなのか。その「根本的な原因」はどこにあるのか。
7年以上も続いた安倍政権下において、官僚の世界が強大な政治権力に支配され、自己保身のための忖度ばかりして都合の悪いことは隠蔽することがまかり通ってきた。そういった緊張感の無さが常態化してしまったことによる「官僚組織の無能化」が根本的な原因としか考えられない。それは、「桜を見る会」問題に見る、政権の意向を唯々諾々と受け入れるしかない官僚組織の対応とも共通する。
安倍政権の危機管理能力の欠如は、森友・加計学園問題の際にも指摘してきた(【籠池氏問題に見る”あまりに拙劣な危機対応”】【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」】)。
ただ、これらの問題は、その拙劣さが、政権内部の問題にとどまっていたため、国民に被害・損失を被らせることにはならなかった。
しかし、今回の新型コロナウイルスの問題は全く異なる。今後、日本政府の適切な対応が行われなければ、多くの日本国民が生命の危険に晒されることになる。
では、今の安倍内閣に、国民の生命に危険が生じている状況への適切な対応が期待できるだろうか。それは「絶望的」と言わざるを得ない。これまで多くの問題に対して安倍内閣が行ってきたことに照らせば明らかであろう。
最大の問題は、これまでの安倍内閣は、政権の維持・責任の回避を最優先し、問題の根本に目を向けようとして来なかったということだ。今回は、何より国民の生命が最優先されるべきだが、果たして安倍内閣にそれが行えるのか。全く期待できない。
日本政府の適切な対応の障害になり得るのが、まず、今後の感染の拡大如何では、今年の夏開催される予定の東京オリンピック・パラリンピックへの影響が生じかねないことだ。もちろん、「国民の生命」と「東京五輪の開催」と、どちらを優先すべきかは言うまでもない。しかし東京五輪開催中止が日本経済に与える影響が、安倍内閣の判断に様々な影響を及ぼす可能性があることは否定できない。
また、最大の懸念は、これまでの日本政府の拙劣な対応の責任を回避することを優先する対応が行われ、当初の中国で問題になったような、責任回避のための隠蔽的な行為が行われるおそれもあることだ。「桜を見る会」問題での対応を見れば、もはやこの点について、安倍内閣を信頼しろと言っても無理だ。
このような日本政府の大失態に対して、今後、野党が国会で追及姿勢を強めていくのは当然だが、それが政府の対応をますます「自閉的」にすることになり、政府の対応を一層混乱させる可能性もある。
このような状況において、国民の生命を守る方法は、「安倍内閣総辞職」しかあり得ない。そして、この危機的な状況を突破するための超党派の「大連立内閣」を作ることだ。危機的な状況を脱したら、再び内閣総辞職し、総選挙によって、新たな国会の下で政権を組織すればよい。
「内閣総辞職」によって、国会でのこれまでの安倍内閣の失態や失政に対する論戦には一気に終止符が打たれ、国会での論戦を、危機対応のための重要な議論の方に向けることができる。そして、もともと有能であるはずの日本の官僚組織も、安倍政権による「責任回避」の呪縛から逃れ、国民の生命を守るために、自ら考え、主体的かつ積極的な行動を起こすことも期待できる。
新型コロナウイルスから国民の生命を守るために、「安倍内閣総辞職」を求める声を上げていくことができるのは、我々国民しかない。
「郷原信郎が斬る」2020年2月14日『国民の命を守るため、安倍内閣総辞職を~新型肺炎危機対応のため超党派で大連立内閣を』より転載しました。
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日刊ゲンダイDIGITAL
コロナ拡大は安倍政権の人災 国立感染研大リストラの大罪
2020/02/13
ようやく、安倍政権が重い腰を上げる。ついに4人が重症。新型コロナの感染が加速度的に広がる中、ウイルス検査の態勢強化など緊急対策に乗り出すが、しょせんは付け焼き刃の対応だ。これまで、感染症対策をおろそかにしてヒトやカネをバッサリ削ってきた“人災”のツケが回ってきた。
現在、ウイルス検査や分析などの対応に追われているのは国立感染症研究所だ。米国では、感染症について「情報収集と発生時の対応」はCDC(疾病予防管理センター)、「研究・開発」はNIH(国立衛生研究所)、「ワクチンの品質評価」はFDA(食品医薬品局)と、3つの機関が分業している。この3つの役割を感染研は一手に担っている。
近年、インフルエンザ、麻疹、風疹、梅毒などの流行が見られ、感染症の脅威は高まっている。しかし、感染研はすさまじい大リストラを食らってきた。
2009年度に61億円あった研究費と経費の合計額は、18年度はなんと41億円。3分の1に当たる20億円も減らされてしまった。研究者も09年の322人から、現在は307人。組織はスカスカにされている。
理由は十把一絡げの国家公務員の削減だ。山野美容芸術短大客員教授の中原英臣氏(感染症学)が言う。
「感染研が担う役割や仕事量からして、300人余の研究者は極めて少人数です。10年間でさらに人も金も減らしているのは、安倍政権が感染症対策を軽視している表れといえます」
10年で20億円カット
感染研の大リストラには、有識者からも強い異議が起こっていた。11年に医学の有識者らでつくる「国立感染症研究所研究評価委員会」が報告書をまとめている。
<人員や経費が削減される中、研究所の業務や研究の範囲は拡大し続けており、個々の職員の努力に依存した運営には限界がきている><予算・人員の裏付けをつけることが重要であり、研究所は、その国民に対する使命の質と大きさに鑑み、「国家公務員削減計画」からの除外対象とすべきである>
悲鳴のような報告書が出されても、安倍政権は、予算・人員を削り続けた。
さらに昨年4月9日、共産党の田村智子参院議員が内閣委員会で、感染研のリストラ問題を取り上げた。政府は「(感染研は)重要な機能を有していることは認識しています。新規増員を措置してきている」(宮腰光寛内閣府特命相=当時)と答弁。感染研によれば、「国会で予算が通れば、新年度は1人増えて、308人になります」(総務課)という。増員幅はスズメの涙だ。
安倍政権が評価委や田村議員の指摘に耳を傾けていれば、新型コロナウイルスはここまで感染が拡大しなかったのではないか。
「予算、人員削減のツケが回ってきました。例えば、クルーズ船の約3700人全員のウイルス検査は、マンパワー不足の問題で決断が遅れました。感染が確認された検疫官が防護服を着ていなかったのは、金がない証拠です。安倍首相のいう国防は、高額の軍艦や飛行機を買うことですが、感染症から国民の命を守ることの方が大事な『国防』です」(中原英臣氏) 安倍政権は新年度予算案に過去最高となる防衛費5・3兆円を盛り込んだ。政権発足後、8年連続アップで、6000億円も増やしている。いくらかでも感染症対策に回したらどうだ。
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看板倒れ加計学園 獣医学部はコロナ感染症対策で機能せず(一部抜粋)
2020/02/14
■つぎ込まれた税金は約186億円
そもそも、獣医学部新設の狙いを安倍首相は「人獣共通感染症対策」「新薬開発」――と強調してきたはずだ。しかも、〈広域的に(獣医学系大学が)存在しない地域に限り新設を可能とする〉との特区認定の条件を追加し、わざわざ鳥インフルエンザ研究センターを持っていた京都産業大を除外までしている。
それにもかかわらず、新型肺炎が猛威を振るっている、この肝心な時に、ほとんど機能していないのだから話にならない。新薬の開発なんて期待されていないのだ。
(略)
獣医学部新設につぎ込まれた税金は約186億円。国からの助成金も入っている。政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。
「『人獣共通感染症への対策』との説明はしょせん、獣医学部新設のための建前だったということでしょう。モリカケ疑惑といい、『桜を見る会』といい、いったい血税を何だと思っているのでしょうか。今回の新型肺炎のような不測の事態にこそ、税金が投入されるべきでしょう」
“世界に冠たる”なんて、看板倒れじゃないか。