AERAdot 2025/01/17
テレビから性的なことが流れてくるのは、50年以上生きていても、やっぱり慣れない。特に、そばに誰かが一緒にいるときなど、それが両親であったりするならばなおのこと、友だちであってもそれなりに、とても気まずく、落ち着かず、とたんに時の歩みは遅くなり、どういうわけか耳が熱くなる。
NHKである。大河ドラマである。これからの大河ドラマは、各自、個室で一人でスマホで観てくださいね、ええ、日曜日の夜にお茶の間で家族全員で観るドラマじゃなくていいんですよ、一人一台の時代ですからね! とNHKから一方的に突きつけられたような思いだ。さようなら、私の大河ドラマ。日曜の夜、それぞれ新しい週の準備をしながら大河ドラマをかけっぱなしにするような時間はもうなくなっちゃった。
そう、今期の大河ドラマ「べらぼう」は江戸時代の吉原が舞台である。NHKによれば「吉原というのは男が女と遊ぶ町」(ドラマの中でそう紹介されていた)とのことで、主人公は「日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物”蔦重”こと蔦屋重三郎」(NHKホームページ)である。
ご存じのように蔦屋重三郎とは、「吉原細見」という、今風に言えば、「風俗店紹介誌」をつくった人だ。吉原のマップをつくり、お店を紹介し、女性を格付けしたりなどして、寂れつつあった吉原を盛り上げた男である。
当然、ドラマの中では、吉原吉原吉原吉原吉原吉原吉原吉原吉原吉原吉原……と「吉原」という単語が何十回も音声として流れてくる。セックスシーンはないが、女性の裸の遺体が「悲惨」の表現として出てくる。さらに昼間に再放送もされた番宣番組では、ドラマ出演している俳優のかたせ梨乃さんが現代の吉原を探訪したりして、2025年に入ってまだ2週間も経っていないのに、ものすごい量で「吉原」という単語が繰り返し公共の電波に流れ、ものすごい勢いで「吉原」がエンタメ化されているのを実感している。Xで秀逸なことを言っている人がいた。「(吉原は)男が女と遊ぶ場所ではなく、男が女で遊ぶ場所だ」と。
攻めてますね、NHK……とついつい嫌味を言いたくもなる。あまりにも衝撃的なセンスではないか。
吉原で働いていた女性が客の男に殺されたのは、コロナ禍の2023年5月だった。既に大河ドラマの企画は進んでいたとは思うが、そこで「吉原を舞台にするドラマは無理ではないか」という判断にならなかったことがまず不思議である。なぜなら、「吉原」が決して過去の歴史ではないことを、あのとき、私たちは突きつけられたのだから。そこは現在進行形で行われている「男が女で遊ぶ場所」であって、現在進行形で貧困に喘ぐ女たちが働き、現在進行形で性病に罹患し、現在進行形で女が殺され、現在進行形で差別と偏見がうまれている。戦国時代じゃないから戦国時代を歴史エンタメとして楽しめるのであって、「吉原」という世界を現在進行形で生きている女がリアルに無数にいる現代で、吉原を舞台にした歴史エンタメを楽しめなんて、そりゃあムリというものじゃないか。
「吉原」をドラマで表現しないで! とまでは言わない。NHKの看板中の看板である大河ドラマでなぜに? という単純な疑問である。歌舞伎町で少女買春する男たちが社会問題になっている今、完全なる人身売買だった江戸吉原を盛り上げた男を主人公にする理由って何よ? というシンプルな抗議である。
テレビから性的なことが流れてきて気まずいのは、それが「性的なことだから」というよりは、それがたいてい、私自身の身体を侵蝕するような居心地の悪いものだからだと思う。両親の前で、友だちの前で、私の身体は硬直する。それは侮辱されているように感じるからだ。だから耳が熱くなったりなど身体が反応するのだろう。率直にいえば、日本の公共放送でも流れてくる性的なもののほとんどが、一方的に女に欲情する側の視線だ。居心地が悪くなるのは、テレビにセクハラされているからだろう。
先日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯』という番組をたまたま観る機会があった。鶴瓶さんがさまざまな地方をまわり、その土地に生きる人々と出会い、市井の人々と鶴瓶さんがあったかく交流するアットホームな番組である。しかし、そういう番組だからといって油断できないのが、日本の公共放送だ。そんなことを改めて突きつけられる回だった。
その日、鶴瓶さんは温泉ホテルで女性に「3人(ご自分と純烈のリーダーと女性)でお風呂入るねんで」みたいな冗談を言いっていた。鶴瓶さんのその言葉に、言われた女性は「きゃぁ」とふざけ、そのリアクションの面白さが褒められるシーンがあった。
わからない人にはわからないかもしれないくらいの、微妙な笑いであり、微妙な間である。そして「放送される」ということは、現場でも、編集段階でも、誰も「変だと思わなかった」からだろう。だいたい鶴瓶さんは暴力的ではなく、「一緒にお風呂入るねんで」とからかわれた女性は、楽しげである。相手がオジサンでも鶴瓶さんは同じことを言ったのかもしれない。でも……私たちには「これ、どういう意味?」と肩をこわばらせるのに十分な条件の社会を生きているのだと思う。だって、「エンタメ」という大義名分で、一方的にセクハラ動画を見せられることが多いから。「笑い」「ほのぼの」という文脈で、セクハラをされることがあまりに多いから。それは、おもしろいことではないから。
NHK大河ドラマ「べらぼう」は「笑いと涙と謎に満ちた“痛快”エンターテインメントドラマ!」と謳っている。その“痛快”とは誰のものなのか? そんなことを、どうしても思わずにはいられない。「男が女で遊ぶ場所」があたりまえのようにある社会で、それをリアルな表現物として観るにはあまりに重すぎるから。
今朝の積雪は今季最大。