連載「おんなの話はありがたい」北原みのり
AERAdot 2021.2.10
作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の「女性蔑視発言」について。
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森さんは守られている。
「謝罪したのだから」「あれほどの人はいないのだから」「オリンピックができなくなるから」とかばわれ、「おじいちゃんだから仕方ない」「昭和だから仕方ない」と許され、「失言一つで大騒ぎするな、不寛容な社会の方が問題だ」など、批判を制する声も出てきた。こうなったら森さんに辞任を促すことができるのは菅義偉首相や橋本聖子五輪担当相のはずだが、2人とも「組織委員会が決めること」と、一般人と同じ立場のふりをしている。
政治家や公職に就く人の発言は重たく、失言は時に命取りになる。東日本大震災をめぐり「東北でよかった」などと発言した今村雅弘復興相や、「復興より議員が大事」と言った桜田義孝五輪担当相が辞任したのが良い例だが、それでも振り返ってみれば、女性を公然と侮辱し、差別発言が問題になり、地位を奪われてきた公人はどれほどいるだろうか。
石原慎太郎都知事の「ババア発言」(2001)でも、石原氏は無傷だった。女性たちは黙っていたわけじゃなく、大騒ぎして裁判まで起こしたが、辞めなかった。「子どもをつくらない女性を税金で面倒みるのはおかしい」(2003)と、当時、自民党少子化問題調査会の会長を務めていた森喜朗元首相が言った時も許され、「集団レイプする人はまだ元気があるからいい、正常」(2003)という発言をした自民党の太田誠一氏も直後の選挙で落選はしたが、その後復帰し大臣を務めていた。「女は産む機械」(2007)と言った柳沢伯夫厚労相も辞任していない。西村真悟防衛政務次官が「集団的自衛権は『強姦されてる女を男が助ける』という原理ですわ」(1999)と発言した時は辞任に追い込まれたが、これは「日本も核武装した方がよい」という同時にした発言の方が、むしろ問題とされたと記憶している。書いているうちに思い出したが、私が中学生だったころ、文化庁長官だった故三浦朱門氏は、「女性を強姦する体力がないのは男として恥ずべきこと」(1985)と言い大変な問題になったが、辞任しなかった。
ここに記した全ての発言は、ずっと私の心に刺さり続けている。この社会で女性として生きること、の覚悟を強いられるような恐ろしさとともに。
性差別発言は許されてきた。かばわれてきた。形式的な謝罪、または謝罪もせずに開き直り、誰も責任を取らず、組織としての再発防止策を講ずることもなく、そのために差別発言が繰り返されてきた。公人の差別発言に女性たちはその都度自尊心を傷つけられ、人生の貴重な時間を奪われ苦しむが、発言した男性たちは、結局、何も失っていない。
今回の森喜朗氏の発言は、今回限りの「失言」ではない。何十年にも何百年にもわたる性差別の積み重ねの象徴、そして許す限りコレは続くのだ、という物的証拠のようなものだ。だからこそ、ここで根を絶った方がいい。
今、インターネットで森さんの処遇検討を求める声が、福田和子さん、山本和奈さんなどによる20代のフェミニストたちの署名ですぐにあがった。また多くのメディアがこの問題を間髪をいれずに深刻にとりあげた。海外でも多数報道され、重大問題だと伝えられたことも大きいだろう。ジェンダー平等の意識が高まっていることが、迅速で強い声になっているのだと思う。一方で、そのような批判とともに森氏を守る声も大きくなっている。このまま批判の声が終息するのを待たれている気配もあるが、今回は終息させたくない。もううんざりだからだ。
森氏の「女性が入ると会議が長くなる」の発言には、笑いが起きたという。森さんのアレは森さん流のジョークのつもりだった……と言う人がいるが、私は森さんの苛立ちや怒りを感じた。森さんの発言の発端は、文部科学省から、日本オリンピック委員会に女性理事を4割の女性を入れることが求められたことだった。これまで男性の領域とされてきた場所に「女性を入れなければいけないのだ」とするジェンダー平等に対する取り組みへの苛立ちが、森さんにはあるのではないか。
クオータ制など、女性をある一定数入れる取り組みに対しては、数ではない質だ、という話もあるが、であれば今いる男性政治家の質を問い直してほしいと思う。だいたい森さんの「余裕」は、単に自分が多数派という場所にいるからに過ぎない。やはり数は大事なのだ。女性が少数であれば、女性枠の中で女性が競わされ「わきまえなければ生きていけない」と考える女性が、自らの生存をかけて女性を潰す悲惨も生まれる。女性たちが自らの発言を制することなく、怯えずに自由に生きられる安全をつくるのは、女性だけの仕事じゃない。男性も一緒に取り組むべき社会の問題だ。
森さんは謝罪したとはいえない。謝罪とはカタチではなく、責任を取ること。これ以上性差別を許す文化を広げないために、森さんの辞任を強く求めたい。
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