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「政権に盲従する社会」づくり、着々と。

2018年06月17日 | 社会・経済

若者の間でも…「政治の話をするな」日本を覆う陰鬱な空気

  日刊ゲンダイ 2018年6月16日

 

孫崎享 外交評論家

1943年、旧満州生まれ。東大法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。66年外務省入省。英国や米国、ソ連、イラク勤務などを経て、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授を歴任。93年、「日本外交 現場からの証言――握手と微笑とイエスでいいか」で山本七平賞を受賞。「日米同盟の正体」「戦後史の正体」「小説外務省―尖閣問題の正体」など著書多数。

   お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏が昨年末、ネットテレビ局「AbemaTV」でこう語っていた。

   「飲み会で『出身地どこ』と聞かれて『福井県』と言う。で、『福井県のどこ』と問われるので、『おおい町』と言う。すると、途端に『そんな重い話、ここでしないで』と言われる。何も『おおい町に原発がある』と言っていない、ただ、出身地がどこだと問われたので、おおい町と言ったのに、そんなこと言わないでという」

  「『熊本に行ってきた』と言うと、『何で』と言うので、『被災地を見に行きました』と言うと、『そんな重い話しないで』と言われる」

 

  若者の間で、原発や地震災害の話をするのはタブーなのだ。

 

  ある大学教員も最近、こうツイートしていた。

   〈授業アンケートに『政治的なことを言うのはよくない』と書いてくる学生がいた。本当にがっかりする。いま知性と理性を守ろうとする闘いは、好むと好まざるとに関わらず政治的にならざるを得ないではないか〉

このツイートに対するリツイートがこうだ。

 〈『政治的なことは話すな』という反知性派の作戦は見事に功を奏しています〉〈日本社会で育つ中で飼いならされて、『強いものには従うのが賢い態度で、それが正しい』と思い込んでいる若い人はすごく多い。それというのも、厳しい時代ゆえ、親世代が『賢く生きろ』と育ててきたせい〉

 若者に限らず、サラリーマンの多くも職場や仲間内で、原発や地震災害について会話する機会は少ないのではないか。

 そんな中、女性誌が原発や憲法を、男性週刊誌よりも多く記事にしている

 ある講演で「今や男性は原発や地震災害や憲法などについて仲間内で話せる雰囲気ではない。もう女性だけが頼りです」と語ったところ、出席した女性から「違います。女性も原発や地震災害や憲法を話せる雰囲気じゃない。話せば周りから白い目で見られるのです」と指摘された。

つくづく日本社会は今、極めて厳しい状況になっていると感じる。「政治的な話をしない」ということは、「現政権をそのまま受け入れる」ことを意味し、「政権に盲従する社会をつくる」ということでもある。

 安倍政権は常軌を逸した行動をしている。今こそ、国民が糾弾の声を上げなければならない。それなのに「政治的な話をするな」が日本国民の中に浸透しつつあるという状況は極めて深刻だ。


「丸腰国家」コスタリカを・・・・

2018年06月16日 | 社会・経済

 

世界が注目、最貧国コスタリカの戦略

HARBOR BUSINESS Online - 2018年6月12日

   今年5月、コスタリカで就任した新大統領が仰天プランをブチ上げ、また世界を驚かせている。軍隊を持たない「丸腰国家」コスタリカの次の一手から、辺境の貧困国だったコスタリカが世界の「インフルエンサー」(影響力を与える者)になれたワケを読み解く。

◆「カーボン・ニュートラル国」を目指すことを、強く印象づけるパフォーマンス

 5月8日、第48代コスタリカ共和国大統領に就任したカルロス・アルバラード氏は、その就任演説で、コスタリカを「世界初のカーボン・ニュートラル国にする。一番でなくとも、カーボン・ニュートラルに到達する第一グループの国となる」と高らかに宣言した。

 細工も流々だ。野外で行われた就任式典に臨むにあたり、世界各国の賓客が集まる会場に水素バスで乗りつけ、気候変動担当部局の新しいリーダーの「就任式」まで執り行った。「コスタリカの今後の最重要目標は、カーボン・ニュートラルである」ということを世界に強く印象づけるパフォーマンスは、大成功に終わったといっていいだろう。

 例えば、ゲストとして大統領就任式に参列したボリビアのエボ・モラレス大統領は、「地熱発電はすごい。ボリビアでも考えたい」など、さっそく感化されたようなコメントを漏らしていた。

 式典を生中継していた現地テレビメディアでも、新大統領が気候変動対策に関してスピーチの多くを割いていたことに注目。外国メディアでもコスタリカの「次なる野望」が一様に報じられた。たとえば英ガーディアン紙(ネット版)には、コスタリカを「未来の希望の誘導灯である」と手放しで讃える記事も掲載されている。

◆実は、10年以上前から宣言していた

 非常に野心的と思えるこの戦略目標は、実は以前から存在していた。2007年、当時のオスカル・アリアス大統領が、2021年までに「再生可能エネルギー発電100%」と「国レベルでのカーボン・ニュートラル」を達成するという目標を宣言(アリアス宣言)したのがそれだ。

 そのうち前者は、2015年に実績ベースで約98%に達し、ほぼめどをつけた。ちょうど同じ年の12月にパリ協定が結ばれ、世界中のほぼすべての国が気候変動対策に本腰をいれることで合意した。

 しかも、パリ協定の枠組みである「気候変動枠組条約締結国会議」の事務局長は、1948年に同国で軍隊廃止を宣言し、「丸腰国家」の始祖ともいえるホセ・フィゲーレス元大統領の娘、クリスティアーナ・フィゲーレスだった。これらの要素が重なり、コスタリカが「再エネ100%国」であるというイメージは一気に世界中に広まったのだ。

 その一方で、実はカーボン・ニュートラル政策は遅々として進んでいなかった。正確には、進めてはいたのだが、現状があまりにも厳しすぎて目標に追いついていなかったのだ。例えば、排出される炭素の過半を占める輸送部門では、毎年の新車登録台数が新生児の登録数を上回っていることが現地でも話題になっている。

 そこでアルバラード氏はあえて、大統領就任式という世界が注目する場とタイミングで大見得を切った。実際は2021年までの達成はほぼ不可能と考えられ、当初目標より後退しているはずなのだが、その点はあまり注目されずに称賛ばかりが目立った。そこに、コスタリカの広告戦術のうまさがある。それは伝統的に培われたものだった。

◆軍隊廃止、エコツーリズム発祥etc.世界の注目を引きつける広告戦術の伝統

 遡ること70年、1948年にホセ・フィゲーレスが軍隊廃止を宣言した時も、コスタリカは「丸腰国家になるのだ」という印象を世界中に強く与える、大々的な広告戦術を打った。言葉で宣言するだけでなく、陸軍司令部要塞の壁を大きなハンマーで打ち砕くパフォーマンスを行ったのだ。そのシーンは世界中に配信され、現在でもインパクトを保ったままだ。

 また、要塞の鍵を文化庁長官に渡し、国の資源を軍隊から教育や文化に振り分け直すことを印象づけた。以後現在まで「コスタリカは軍隊を持たず、教育や福祉に投資している」という印象を多くの人が持っているのは、事実関係もさることながら、その広告的手法が効果的であったことを如実に示している。

 1980年代から推進した「エコツーリズム」にしてもそうだ。エコツーリズム的な概念や実践は、それより前から世界のあちこちで行われていたはずだ。だが、コスタリカは「エコツーリズム発祥の地」として世界に知られている。

 それは、コスタリカがその「名づけ親」になったこと、国を挙げて制度面の整備まで含めてエコツーリズムの定義を作ったこと、そして「エコツーリズム」という修辞句を使って世界中の観光客を呼び込んだ広告戦術を展開したことの結果なのだ。

 ちなみにそれは、1987年に中米和平交渉が妥結し、隣国ニカラグアの内戦をはじめ、地域安全保障体制の行く末にある程度道筋を作ったからこそ本腰を入れられたことでもあった。

 つまり、「丸腰国家」の次の戦略は「エコツーリズム国家」だったことになる。事実、20世紀末の主な外貨収入源はコーヒーやバナナといった一次産品の輸出と並んで、観光部門が大きな割合を占めるようになっていった。

 コスタリカが辺境の貧しい小国から世界の注目国にステップアップしていった背景には、国の長期戦略を世界に広める巧みな広告戦術の伝統があるのだ。

◆奇跡を呼び込む努力は、目標を宣言し、その広告をすることから始まる

 そんなコスタリカが次に設定した長期戦略が「再生可能エネルギー発電100%」と「カーボン・ニュートラル」の達成だった。

 幸か不幸か、その2つの戦略目標を謳った2007年の「アリアス宣言」はあまり注目されていなかった。しかも、現在ほぼ達成したと言われている(厳密にはまだなのだが)再エネ発電100%ですら、2010年の段階では「目標年度までの達成は無理ではないか」(環境エネルギー省担当者)とも言われていた。それでも、官民を挙げてこれらの目標に日々取り組んできた。

 結果的に、タイミングよくパリ協定妥結と再エネ発電(ほぼ)100%達成が重なった。ただ、「それは単なる偶然」と一笑に付すことができる話でもない。各分野での継続的な努力がなければ、どちらも達成できなかっただろう。努力が呼び込んだ奇跡といってもいいだろう。

そしてこれら国レベルの戦略は、すべて大々的に「目標を宣言すること」から始まっている。さらに、単に宣言するだけでなく、象徴的なパフォーマンスを付加して世界中に発信する。それがコスタリカの一貫した広告戦術であり、常に目標を達成する第一歩となっている。

◆コスタリカの一貫した長期戦略は「野心国家」であり続けること

 再生可能エネルギー源による実際の年間発電率は2015年度以降、毎年98%以上を確保し、さらに注目が集まってきた。そのタイミングでの新大統領就任に「カーボン・ニュートラル」をぶつけ、最大限の広告効果を得ることにとりあえずは成功した。

「とりあえず」というのは、実はカーボン・ニュートラル達成年度を2030年ごろに繰り延べようとする動きがあるからだ。とはいえ、国レベルで達成年度目標を示したのはコスタリカが世界初だったということは、事実として残る。

 達成できなくとも、野心的な目標をぶち上げるだけで意味を持つ。野心的であればあるほど、広告の打ち方さえ間違えなければ、失敗しても「仕方ない、むしろよくやった」とプラスに作用させられる。

「過大広告」とも思えるこの戦術に今回もあえて踏み込んだのは、実際の目標達成以外に目的があるからだろう。それこそ、「国としての“理想的野心”を対外的に発信すること」なのだ。それにより、対内的にはなかなか進まない脱炭素化の「ネジの巻き直し」効果を狙える。対外的には「理想を追い求め続ける国」という評価がますます高まる。失敗してもリスクは少ない。

 軍隊廃止を宣言した1948年、コスタリカは中米の辺境にある小さな貧しい国だった。それが今や、世界をリードするほどの存在感を見せつけている。それは、次のような一貫した手法によって成し遂げられてきた。

1.理想的かつ野心的な長期戦略目標を立てる

2.それを世界的に広告宣伝する

3.その目標を一定程度達成する

4.それをさらに世界的に広告宣伝する

5.新たな戦略目標を掲げる(=1に戻る。以下繰り返し)

こうしてコスタリカは、最貧国から世界のインフルエンサーにのし上がったのだ。

「丸腰国家」コスタリカ 次の戦略 第一回

<文・写真/足立力也>

コスタリカ研究者、平和学・紛争解決学研究者。著書に『丸腰国家~軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略~』(扶桑社新書)など。コスタリカツアー(年1~2回)では企画から通訳、ガイドも務める。


 

 昨日「カジノ法案」が衆院内閣委員会で自・公・維新によって強行採決された。庶民には無いほうがいい「法」ばかり、必要なものは掛け声ばかりで「腰」が入っていない。いまだ政権にしがみついて悪法ばかり通す。早く引き摺り下ろさなきゃ!
 コスタリカを少しでも見習ってほしいものだ。
晋三!


どんな子どもを、どんな大人に・・・・

2018年06月15日 | 社会・経済

『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む 日本の大学生は何を感じたのか』
ヨーラン・スバネリッド 鈴木賢志+明治大学国際日本学部鈴木ゼミ 編訳/新評論)

   By マガジン9編集部  2018年6月13日

   タイトルのとおり、メインになっているのはスウェーデンの小学校高学年(に当たる学年)で使用されている社会科教科書の翻訳(抜粋)。合間合間に、それを読んだ日本の大学生らの感想や意見が挟まる。社会科学者で、スウェーデンでの大学で教鞭を執った経験も持つ鈴木賢志・明治大学教授のゼミ授業がもとになっているという。 

  「はじめに」にある鈴木教授の解説によれば、スウェーデンでは国政選挙の投票率が85.8パーセント。30歳未満に限っても81.3パーセントという高投票率だという。それほど多くの若者が投票所に足を運ぶ理由を、鈴木教授は「自分の行動が政府の決定に影響を与えることができるという可能性に対する期待感」の高さに見出す。

  各国の若者を対象にした内閣府の調査では、「『私個人の力では政府の決定に影響を与えられない』と思いますか」という質問に「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた割合が、日本では7割以上。一方スウェーデンでは4割程度にとどまっているのだという。言い換えれば、「どうせ何をやったって政治や社会は変わらない」といった「あきらめ」が、日本の若者には高く、スウェーデンの若者では低い、ということになるだろう。

  では、そうした違いはどこから生まれてくるのか。続く1章から紹介されている「小学校社会科の教科書」の内容を読み進めるうちに、さもありなん、とため息が漏れそうになった。地理や歴史は別途独立の教科となっているため、含まれる内容は日本でいえば中学・高校の「現代社会」や「政治経済」に近いのだけれど、それにしても! 読んでいる間、大学生たちと一緒になって「こんなことまで?」「えっ、こういう書き方をするの」と驚かされっぱなしだった。

  たとえば「法律、規則、規範」について書かれた部分。「私たちは、法律、規則、規範に従います」と述べたすぐ後に、「社会は変化するので、法律や規則も変わるものだ」と指摘する。「家族」についての部分では、「両親は、結婚していることもあればしていないこともある」「二人のお父さん、もしくは二人のお母さんと暮らしている子どももいる」といった説明が続く。

  「経済」についての章では、同時に税金や社会サービスの仕組みについても詳しく解説され、「失業が社会に引き起こす問題とは」「貧困は子どもにどんな影響をもたらすか」「環境に優しいけれど高い製品、環境に優しくないけれど安い製品、どっちを選ぶ?」といった問いかけが並ぶ。「政治」の項では、国会で何がどのように決定されるのか、民主的な決定とは何か、独裁政治とは何か……の解説が続き、「法律と権利」の項では「なぜ、私たちは犯罪者に刑罰を科すのか」「人はなぜ犯罪を起こすのか」を考えるよう促される。

  「生きるというのは素晴らしいことですが、時には辛いこともあります」として、いじめや虐待、家族との不和などで苦しんでいる子どもが相談できる場所(電話番号も)が列挙されていたのも驚きだった。

 とにかく、すべてにおいて「なぜ」が重視され、「自分だったらどうするか」を考えさせる内容。国や社会がどんな仕組みで動いているかを学ぶとともに、自分もまたその一員であると、当たり前のように感じさせられる。こうした学びを重ねた後では、「何をしたって社会は変わらない」なんていうあきらめは、たしかになかなか生まれてこないのではないか。

  「社会科教科書」なのだけれど、むしろ私の脳裏に幾度となく浮かんだのは、今年から日本の小学校で「正式の教科」となった「道徳」の教科書だ。何度か読んでみたことがあるけれど、権利は義務とセットのように描かれ、とにかく「集団を乱さない」「指示に従う」ことが徹底して美徳とされる内容だった。

  子どもに、何を身に付けさせようとしているのか。どんな子どもを、ひいてはどんな大人を育てようとしているのか。二つの国の教科書の間の、あまりにも深い溝を覗き込みながら、少しばかり絶望的な気持ちになってしまったのだった。 (西村リユ)

 


 幼稚園から洗脳教育ができるようにすることが彼の「教育」なのだ。まともな対応をしない、うそをつく、責任を取らない阿部の望む「教育」!

 久しぶりに晴れた。予報では☁のようだったが、朝から気持ちよく晴れた。それでも寒い。ハウスにいるとどんどん気温は上がるが外では風が冷たい。まだしばらくはストーブが離せない。


怒っている人を、怒らないボクが上から見下ろし、怒らないボクたちが賢い・・・?

2018年06月14日 | 社会・経済

「一億総忖度社会」の日本を覆う「気配」とは何か? 自ら縛られていく私たち

 

社会批評集『日本の気配』を出版した武田砂鉄さんインタビュー1回目

 

2018/06/11  岩永直子 BuzzFeed News Editor, Japan

   政治問題を忘れ去ることを急ぎ、ヘイトスピーチの萌芽を受け流し、被災地は「前を向いている」という声に簡単に染められてしまう。

   なぜ私たちは、力の強い者が支配する「空気」をやすやすと受け入れるのか。「空気を読む」だけではない。さらに病状は進み、「空気」が生まれる前から、その「気配」を先回りして察知して、自らを縛る空気を作り出していないか? 

   様々な政治状況や社会事件、個人のコミュニケーションなどを材料にそんな問いを投げかける『日本の気配』(晶文社)を、フリーライターの武田砂鉄さんが4月に出版した。

   森友学園の土地取引を巡り、大阪地検特捜部が財務省の38人全員を不起訴処分にしたニュースが新聞一面に並んだ6月1日、インタビューをした。

 

積極的に気配に縛られようとする私たち

 ——「空気」と「気配」は、何が違うのでしょうか。

   日本人の特性で、「空気を読む」「空気を読め」とは言われますが、「気配を読め」とは言われませんよね。日本人のコミュニケーションにおいて、「空気を読む」とか「忖度する」は、すっかり当たり前のことになっています。

 でも、とりわけ今の政治状況を見ていると、それよりもっと深刻な事態になっているのじゃないかと思わざるを得ません。空気ができあがる前段階、つまり「気配」を察知し、権力者たちのメッセージに先んじて隷従しようとしてないかと。

   数日前、加計学園の一連の問題を巡って党首討論がありましたが、朝日新聞は「議論は平行線」という見出しをつけていました。

中継動画を見たり、全文の文字起こしを読んだりすればすぐにわかることですが、あの討論は、野党の質問に対して誠実に答えているとは言い難い。真っ当な質疑応答ではないのだから、平行線であるはずがない。それをメディアはいつもの手癖で、「議論は平行線」と書いてしまう。

 この見出しだけ見たら、「ふーん、野党の質問も煮え切らなかったんだな」「この問題、いつまで続けるのかな」「そろそろ幕引きなのかな」と察知してしまう。幕引きに加担してしまいます。

——関連する話で、財務省の福田淳一前事務次官のセクハラ問題について、麻生財務相の発言を、読売新聞が「麻生節」と表現したことにも怒っていらっしゃいました。

 そうですね。財務省が文書でセクハラを認定した事案について、それを再びひっくり返そうとするような適当な発言を重ねていた麻生大臣の発言を「麻生節」とキャラづけして、「あの人はああだから仕方ない」と解放してしまうわけです。

   そんなの、国家を運営している側から見れば、「え? キャラ化してくれるの、マジでラッキー」と思うはずです。「ここで追及しなくてどうするの?」という場面で、なぜか引いてしまう。そうやって自主的に追及を引き下げていく様子が頻繁に見受けられます。

   党首討論後の記者会見でも、加計学園問題についての関与が疑われてきた萩生田光一・幹事長代行が、「何かを答えても、なかなかそれを了としないところの繰り返しがなされているんじゃないかなという印象を受けましたので、なかなか着地点と言いますか、最終形が分かり難いところがあるのかなと思います」と答えています。

   なぜ着地点や最終形を野党が出さないといけないのでしょうか。山積した疑惑を払拭して最終形を提示すべきは政権側です。「なんか野党物足りないよね」と思わせておいて、それに対して怒る力が弱い。政治問題に向かう国民の執念のなさが露呈してきたなと感じます。

 自分も「気配」の危うさを読みきれていなかった

   今回の本は4月後半発売で動いていたので、3月半ばまで原稿に赤字を入れる作業をしていました。その頃、モリカケ問題(森友学園、加計学園の疑惑)について文書改ざんの事実や新たな文書のスクープが出てきて、支持率が下がってきた。安倍政権が倒れた時のことを想定して、担当編集者と相談したんです。

 「今回の本には安倍政権に対する考察が多いので、最後の方に『確かに安倍政権は倒れたけれど、この時の空気を忘れてはいけない』など付け加えないといけないですね」と大真面目に相談していた。

   今、思い返せば、あの焦りは一体なんだったのか。むしろこちらが「日本の気配」を読めていなかったのは皮肉です。何も疑惑は解消されていないのに、支持率は逆に少しずつ戻り始めています。

   本の帯に「『空気』が支配する国から、『気配』で自爆する国へ」と書いてあるのですが、その状況は刊行後により強くなってきています。本のメッセージが切実に響くようになってきたので、届きやすい本になりましたが、本当にそれでいいのかという気持ちはどこかにあります。

 ——今朝の朝刊では、森友問題の不起訴について各社大きく報道していました。どう思いましたか?

   かなりの文言を削ったわけですが、核心部分を改ざんしたわけではないから大丈夫、問題なし、との結論を出したわけですね。新聞を読み比べましたが、社説では怒りつつ、なぜか最低限の冷静さを保ってしまいます。「退陣せよ」という要求を一面で打ち出してもおかしくない出来事のはずなのに、やはりどこか冷静です。

   相手がどれだけ稚拙な手段に出ようが、マスコミは、達観し、鳥瞰し、冷静さを守ってしまうところがある。でもそれが今の政権運営の甘い蜜になっていて、その繰り返しを見させられている。

   財務省が認定した福田前次官のセクハラについても、彼自身は、自分の声は体を通して聞こえるから、録音は自分の声かどうかわからないと認めないまま、カメラの前から消えてしまいました。「ふざけるな、表に出てこい」と言い続けなければならないはずなのですが、冷静になって、もういいだろと引き下がってしまうメディアの姿があります。

 ——そうした傾向は社会問題にも散見されます。

   cakesというウェブ媒体の連載で、本田圭佑選手について最近書いたのですが、本田選手が日大アメフト部の一件について、「監督も悪いし、選手も悪い。(中略)このニュースにいつまでも過剰に責め続ける人の神経が理解できないし、その人の方が罪は重い」とのツイートをした。これを、いわゆるインフルエンサーと呼ばれる人たちがリツイートしているのを見て、実に今っぽいなと思いました。そうやって世の中を達観する、という仕草が流行っちゃっているわけです。

   でも、監督も選手もメディアも悪いとすると、どう考えても得するのは監督です。ここ数ヶ月、あちこちでたくさんの人が嘘をつく光景を見てきたわけですが、唯一、自分の言葉を持って話していたのは、謝罪会見を開いた20歳の学生でした。言葉を慎重に選び抜きながら、誠実に答えていらした。「みんな悪い」と冷静ぶる行為は、そういう誠実な言葉を潰してしまいます。

 怒るのは恥ずかしいという風潮

 ——なぜ、その「冷静ぶる行為」を良しとしてしまうのだと思いますか?

   今、怒ることがどこか恥ずかしい行為とされがちですよね。「何、怒っちゃってるの?」「冷静になろうよ」という圧力がどんどん強まっています。

   振り返ってみれば、東日本大震災以降、原発再稼働なり、秘密保護法なり、安保法制なり、共謀罪なり、政治的にたくさんの山があり、その都度、支持率にも大きな変化があり、様々な形で反対活動が起きました。

   これはさすがに全員が怒るだろう、との期待を持つのだけれど、いつも怒る人が同じで、盛り上がりがいつのまにか和らぎ、政権がのらりくらり逃げるのを放置してきました。

   少し前まで怒っていたメディアが、「議論は平行線」や「麻生節」といった、問題の本質をずらして矮小化する文言を使いながら、波が引いていくのを眺める。そんなサイクルを繰り返しています。

   そうすれば、怒る人は疲れます。怒っても怒っても、成果が得られない。でもその怒りが間違っているわけではない。その切実さを毎回毎回更新しながら怒っている人たちがいる。

 ——ところがその怒りを軽んじる空気がある。

   昨年の冬、樹齢150年の巨木を伐採して「世界一のクリスマスツリー」を神戸の港に展示するというイベントに反対する声があがりました。

   阪神・淡路大震災の犠牲者への鎮魂を掲げた計画に、「木の命を犠牲にして物語に活用する人間のエゴ」など様々な批判の声が上がったわけですが、計画を支援していた糸井重里氏が、「冷笑的な人たちは、たのしそうな人や、元気な人、希望を持っている人を見ると、自分の低さのところまで引きずり降ろそうとする」とツイートしていた。

   さっきの本田圭佑のツイートと同様に、今っぽいな、と思いました。違和感を覚えて、憤りを表明する行為を丸ごと下に据え置く行為で、まさしく、そうした処理の仕方こそ冷笑的だと感じました。怒っている人を、怒らないボクが上から見下ろし、怒らないボクたちが賢い、とする態度。この二つのツイートには、「前向いて歩いて行かなければならないのに、怒って足を引っ張るやつって嫌だよね」という共通項がある。そこでは、怒りという感情が安直に片付けられている。

   自分が今回の本で言い続けているのは、とてもシンプルなこと。怒り続けることって面倒臭いけれど必要だよね、大事なことだよねということです。

   「平行線」だ、「麻生節」だというその場を安易に収める言葉を、メディアで発信する人間が使い始めたらおしまいです。この本を出した後の世の中の空気を感じながら、その思いを強くしています。

 

 

【連載2回目】そこに「私」の主体的な判断はあるか? 公共は自分が作る

 

【連載3回目】「怒り」をどう取り扱うか 匿名社会の鬱憤ばらしにならないように

【武田砂鉄(たけだ・さてつ)】フリーライター

 

1982年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋からライターとして独立。著書に『紋切型社会——言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論——テレビの中のわだかまり』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』(晶文社)がある。現在、新聞、雑誌、ネットメディアなどで連載中。


米朝会談

2018年06月13日 | 社会・経済

米朝会談をどう見るか 変化を望まない人々の批判と難クセ

  日刊ゲンダイ 2018年6月13日

   12日の歴史的な米朝首脳会談。際立っていたのは、トランプ米大統領と金正恩北朝鮮労働党委員長が終始、互いを称賛する言葉ばかり発していたことだ。

 共同声明の署名式で、金正恩が「今日のために努力してくれたトランプ大統領に感謝の気持ちを伝えたい」「世界はおそらく重大な変化を目にするだろう」と言えば、トランプは「我々は非常に特別な絆を結んだ」「一緒にいられて非常に光栄だ。ありがとう」と手放しの持ち上げよう。かつて「ロケットマン」とバカにしていたことが嘘のように、「素晴らしい性格で非常に賢い」とベタ褒めだった。

 共同声明の中身は、金正恩が「朝鮮半島の完全な非核化」を約束し、トランプが「北朝鮮の安全を確約」、事実上の体制保証を与えるものだが、非核化の具体的な工程や検証方法は盛り込まれなかった。互いの“称賛合戦”に、自国民向けの“成功”アピールという政治的思惑があるのは間違いない。

しかし、史上初めてトップ同士が直接会って関係改善に強い意欲を示したことは前進だ。金正恩は「過去の克服」への強い決意と「これまでとは違う」という姿勢も見せた。トランプは対話継続中の米韓軍事演習の中止にも踏み込み、60年以上休戦状態にある朝鮮戦争について「間もなく終結することを期待している」と発言した。これで事態が大きく動く可能性が出てきたといえる。

 ■「決裂」を望んでいた安倍首相

 ところが、日本政府と大メディアは、この歴史的な転換期において、懐疑的な論調から抜け出せない。

 会談開始から共同声明までの4時間ほど、テレビは、コメンテーターや有識者が「完全な非核化がどこまで担保できるのか」とか、「北朝鮮は過去の合意をことごとく破ってきた」などと後ろ向きの議論がほとんどだった。

 政府も、安倍首相は「正しい道を歩めば北朝鮮は明るい未来を描くことができる」と発言し、蚊帳の外のくせに何を勘違いしているのか、相変わらずの上から目線。小野寺防衛相は「会談で一定の約束をしたとしても、具体的な行動が確認できるまで決して気を許すべきではない」と圧力路線のままだし、河野外相も「核を含む全ての大量破壊兵器、全ての射程のミサイルの廃棄に向け、北朝鮮の明確な関与を引き出せるかどうかが焦点だ」と強気一辺倒で“難クセ”をつけていた。

「対話のための対話は意味がない」と繰り返してきたのが安倍だ。北の脅威を「国難」と位置付け、去年は解散総選挙まで断行した。大勝すると、麻生財務相は「明らかに北朝鮮のおかげ」と言ってのけた。 

 要するに、安倍政権にとっては現状維持が望ましいのだろう。北東アジアに平和が訪れることがそんなに嫌なのか。北朝鮮が脅威でなければ困るのか。

 元外交官の天木直人氏がこう言う。

 「藤崎一郎元駐米大使が先月BSテレビに出演した際に『米朝首脳会談は失敗して欲しい』と本音を漏らしました。安倍政権は会談の『決裂』を望んでいたのですから、現状をなかなか祝福できないのでしょう。それで、目先の『非核化』にばかり執着し、国際政治の大きな変化の流れに目を向けられない。対米追従だけで来たので頭の切り替えができないのです。これから新しい時代に入る可能性が高まった。南北の協力関係も進むでしょう。日本のメディアも、今回の米朝会談を過小評価していると思います」

 先週、非営利シンクタンク「言論NPO」が日米での共同世論調査の結果を発表したが、米朝会談の行方に対する日米の温度差がクッキリ出ていた。「朝鮮半島の非核化」について、米国民は「成果につながらない」が35.9%で、「決定的な成果が期待できる」が21.8%だったのに対し、日本国民は「成果につながらない」が52.2%で、「決定的な成果が期待できる」はわずか6.2%だったのだ。他の質問項目でも日本人の悲観論が気になった。

 安倍政権と大メディアが北をひたすら敵視してきた“効果”なのだろう。

 安倍政権の「安保」とは真逆の方向へギアチェンジ

 今回の米朝会談を契機に朝鮮半島に残る冷戦構造が終焉に向かう可能性が出てきたわけだが、安倍政権で、この先の劇的な変化に対応できるのだろうか。

 「私は、米朝の国交正常化が日朝の国交正常化より先行するのではないかとみています。1971年にニクソン米大統領の特使として、キッシンジャーが極秘訪中し、日本は腰を抜かした。あの時は結局、当時の田中角栄首相が72年に日中国交正常化を果たし、米国に先んじましたが、今度は北朝鮮との国交正常化で米国が先行するでしょう。日本は拉致問題があるから身動きが取れない。トランプ大統領は米朝会談で拉致問題を取り上げましたが、今後については、日朝の2国間交渉で進めるしかありません。安倍首相は頭が痛いでしょう」(天木直人氏=前出)

 米朝国交正常化が現実になれば、日本を含めた北東アジアの安全保障や日米同盟、日本の防衛の在り方も大きく変わるだろう。実際、トランプは12日の記者会見で、「非核化までには長い時間がかかり、それまでは制裁は続ける」としながらも、「ウォーゲームは多額の費用がかかる。もともと好きではなかった」と、米韓軍事演習の中止と、その先の在韓米軍の縮小や撤収の可能性にまで言及した。つまり、将来的には在日米軍だってどうなるか分からない、ということだ。

 ■政策転換は「アベ後」しか無理

  軍事評論家の前田哲男氏がこう言う。

 「共同声明は『始まりの始まり』に過ぎませんが、それでも局面が変わったのは決定的です。“戦争状態”というギアが逆向きになる大きなレジームチェンジであり、これからさまざまなことが動き出すでしょう。非核化のペースを見ながら、在韓米軍の縮小が具体的になっていく。トランプ大統領の『軍事演習はお金がかかる』という発言は、もはや無駄なことにお金をかける余裕がない、と言っているようなもので、日米韓の軍事協力はスローダウンしていく。将来的に朝鮮戦争の終結宣言までいけば、『韓国国連軍』としての在日米軍の存在理由もなくなります。新たな安保法制で集団的自衛権の行使と海外派兵を可能にし、日米韓の軍事同盟を強化させたい安倍政権とは真逆の方向。今頃、政府は衝撃を受けていることでしょう」

安倍はしつこいくらいにトランプと日米会談を繰り返し、「安易な合意に流れないようクギを刺してきた」(政府関係者)ものの、完全にハシゴを外された。これまで北をとことん政治利用してきた不明を恥じたらどうか。

 「安倍政権の進めてきたガイドラインと安全保障政策では、現状適応力がなくなったということを、今回の米朝会談で見せつけられました。歴史的な変化に対応した政策転換は、安倍首相ではやれない。“アベ後”じゃないと無理です」(前田哲男氏=前出)

 「外交の安倍」「拉致の安倍」で売ってきたが、そろそろ退却の時を迎えたということである。


 寒い日が続きます。最高気温は10度ちょい、最低気温は10度以下と作物にとっても厳しい寒さだ。
 アスパラにはいい雨でした。

驚かれるでしょう、この草ぼうぼうのとこがアスパラ畑です。除草剤、化学肥料は使いません。草はほとんど抜かず、刈るだけです。
 江部乙に移したブラックベリー、つけてた葉はすべて枯れ、失敗したかと思いましたが、新しい芽が出てきました。

樹皮をペロリと喰われ、駄目だと思った桐木。こんなところから新芽が出てきました。ここの樹皮も孤立した状態なのですが、命の不思議です。


冤罪を出さない方法を!

2018年06月12日 | 社会・経済

【偽装社会】袴田事件1 占領統制の最高裁事務総局が占領政策のふるい落としシフトで再審を阻止する 占領のために統制判決が覆っては困るため必死

NHK「クローズアップ現代」

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袴田事件再審決定取消はえん罪救済に逆行 裁判所の後進性を示す

livedoorニュース 2018年06月12日 猪野 亨

 東京高裁は、静岡地裁の袴田巌さんに対する再審決定を覆しました。

 弁護団が行ったDNA鑑定の科学的原理や有用性に深刻な疑問があるとして、鑑定の信用性を否定しましたのですが、袴田さんの死刑執行停止・釈放は維持するという歯切れの悪い決定となりました。

そもそもこの事件では再審決定をしないこと自体が不当な事件です。

 「「袴田事件」第2次再審請求即時抗告審決定に対する会長声明」(日弁連)

 事件捜査の経緯をたどってみても、事件発生から1年2か月後に味噌醸造タンクの中から5点の衣類が発見されたなどと不可解な経緯で「新証拠」が出てくるなど、証拠がねつ造されたのではないかとさえ言われている事件です。

 現在では、このようなことをすれば、早晩、必ずばれてしまうのですが、ねつ造かどうかはともかく、少なくともこれだけ疑義のある証拠で死刑判決が下せるのかという問題です。

  疑わしきは罰せずという大原則からは無罪が当然のものです。

  ところが再審という手続になってしまっているため、新証拠が必要ということになります。裁判の性質上、何度もやり直しをしてくれということにならないので、確定判決を覆す以上、新証拠が必要というのは当然の前提にはなるのですが、しかし、それは適正な刑事訴訟手続が行われていた場合に言えることです。

袴田事件では、どう考えても現代の視点からは無罪になって当然というレベルの粗雑な手続です。

 これまでの再審決定事件はいずれもその後の再審で無罪となっていますが、再審決定がなされると、通常はそのまま無罪判決が既定路線となっています。

 それは再審決定のハードルをあまりに上げすぎているからです。要は「新証拠」によって無罪を確信するようなものでない限り、再審決定はしないというのが裁判所の発想なのです。

 今回の東京高裁の決定は、死刑執行停止、保釈決定を維持したことは、えん罪であることを認識しながら、なお再審決定を取り消したようでもあり、最初から結論ありきだったようにも見えてしまいます。

 袴田事件では再審が開始さえされてしまえば、極論すれば「新証拠」がなかったとしても無罪判決が得られなければならない、そういったえん罪事件です。

 本来であれば、積極的に過去の負の遺産であるえん罪事件として裁判記録を精査し、裁判をやり直すべきものです。

 未だに東京高裁だけでなく、裁判所全体が過去の負の裁判の歴史を直視できないことに病理があります。

  有罪判決に固執する検察も同様に問題です。

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冤罪を正さない裁判所

 2018年03月22日 | 社会・経済 に取り上げた記事です。
その中から一部を抜粋しています。

 雨宮処凛がゆく!第440回 2018年3月7日

 獄中半世紀の袴田巌さんに会った!! 〜冤罪青春グラフィティ「獄友」も観た〜の巻(雨宮処凛)

 冤罪問題について腹立たしいことはあまりにもありすぎるが、もっとも疑問なのは、その責任を「誰一人としてとっていない」ということだ。

 無罪が確定したとしても、当時彼らを自白に追い込むほどに暴力的な取り調べをした警察、そして検察や裁判官などは、誰一人として罪に問われてなどいない。もちろん、DNA鑑定をした人も、それを証拠として有罪とした人もだ。その中には、上司に「無能と思われたくない」がために厳しい取り調べをした者や、自己保身や組織のメンツばかりを優先させた者が多くいる。拘置期間が何十年に及ぼうとも、弁護団や支援者が声を上げ続けなれば放置されていただろう。

 誰も責任をとらないシステム。原発問題をはじめとして、日本の構造はこの一言で言い表わせるわけだが、ここでも組織防衛のために、「国」という真空地帯に責任は丸投げされた。権力と言われるものの中心はいつも空洞で、「ただいま、担当者は席を外しております」というアナウンスがずーっと流れているだけ。それが私の思う、この国の中枢のあり方だ。

  集会の日、菅家さんは、権力サイドにいる誰一人として「一言も謝っていない」ことを怒りを込めて語った。無罪が確定した人にだって、謝罪の言葉は何ひとつないのだ。

 


 袴田事件 東京高裁、再審開始認めず

2018年06月11日 | 社会・経済

【警察24時の裏】警察、検察、裁判所を信じるな! 袴田事件は八百長1 審判が買収されている状態 最高裁事務総局の司法官僚(強奪の米占領兵士達)が忖度する八百長裁判

 

東京高裁、再審開始認めず

  毎日新聞2018年6月11日

 1966年に起きた「袴田事件」で死刑が確定し、2014年の静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌元被告(82)の即時抗告審で、東京高裁(大島隆明裁判長)は11日、地裁決定を取り消し、再審請求を棄却した。静岡地裁の決定の決め手となったDNA型鑑定は「種々の疑問があり、信用できない」とした。弁護側は高裁決定を不服とし、最高裁に特別抗告する可能性が高い。
   今後、審理は特別抗告審に移るとみられるが、地裁と高裁の判断が分かれたことで、袴田さんの再審開始の可能性は不透明な情勢となった。高裁は、死刑と拘置の執行停止は取り消さなかった

  地裁は14年3月、確定判決で犯行時の着衣とされた「5点の衣類」について、「血痕が袴田さんや被害者と一致しない」とする弁護側のDNA型鑑定などを「新証拠」と認めて「後日捏造(ねつぞう)されたとの疑いを生じさせるもの」と結論づけ、再審開始決定を出した。

 同時に地裁は、死刑と拘置の執行を停止する決定も出し、袴田さんは逮捕から約48年ぶりに釈放された。検察側は、地裁決定を不服として即時抗告した。

 即時抗告審の東京高裁は15年12月、地裁で新証拠の一つと認められたDNA型鑑定(筑波大の本田克也教授が実施)の検証を決定。検察側が推薦した鈴木広一・大阪医科大教授に検証を依頼した。

 鈴木氏は昨年6月、本田氏が鑑定で用いた「特別なたんぱく質」が「DNAを分解する成分を含んでいる」などとして、鑑定手法を否定する報告書を高裁に提出。弁護側は「鈴木氏の検証は本田鑑定と同じ器具や手法を用いておらず、高裁から求められた(本田鑑定の)『再現』をしようとしていない」などと反論した。こうした経緯から、対立する2人の専門家の意見を踏まえ、高裁がどんな判断をするかが注目された。

 過去の死刑確定事件では、免田(発生は48年)▽財田川(同50年)▽島田(同54年)▽松山(同55年)の4事件で再審無罪が確定している。【石山絵歩】

 

 【ことば】袴田事件

 1966年6月30日未明、静岡市清水区(当時・清水市)で、みそ製造会社の専務の男性(当時42歳)方から出火。焼け跡から、専務と妻(同39歳)、次女(同17歳)、長男(同14歳)が他殺体で見つかった。元プロボクサーで同社従業員の袴田巌さんが逮捕、起訴され、公判で無罪を主張したものの、80年に最高裁で死刑が確定。第1次再審請求は2008年に最高裁で再審不開始が確定したが、第2次再審請求に対して静岡地裁が14年に再審開始を決定。検察側が即時抗告し、東京高裁が審理していた。


BABYMETAL2

2018年06月11日 | 音楽

 2018.10.27追記

 

KOBAの失敗

 

 「この3人なら何でもできる」それがBABYMETALなのだ。

 

Suの類いまれな歌声、yuiとmoaの楽しさと幸せ感。この3人を見ているととてもhappyになる。楽しそうに歌い、踊る3人を見ているとこちらも楽しくなる。この3人だから。

 

  藤岡幹大の「死」による「心の傷」がyuiをステージから遠ざけたとわたしは考えていたが、もう一つ大きな問題があったのだと思う。それは「新体制」への不安と不満だ。

ようやくその「傷」も癒されてきたのだが、復帰する場所がなかった。努力してきたが結局なじめなかったのかもしれない。以前と同じsu,moa神バンドのメンバーがyuiを温かく迎えるべきだった。ダークサイトはそれが基本ではないのか。
成長の早さに目を奪われてしまったような感じがする。!

 

 

 

 

 

  2017.10.9BABYMETALを初めて記事にしたが、これまでに2500ものアクセスをいただいている。チョコチョコと追記事として書いてきたが、いま改めて記事にしたいと思った。

 欧州公演も9日のDownload UKで終わり、今年のワールドツアーが終わったことになる。アメリカ公演を休んだyui-metalの動静が話題になっている。今回の欧州公演も大いに期待したのだが、やはり姿を現さなかった。昨年暮れの広島公演に次ぐ休演ということで、さまざまな憶測が流れ、yui-metalのファンにとっていたたまれない状況であろう。

 そこで、私も「科学的」憶測をご披露しよう。

 それにしても何ら公式発表がなされないということに疑問がわく。ただ「病気」としか発表はない。それは、かなり繊細な問題ではなかろうか?
 その問題とは、「藤岡幹大」。
年末の広島公演とその後のワールドツアーのyui-metalの休演の理由は違うものと考えられる。
 広島はおそらくインフルエンザか捻挫か、そんな類のもの。
そして藤岡の年末の事故、年明けの急死。
まだ高校を卒業する直前の多感な少女にこの訃報は、大きな傷となったはずだ。まだ幼い娘2人を残しての旅立ちだった。
 彼女はおそらく藤岡にギターを習っていただろう。そこではいろんな話が出ただろう。彼の幼い娘たちの話も。
 彼女のナイーブな性格は、メイトたちには十分理解されていたと想っていた。公演に向けての練習にもおそらく身が入らない状態であったことは想像できるのである。今、彼女は「喪」に服しているのだ。静かに復活を待とうではないか。
 そして今回の「ダークサイト」。これは「藤岡追悼公演」と位置付けられる。
 これがわたしの憶測である。

画像はwww.babymetal-darake.com/entry/2018/04/23/233735より

 


いや~ぁ、1.9℃だったわ!

2018年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝の予想最低気温、3℃から夜に確認すると4℃に変わっていたので、少しほっとして眠ったのだが・・・
 ハウスに設置してある温度計を見てビックリ。もう一つの温度計も確認したが同じだった。雪が降ってもおかしくはないが、昨夜は晴天だった。
 明日は少し上がるが予報は7℃。もうしばらくはこんな感じのようだ。

 ところで、ハウスにノラが入り込んでいる。わたしが入っていくと驚いて奥の方へ逃げていく。手なずけようと優しい声で呼びかけるのだが効き目がない。苗箱の上からジャンプ。そして爪を立ててビニールの天井めがけて登っていくではないか。そして逃げ道がないとわかると苗箱の上に着地。
おお!なんてこった!

 


 

パックンが日本のお笑い芸人が権力批判できない理由について鋭い考察!「目に見えない制裁が目に見えるからだ」

  リテラ 2018.06.10.

 

  NEWS・小山慶一郎と加藤シゲアキの未成年飲酒強要事件で、あらためて芸能人が報道番組に携わることの是非が議論になっているが、この問題は、なにも彼らの不祥事リスクが高いからというだけではない。

 その解説やコメントの質の問題だ。いま、数多くのワイドショーにお笑い芸人がコメンテーターとして登場しているが、そのほとんどは権力に迎合し、空気を読んだ当たり障りのないことしか語れない。

 その問題について、お笑いコンビ・パックンマックンのパックンことパトリック・ハーランが非常に鋭い考察を開陳している。

 「週刊ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)2018年5月15日号でのことだ。まず、パックンは日本のお笑い文化についてこのように断言する。

 〈100%の確信を持って「すごいです」と答えよう。とりあえず即答だ〉

 言っておくが、これは、ネトウヨ相手に「日本すごい」を連発しているケント・ギルバート的なそれではない。というか、そのパロディという意味合いも含めた「すごい」だ。

 アメリカから来たばかりの頃のパックンは、他の多くの外国人同様、日本のお笑いの何が面白いのかわからず、「リアクション芸」も「漫才」もまったく理解できぬまま〈「スリッパで頭をひっぱたくだけで笑いがとれるこの国ってすごいね〜」と、軽く蔑視していた〉という。

 ただ、芸人として実際に日本でお笑いをやっていくうちに、その考えは180度変わる。嘲っていた日本の笑芸には、実は卓越した技術が必要であることがわかってくる。ダチョウ倶楽部のような芸をするのにもセンスが必要であり、ただ「スリッパで頭をひっぱたくだけ」ではなかったのだ。

 これがポジティブな意味での「すごい」。しかし、パックンは同時に、このように続ける。

 〈日本は忖度の国。体制側からの圧力は「すごい」〉

 パックン「暗黙の了解を破ったらほぼ間違いなく芸能界から干されてしまう」

  日本のお笑いの、権力への迎合については、日本の脳科学者の茂木健一郎氏が「社会風刺を芸に昇華させることが出来ない日本のお笑い芸人は、国際的な基準と照らし合わせるとあまりにレベルが低く、オワコンである」と提言して大炎上。松本人志や太田光らがいっせいに反発した騒動は記憶に新しい。

  これに対して、パックンは〈欧米のコメディーをグローバルスタンダードとし、それに当てはまらないだけで日本のお笑いを否定することは行き過ぎだと思う〉としながら、日本の芸人たちが欧米的な風刺芸をできないのには権力側からの圧力という構造的な問題があると語るのだ。

 〈それは目に見えない一線を越えたときの制裁が、目に見えるからだ。企業が怒ると広告が消える。政治家が怒ると、同じ政党の政治家も取材に応えないことがある。この仕返しは当の番組だけでなく、その放送局の全番組まで対象になり得る。そんな環境では、芸人は当然自粛する。もちろん、この暗黙の了解を破る選択はある。しかし、それを選択したら、ほぼ間違いなく芸能界から干されてしまう〉

  パックンのこの指摘は、日本の芸能界、テレビの本質を鋭く抉るものだ。けっして、表立った圧力があるわけではないし、パックンの言うように、「暗黙の了解を破る権利」はあるが、テレビで政権批判やタブーに踏み込んだ発言をした芸能人は十中八九、メディアから呼ばれなくなる。一方で、安倍政権をヨイショし、弱者叩きやヘイトすれすれの中国韓国批判を口にするようなタレントは、ひっぱりだこになっていく。その現実を、お笑い芸人たちは「目に見えて」わかっているのだ。だから、恐怖に怯え、過剰に空気を読み、体制に迎合する発言をしていく。

 そういう意味では、この期に及んで「日本だって政治ネタだってできる、面白くないだけ」などとゴマカシを口にしていた太田光なんかよりも、パックンのほうがはるかに、日本の社会やメディア、芸能界の構造をきちんと分析できているというべきだろう。

アメリカのマネのキャッチコピーに騙される日本国民に警告するパックン

 実は、パックンの鋭い日本社会批評はこれだけではない。たとえば、ニュースサイト「週プレNEWS」に掲載されたインタビューでは、小泉政権以降の日本の政治について「『これはアメリカのパクリだな』っていう動きがたくさん見られます」とバッサリ切り捨てていた。

 自民党が模倣し続けたというのは、政策面ももちろんそうだが、特にパックンが着目するのは「言葉」だ。

 たとえば、「安倍首相の『日本を取り戻す』も、共和党のジョン・マケインが選挙キャンペーンで使っていた『テイク・バック・アメリカ』そのまま」と指摘。

 また、「『戦後レジームからの脱却』ですね。この辺のマジックワードも、まさにアメリカのレトリックを倣っていると思います」とも語っている。

 パックンが指摘したこれらの言葉は、矛盾していることだったり、細やかな議論が必要なことだったりを、単純なロジックで覆い隠すためにつくられたキャッチコピーだ。つまり、響きの良い甘言で国民の目を潰す詐術である。

 また、パックンは「保守とは何か? 本来は現状を守るとか、古き良きを守るとかいう意味でしょうけど、日本の保守もアメリカの保守も『改革、改革!』と言っています。それ、保守じゃないじゃん!っていう」とも指摘。そして、このようにまとめていた。

 「言葉には『意味』があるべきです。『矛盾している言葉を使ってはいけない』と野党は強く訴えないといけない」

 商売で「日本スゴイ」を連発しているケント・ギルバートのような連中に騙されていい気持ちになっている暇があったら、こういう客観的で知的な視点をもった外国人の意見に、もっと耳を傾けるべきだろう。(編集部)


明朝の予想最低気温3℃

2018年06月09日 | 自然・農業・環境問題

 日中は、幾分低めの気温でしたが、それでも薄日が入るとハウス内は30℃を超えます。
3時を過ぎると冷たい風に変わりました。ハウスを全部閉め切って、さらに保温資材をかけてきました。


サクランボのようですが、藤の太いツルが巻き付いて、これも危なさそう。

これは何だかわかりません。


みつぎ

2018年06月09日 | 社会・経済

日米首脳会談後にトランプ暴露 安倍首相が数十億ドル献上

  日刊ゲンダイ 2018年6月8日

 12日にシンガポールで行われる米朝首脳会談を目前に、トランプ大統領がまた“迷走”だ。

 トランプ大統領は日本時間の8日未明に行われた日米首脳会談後の共同記者会見で、米朝首脳会談で、朝鮮戦争(1950~53年)の終結合意に調印する可能性があると明らかにした。

 トランプ大統領は今秋の米議会中間選挙や2020年の自らの大統領再選に向けて、「歴史的偉業」をアピールすることで頭がいっぱいだ。

 そこで目を付けたのが、朝鮮国連軍と北朝鮮、中国の間で休戦状態にある朝鮮戦争の「終結」だ。朝鮮国連軍の司令部は今も韓国・ソウルにあり、在韓米軍のブルックス司令官が同軍司令官を兼務している。

  「戦争終結」となれば、朝鮮国連軍は撤退しなければならないが、実動部隊は常駐しておらず、実態はない。「朝鮮戦争終結」はトランプ大統領にも、金正恩委員長にも受け入れやすい「歴史的偉業」というわけだ。

 一方、安倍首相は会見で「トランプ氏は北朝鮮が(非核化に向けて)行動するまで制裁を解除しないと言っている。日米は完全に一致している」と胸を張ったが、その裏でトランプ大統領に莫大なプレゼントをしていたことが発覚した。トランプ大統領が同じ記者会見で「安倍総理は先ほど軍用機や航空機、それに農産物など数十億ドルに上る米国製品を購入すると約束した」と暴露したのだ。

   一体どれだけの血税をドブに捨てれば気が済むのか。こういうヤカラを「売国奴」と言うのだ。


「パパ、ママいらん」

2018年06月08日 | 社会・経済

 「パパ、ママいらん」でも「帰りたい」 亡くなった5歳児が、児相で語っていたこと

 モデル体型でないと許さない。両親の厳しすぎる「しつけ」とは

 ハフポスト 2018.6.8Shino Tanaka  

 

 東京都目黒区で3月、船戸結愛ちゃん(5)が死亡した。虐待をしていた疑いで、父・ 雄大容疑者(33)と母・ 優里容疑者(25)が警視庁に逮捕された。

  結愛ちゃんは、2018年1月に東京に来るまで、一家で香川県善通寺市に住んでいた。

 県や児童相談所は、どのように対応してきたのか。

  県の記録からは、一家のいびつな関係が浮かび上がってきた。

 「子どもの泣き声がひどい」

  県西部子ども相談センター(児童相談所)が、初めて虐待の疑いを認知したのは、2016年の夏だった。

 この年、優里容疑者は雄大容疑者と再婚。

 雄大容疑者は4月に隣の三豊市の会社で働き始めたという。

 8月25日、近所の人が「子どもの泣き声がひどい」と児相に通報した。

  優里容疑者は、19歳で結愛ちゃんを妊娠したとき「若年妊婦」として善通寺市の保健師がケアしていた。児相は市の保健師に問い合わせたが、出産当時の記録では、虐待をする兆候や育児に困っているような相談歴もなかった。

   児相は、結愛ちゃんが通う幼稚園に問い合わせたが、園の回答は「特に問題はない」。家を訪ねたが不在だった。

   これらの情報から、児相は保護ではなく「簡易相談事案」として様子を見ることにした。

 クリスマス、結愛ちゃんを一時保護

 翌9月には、弟が生まれた。

 9月5日の記録には「第2子出産のため、健診などで結愛ちゃんのフォローを」などと記された。

   その後は通報なども無かったが、12月25日のクリスマスの日に、結愛ちゃんが一人で外に出されているところを、近所の人が目撃。通報から香川県警が結愛ちゃんを保護し、児相が対応することになった。

   この時、病院では「下唇が切れ、まぶたの上にはたんこぶがあった」と診断された。担当した医師は「日常的な虐待の傾向がある」と診断書に記した。

   結愛ちゃんは軽度の傷ではあったが、虐待ケースとして児相に一時保護された。

 一時保護施設では、担当の職員にとてもなついており、楽しそうに過ごしていたという。

 担当職員は結愛ちゃんについて「かわいらしく、よく甘えてくる子だった。そして明るく、とても人懐っこい子どもだった」という印象を持っていた。

 結愛ちゃん「うまく言えない」と父に手紙

   年が明けた2017年の1月29日、親子面談があった。お父さんへ言いたいことはないか、と問われた結愛ちゃんは「気持ちを口でうまく言えない」と言った。

   雄大容疑者は結愛ちゃんに手を挙げたことを認め、「悪かった」「もうしない。できるだけ優しくするから、いい子にしててくれ」などと謝った。

   結愛ちゃんは、久しぶりに会った両親を「バイバイ」と、元気に見送った。言えない気持ちは「手紙にする」と話し、覚えたての文字ですらすらと手紙を書いていたという。

   この親子面談の様子、そして幼稚園での見守りで毎日様子を確認できるという判断で、2月1日、一時保護が解除された。結愛ちゃんは自宅に戻った。

   雄大容疑者は、香川県警に傷害容疑で書類送検されたが、のちに不起訴になった。

   初めての一時保護だったので、指導措置は付かなかった。この措置が付くと、保護者は児童福祉司の指導を受けることになり、従わない場合は子どもが一時保護されたり、強制入所させられたりする。

 「措置がないからと言って、何も無いわけではありません。常に様子を見て、とにかく本人確認ができる体制を整えるため、家庭訪問をつづけ、民間との連携を進めていた」と県の職員は話す。「この頃は、行政の呼び出しや指導にも、拒否することなく応じていた」という。

 月23日、幼稚園からの聞き取りでは「元気で変わりないが、食べすぎる傾向があった」と報告されている。

   父親は、普段は仕事で忙しく、帰宅は深夜に及ぶことが多かった。そのため、子どもたちと話す時間はほとんどなかった。

 その後、3月14日の家庭訪問では「徐々に父子関係に改善が見えてきていた」という。

 パトロール中の警官が見つけ、2回目の保護

   児相から一家を注視するよう伝えられていた地元の丸亀署では、警官が頻繁に見回りにまわっていたという。

 3月19日、一人で外にいた結愛ちゃんを警官が目撃した。

 母は「一緒に遊んでいて、私だけちょっと家に戻っていただけだった」と話した。

 しかし、結愛ちゃんはけがをしている様子で、署で身柄を保護し、病院での診察をすることになった。

 舌が切れて唇に赤い傷があり、両膝には擦り傷、お腹には5cm程度のアザがみられた。

 傷について問われた結愛ちゃんは、病院の医師に「お父さんに叩かれた」と訴えた。

 だが、両親は「転んだだけ」「叩いたわけでない」と否定した。

 この件を受けて、2回目の一時保護が決定した。

 このころ、結愛ちゃんは「パパ、ママいらん」「前のパパが良かった」と言うようになっていた。

 だが、5月14日の親子面談では、一時保護所の心理士に「おもちゃもあるし、お家に帰りたい」と話すこともあった。

   児相は、育児支援対策室やこどもメンタルヘルス科のある善通寺市の四国こどもとおとなの医療センターに協力をあおぎ、結愛ちゃんが病院のセラピーを受けることや、祖父母の家に定期的に預けること、叩かないことなど五つの約束を両親ととりつけた。

 雄大容疑者は5月にも傷害容疑で書類送検されていたが、再び不起訴になっていた。

 そして児相は、7月31日に、指導措置付きで保護を解除した。

 5歳児に対し過大な期待「モデル体型を維持」

   父親は、児相の聞き取りに対し「きちんとしつけないといけないから」と繰り返し説明していた。

   県の職員は「5歳児に対して、父親が過大な期待をしていた。とにかく養育や作法について、強いこだわりが見えた」という。

 細かなこだわりは、結愛ちゃんの言動からも推し量られた。結愛ちゃんは職員に対し「勉強しないと怒られるから」と伝えていた。

 人に会うときは、しっかりおじぎをして、あいさつをしないといけない。

 ひらがなの練習をしないといけない。

 はみがきは自分でやり、怠ってはいけない。

 太りすぎてはいけない。

   また、雄大容疑者は体重に対しても異常に気にするそぶりがあり、優里容疑者に「子どもはモデル体型でないと許さない。おやつのお菓子は、市販のものはダメだ。手作りしろ。野菜中心の食事を作れ」と言っていたという。

   また、一時保護を解除したときにした「祖父母の家に定期的に預ける」という約束も、「祖父母は子どもを甘やかす。歯磨きすら一人でできなくなる。だからもう行かせたくない」などと言い、だんだんと預けることがなくなったという。

 虐待の兆候が見分けにくかった

   結愛ちゃんは、家に戻されてからも、週に1~2回程度、善通寺市の子ども課(児童センター)か四国こどもとおとなの医療センターに通うようになった。

   一時保護が解除されて一週間ほど経った8月8日、児童センターに結愛ちゃんと優里容疑者が来なかったことを不審に思った職員は、児相に連絡を入れた。

だが、特に虐待の兆候が見られたわけではなく、8月中も結愛ちゃんは4回児童センターへ来た。

 その後「児童センターは遠くて通いにくい」という優里容疑者の申し出から、家に近い医療センターへ通うことになった。

 8月30日、医療センターに訪れた結愛ちゃんを、医師が診察したところ、けがをしていることが分かった。

 医療センターは児相へ報告。「こめかみにアザがあり、太ももにもアザがある」と伝えた。

   優里容疑者は、けがを特に隠す様子はなく「気が付かなかった。私は見ていないので、分からない」と返答。

しかし、結愛ちゃんは「お父さんが叩いたの。お母さんもいたんだ」と訴えた。

 これに対し、優里容疑者は「最近、結愛はよく嘘をつく。家ではしつけも厳しいし、一時保護所の居心地が良かったので、そこに行きたいがためにそういうことを言っている」と説明をした。

   アザは数cmであったことや説明などから、児相は虐待と判断するかどうか見極めが厳しかったという。

   なにより、一時保護をしたくても、2カ月以内の短期的な親子分離はできるが、長期的な分離を考えたとき「家庭裁判所の許可が下りないレベル」(※文末の補足を参照)と判断。

   親との関係性を築き始めたなかで、無理やり一時的に親子を引き離す「介入的関わり方」をした場合、対立的関係になり、かえって親の児相に対する反発を強めて、児相が関われなくなる恐れがある。

   寄り添って親のケアを含めて関係を切らないことが安全だとし、引き続き、医療センターなどを通じて見守りをしていくことに決めた。

 この騒動後、児相は9月8日に家庭訪問をしている。

   このとき、優里容疑者は結愛ちゃんの最近の様子について職員に「父親が怖い、という気持ちはあると思う。だけど、父親は遅くに帰ってくるので、接する時間が少ない。なので、ぎこちないけれど話をすることもある」「土日には祖父母のところに行っている」と言った。

   父親の雄大容疑者についても「できないと、すぐ怒って手を上げてしまっていた以前とは、違うように接している」と説明した。この日、結愛ちゃんにアザは見られなかった。

 ただ、9月13日に様子を確認した際に、太ももにまたアザが見られた。しかし、この日結愛ちゃんは、父親に殴られたとは言わなかった。8月末と同じように、一時保護ができるレベルではなかったという。

   幼稚園を辞め、日々の確認も難しくなったので、警察署や病院、市の子ども課と連携をし、定期的に結愛ちゃんの様子を直接確認できるように体制を強化した。

 これ以降、結愛ちゃんにアザなどのけがは確認されなかった。

 週2回ほどのアートセラピーが好きだった

   このころ、結愛ちゃんは医療センターで行われていたアートセラピーが好きで、週に2回ほどの頻度で通っていたという。

   このセラピーは、言葉でうまく気持ちを表現できない子どもや、自己主張が苦手な大人でも利用される手法のひとつだ。

アート(芸術)とサイコセラピー(精神療法)の二つの要素を併せ持ち、絵を描いたり話したりしながら、自分の思いを表現していく。

 結愛ちゃんの生活にも、改善の兆しが見えていた。

   10月23日の家庭訪問では、ニコニコと笑顔を見せて会話をし、月末に訪問した時は、「どうぞ」と元気よく玄関を開け、職員を迎え入れてくれたという。

 アートセラピーについては「いろいろ話を聞いてもらえる」ととても気に入った様子だったという。

 だが、優里容疑者は「もうすぐ仕事の都合で、東京へ引っ越すことになっている」と話すようになっていた。

   優里容疑者は「引っ越しても、同じような病院を紹介してもらう」と職員へ伝えていた。しかし、「もうすぐ小学生にあがるので、期間が短いし、幼稚園や保育園には預けるつもりはない」とも言っていた。

   転居によりケアが途切れることを恐れた児相職員は「社会的なつながりが途絶えてしまう」と懸念し、園に入るよう強く勧めた。

 雄大容疑者が先に東京へ、体重も増えてきた

   11月末の家庭訪問では、少し陰った表情をしていたという結愛ちゃん。しかし12月に入り、雄大容疑者は先に東京へ引っ越した。

   週1回ほどのペースで体重を量っており、だんだんと体重は増え、2018年1月上旬には16kgを超えていた。

   結愛ちゃんにけがもなく、健康的な生活ができていたため、検診をした1月4日、児相は所内協議をして指導措置を解除した。「父親がいなくなったからもう大丈夫、などという安易な判断ではなかった。親子としての改善ができてきたように見えていた」という。

 児相は解除の理由について「指導ではなく、ケアや支援が必要なケースだった」と話す。

 緊急性が高いケースとして移管

   結愛ちゃんたちは後追いで「1月8日に引っ越す」と優里容疑者は伝えていたが、転居先についてはかたくなに言わなかった。

   1月中旬に結愛ちゃんと弟を連れ、優里容疑者は東京へ行った。それを受け、児相は1月18日に市を経由して転居先を調べた。

  1月23日に転居先が分かり、すぐに管轄である品川児童相談所へ連絡をした。

   1月29日には「緊急性の高い案件」としてケース移管することになった。担当者は「すぐにでも本人に会って確認をしてほしい。指導措置は4日に解除になっているが、指導を積極的に続けてほしい」と伝え、数百ページあった2016年8月からの全記録を送付した。

   弟の健診もあるため、引継ぎの際には「健診の時に結愛ちゃんの確認をして」とも頼んでいた。

   品川児相は「転居で環境も変化している。どこまでできるか分からないが、対応は考える」と答えた。品川児相では緊急受理会議が開かれ、ケース移管の受理が決定した。

   しかし、その後2回ほど「ケース移管でしたか?情報提供でしたか?」と問い合わせがあるなど、すれ違いが見られた。

   県はそのたびに、「ケース移管であり、緊急性が高い。終結したケースではない。早く会って本人確認を」と伝え、2月5、6日には母親に電話を入れた。

 しかし、優里容疑者が電話に出ないため、7日に雄大容疑者へ電話をした。

 雄大容疑者は児相を拒否

   品川児相に引き続きケアをお願いしている旨を伝えると、雄大容疑者は「それはなんなんだ。強制なのか?任意なのか?」と憤りを見せた。「あいさつもしており、地域の行事にも参加している。近所とのかかわりもあるのに、児相の職員が訪ねてくるなんて、周りから変な目で見られるので嫌だ」と受け入れる余地がなかった。

   県は「引っ越したばかりで落ち着かないだろうから、香川県の児相もまだ関りを持たせてもらいます」と伝え、品川児相についての紹介をした。

 しかし、2月9日に品川児相が家庭訪問をした際、結愛ちゃんには会えなかった。訪問の連絡をしていなかったこともあり、対応した優里容疑者は「弟はいるが、結愛は出かけていていない」と答えた。

 連休が明けた2月13日、県が品川児相へ確認の連絡を入れると「信頼を築くにはまだ時間がかかる。警戒されてしまった部分がある」と伝えられた。

   県の職員は焦りを募らせていた。この職員は取材に「指導措置があるから対応する、措置がないから安全というわけではないのは、分かっていると思っていた。香川にいたときは少なくとも週に1~2回は本人に会えていたので、かなり心配な状態だった」と話した。

   一方で、医療センターも「母親と連絡が取れない」と心配し、品川児相にいままでのアートセラピーの情報やあちらの医療機関について伝えるため、資料提供を申し出ていた。

 姿を見せない結愛ちゃん

 すでに結愛ちゃんが東京へ引っ越してから、1か月が経とうとしていた。

   幼稚園や保育園にも通わされず、ほとんど周囲とのつながりを断たれていたとみられる結愛ちゃんは、弟の健診にも、そして2月20日にあった小学校の説明会にも、現れることはなかった。

 この間、品川児相が本人の姿を確認することは一度もなかった。

 そして、3月2日、結愛ちゃんは12㎏まで痩せた状態で亡くなった。

   品川児相は3月に事件が発覚した際、取材に対し「香川県から援助を引き継いだものがなかった。そのため品川児相の援助方針が決まってないなかった」などと回答していた。

   なぜこのような痛ましい事件を防げなかったのか。現在、香川県と東京都で、検証が進んでいる。

 【補足:長期の親子分離について】

   厚生労働省によると、長期にわたって親子分離をしようとするには、施設へ入所させるなどの措置をとるが、その場合、原則として親権者の同意が必要だ。

 一時保護は児相の判断で実行できるが、児童福祉法に基づき、原則2カ月以内と定められている。

 その期間内に子どもを家に戻すかどうかを、児相は判断しなければいけない。

 親権者などが長期の分離に同意しない場合、児童相談所の所長が、家庭裁判所に「児童福祉法28条1項の承認の審判」(28条審判)を申し立て、そこで承諾を得る必要がある。

 家庭裁判所が審判で承認を出す条件は、「児童を虐待し、著しく監護を怠り、保護者に監護させることが著しく児童の福祉を害する場合」。

   今回のケースで、香川県の児相(西部子どもセンター)が、「家庭裁判所の許可が下りない」としたのは、結愛ちゃんの虐待について把握した事実では、「28条審判」を申し立てても、家裁の審判で長期分離が認められる条件を満たさないだろう、と判断したことを指す。


役所

2018年06月07日 | 社会・経済

役所の母子支援窓口で感じたこと

 情報・知識&オピニオンimidas 2018/06/06

  仁藤夢乃“ここがおかしい”第25回

   先日、○○市の区役所へ未成年であるA子の相談に同行した。彼女は親から虐待を受けて育っていて、Colabo(コラボ)と繋がっていた彼女の友達の紹介で、15歳の時に私と知り合った。Colaboで一時的に居場所を提供した後、弁護士や児童相談所と協力して親との関係を断ち、ある施設に入所したが、厳しいルールやスタッフの指導になじめず黙って出てきた。

 数日後、「こんなことになってごめん。うちにはもう耐えられない。今いる場所は教えられない。危ない所にはいないから安心して」と連絡があった。

 施設関係者や児童相談所は、彼女を心配し、また自分たちの責任問題にも関わることから彼女を探していたが、彼女は児童相談所に追われるのを恐れて、支援者たちと連絡を絶とうとしていた。というのも、A子は過去に一時保護所(児童相談所に付設された18歳未満の子どもを留め置く施設)という所にも入所した経験があり、そこでの生活が管理的で窮屈であったため、また自分の自由が奪われるような所に連れていかれるのではないかと恐れたのだ。

 居場所を関係者に伝えないことを約束して彼女と再会すると、彼女は友達に「寮付きで働ける」と声を掛けられて、店長もボーイもスタッフの女の子たちも全員が16歳という違法な夜の店で働き、そこで働く少年少女たちだけで生活を始めていた。当てがあったから施設を出ていったのだと言うけれど、その時、私は「よりましな選択肢」を提示できなかったことが悔やまれた(こうした経験を重ねる中で、少女たちがいつでも気軽に泊まれる場所を作りたいと、のちに私たちはシェルターを開設した)。

 夜の店からは抜けられたものの

  Colaboでは、たまにお茶をして、近況を聞いたり話したりする関係を続けていた。

 ある日、「店を辞めたくても辞めさせてもらえない。彼と一緒に逃げたいが、匿ってもらえる所を知らないか?」と連絡があった。店で働く男の子と付き合い始めたことをきっかけに、オーナーに仕事を辞めたいと申し出ると、店のバックに暴力団が付いていることをちらつかせながら「辞めたらどうなるか分かっているか。△△(地名)を歩けなくさせてやる」と脅されたという。

 こういう場合、今であればColaboのシェルターにまず来て泊まってもらうことを提案できるが、当時は私自身もパートナーと暮らす自宅を開放して宿泊所に充てており、その時は私が地方へ出張中ですぐに迎えに行くということができなかった。すると数日のうちに彼の親がアパートを借りてくれ、そこに住めることになったという。心配ではあったが、彼の両親は良くしてくれていると言い、彼女はそこで暮らすことを決めた。

 働いていた店に対しては、給料の未払いや違法な仕事の強要など、本人が望めば店に対して法的手段を取ることも考えられた。が、彼女が未成年で、しかも家族を頼れない状況で違法行為に関わったことを公的機関が認識した時、「非行」や「犯罪」に関わったとして補導や取り調べの対象になったり、見守る大人がおらず、帰れる家もないという理由から(もちろん関わった事件や補導歴などの内容によるが)少年院行きになったりする可能性もあることを、彼女はそれまでの生活を通して感じていた。

 子どもができて生活が変わった

 A子は親や児童相談所に連絡されることを拒んでいて、仕事や生活の中で性被害に遭っても警察に行くことはできなかったし、弁護士にも頼りたくないと言っていた。「18歳になるまでは、児童相談所と関わらないために身を隠して生活する」と言い、その後しばらく連絡を取ることがなかった間に、彼女は妊娠した。

 彼の両親が連れて行った病院のソーシャルワーカーの勧めで、行政の支援を受けながら出産ができた時点で連絡をもらい、様子を見に行くと彼の職場の寮で過ごしていた。

 家には定期的に保健師が家庭訪問をしていて、行政の支援も受け入れ、役所の人とも関わりながら子育てをする彼女の姿に、子どものためにいくつもの決断をして努力しているとのこと。彼女の力を改めて感じ尊敬した。

「子どもができてから生活が変わり、自分の時間や、おしゃれや好きなことに使えるお金もなくなった。同年代の友達と話も合わなくなって、出掛ける機会もなくなった。彼に対していろいろ思うところもあるけれど、愚痴れる人もいない。でも、今はこの子といられることが幸せ」と言って、赤ちゃんを抱いていた。

 彼からのDVに悩みながら、家を出るにも出られず、ほぼ毎日家の中だけで過ごす彼女たちが気になって、月に1、2度様子を見に行くようになった。出産を控えた別の女の子と一緒に彼女の家を訪ね、子ども服やベビーカーのお下がりをもらったこともあった。

 母子生活支援を求めて区役所へ

 彼との別れを考え始めた頃、スーパーで子どもを抱えたA子を、彼女の親の知人が偶然見掛けたことをきっかけに彼女は両親と再会。彼と別れ、実家に戻ることにしたと連絡をもらった。戻ってしばらくは家族とうまくいっていたが、数カ月でかつてのような関係に戻ってしまい、このままでは自分にとっても、子どもにとっても良くないと考えた彼女は「家を出る方法はないか?」と相談してくれた。

 彼女は自分でお金を貯めて家を出ることも考えたが、アルバイトをするには、子どもを保育園に預けなければならない。役所に相談すると、待機児童が多く保育園にはすぐに入れないことや、彼女が収入のある親(子どもにとっては祖父)の世帯に入っていることで保育料も高くなっており、支払うことができない。そうかといって、子どもを見てくれる人もいないので、働きたくても働けずにいた。

 病気や障害を抱えた家族もいて、親からの金銭的援助は望めず、彼女は手持ちのお金と貯金を合わせても数千円しか持っていなかった。また、未成年のため自分で家を借りることにもハードルがあった。Colaboが運営しているのは中高生向けのシェルターであり、一時的な宿泊はしてもらえても、母子で安全に生活できるような環境は整っていなかった。

  そこで、母子生活支援施設を利用するか、生活保護を利用してアパートに転居し、生活の立て直しができないかと本人と相談し、役所に行くことにした。

 今日、今すぐにというのは難しい

 母子生活支援施設は、児童福祉法38条に基づいて作られた施設で、18歳未満の子どもを養育している母子や、何らかの事情で離婚届が出せていないが母子家庭に準ずる女性と子どもが、自立に向けて生活できる施設だ。経済的理由、病気や障害による生活困窮、夫などからのDVや虐待から逃れるためなど、さまざまな理由で入所する母子を支援している。私も、温かい雰囲気の施設が多いと知人から聞いていて、保育士など専門家による子どもの一時保育も利用でき、子育てに良い環境が用意されている。

 入所には役所からの紹介が必要なため、最初に母子支援を担当する窓口に行って相談員に事情を話すと、「どこにお住まいですか?」と聞かれ、答えると「今日はあなたの地域の担当者が不在なので、また電話で相談して下さい」と言われた。今暮らせる場所がなく困っていること、手持ちのお金もなく、支援してほしいことを話すと、「今日、今すぐにということは難しいので、後日改めて電話をして下さい」と言われた。

 彼女は、これまでにも担当者に電話で相談したけれど、具体的な支援はしてもらえなかったこと、このままでは食べていくこともできないことを訴えると、「今すぐにでもどこか入れる所が必要ということですか。お子さんは連れてきていないようですが、どうするのですか? 荷物はどうしますか? 今すぐ持ってくることはできるのですか?」と聞かれた。

 彼女は経験上、こうした相談は長時間になることが分かっていたので、子どもを家族に預けて来ているけれど、今すぐにでも家を出たいこと、すぐに行ける場所があれば、子どもを迎えに行き、今日にでも移動したいことを伝えた。

 すると、「今日の今日で入れる所は簡単には見つからない」「お金がないのなら生活保護を担当する窓口へ行くように」と言われた。たらい回しにするような対応が既に問題だが、母子支援担当課としてすぐに動くことはできないと言う。それなら生活支援窓口まで同行して相談に同席し、一緒に考えてほしいと伝えると、「分かりました」と言ったものの、窓口に案内し、簡単に事情を話しただけで相談員は帰ってしまった。

生活保護申請には暗黙のハードル

 生活支援窓口で、改めて彼女の現在の状況と今後の生活の希望、そして母子支援窓口では対応してもらえず、手持ちのお金もないため「生活保護を申請したい」旨を伝えると「相談ですね?」と言われる。生活保護の「申請」を断ることは法律上できないため、申請後に利用対象となるかどうかの調査があるにもかかわらず、申請そのものを嫌がる窓口が「相談」として対応しようとする場面は他の役所でも何度も経験してきた。

 そのため、「申請に来ました」と言うと「相談ですね?」と返される。「手持ちのお金もなく、子どものおむつも買えなくなりそうなので、申請したいのです」と返すと「まずは相談からになります」と言われ、「相談したら申請できますか?」と返すと、担当者は上司に電話を掛けて「かなり強硬に言ってきています……」と、私たちに聞こえるように対応を相談していた。

 強い態度を取ったつもりはなく、ただ「申請したい」と淡々と何度か伝えただけで、そんな扱いを受けた。結局、「生活保護は、他の制度を利用しても生活が成り立たない場合の最後の手段なので、まずは母子支援を受けるように」と言われ、先ほどの母子支援の窓口に戻された。この時点で、役所に来てから1時間以上経っていた。ただでさえ自分の個人的な事情を、見ず知らずの役人に話すだけでもかなりの力が必要なのに、こうした対応を受けると相談に訪れた人はどっと疲れてしまい、制度を利用することを諦めてしまうことが少なくない。

 相談は本人と1対1でしか受けない

 A子は出産前と産後数カ月間にわたって彼の家にいた時、役所から母子支援を受けていた。「その時の担当者なら、これまでの事情も分かってくれているから、その人と話がしたい」と言うと、彼女が実家に戻って住所が変わったことから、受け持ちエリアの関係で前の担当者とは話ができず、記録を共有することもできないという。

 また、相談は本人と相談員の1対1でしか受けられないとして「同行支援の方は席を外して下さい」と言われた。理由を聞くと、「母子生活支援施設の性質上、第三者の方の同席はお断りしております」と言う。

 本人だけでは状況や希望を伝えられるか不安であるため支援者が同行していることや、聞かれてはまずいことは本人以外の前では話さなくていいので同席させてほしいと伝えるが、相談員は「相談はご本人と1対1でしか受けられないことになっているので、このままだとお話を聞くことができない」と繰り返した。

 「そういうルールがあるんですか?」と聞くと、「ルールといいますか、そういう対応はできません」と言われた。

 DVなどの被害者が、加害者やその知人と来るなどして、相談者の安全が守れなくなってしまう場合などを想定しているのかなと思ったが、彼女はこれまでColaboを経由して公的機関に繋がった経験もあり、過去の状況を調べればその関係はわかるはずだ。こうした対応を受けたのは初めてだったので、「何かの規定に基づいて言っているのか、運用上のルールがあるのか、市の規定なのか、今後のためにも教えてほしい」と言うと、相談員は上司に確認しに行った。

 押し問答が延々と繰り返される

 戻ってきた相談員は、「規定はないが、○○市として同行者がいたらお話ができない」と言う。A子が「これまで何度も相談してきたけど、考えると言われるだけで、何も変わらず放置された。だから、これまでの事情を知っている夢乃さんたちに一緒に来てと自分がお願いした。私が話を聞かれてもいいと言っているのにダメなんですか?」と聞くと、「市としては、ご本人がいいと言ったとしても、ご本人の個人情報を含むような相談はその内容を第三者の方に聞かせることはできません」「市としては、それだとお話しができません」と繰り返され、話も聞いてもらえない状態が続いた。

 私がやり取りをメモしながら話していると、相談員から「メモをしないでもらえますか」と言われた。「どうしてですか?」と返すと、「市として、外に出ては困りますので」と言う。「メモをしなければ同席できるのですか?」と聞くと、「ご本人の個人的な状況などをお話しいただきますので、同席はしていただけません。一般的なお話はできますが、個別の相談についてはお話できません」と言われた。

 「○○市として、と繰り返されるが、誰が、どのような理由でそう言っているのか。相談すら受けてもらえないのは初めてだ。市に抗議する」と言うと、「今日すぐに行く所が必要なんですか? 今日すぐ(シェルターなどに)入りたいんですか?」と聞かれた。彼女が「入れるならすぐにでも」と答えると、「今日は無理です」と言って相談員は席を立ち、またしても上司に相談しに行った。

 これ以上の意見はホームページから

 20分以上待たされた後、上司がやってきて、「市のほうに確認したところ、この対応で問題ないと言われた」と言う。誰に確認したのか聞くと「子ども青少年局のBさんの判断で、初回の相談は1対1でないと受けられません。これ以上のご意見については、市のホームページの広聴のページから問い合わせ下されば公式な回答を行います」と言う。

 「彼女はこれまでにも相談していて、初回の相談というわけでもない」と返すと「相談者に提案する支援のメニューも見せられないですし、親族以外の第三者は同席させられないというのが市の判断です」と言う。彼女は親族を頼れないから相談に来ているのに。

 根拠となる規定はなく、「市としてはDV防止法をそう解釈していて、根拠としてお見せできるものはない。書面にすることもできない」とも言われた。DV防止法には、行政が民間の支援者の同席のもと相談者の話を聞いてはいけないと書かれていないし、彼女はDVにより誰かに追われているような危険な状況ではないし、母子生活支援施設はDV防止法を根拠法とする施設ではなく「居所なし」「若年」などの理由でも入所することができるのに。

 ここまでのやりとりに、2時間掛かっていた。「もういいです。もういい。二人で話せば何か変わるんですか? 二人でしか話せないならそれでいいですよ」とA子が怒りと疲れの混じった表情で言った。子どもが産まれる前のA子だったらきっと、ここまで耐えることはしなかったと思う。これだけ嫌味を言われて、たらい回しにされ、待たされても、耐えているA子の姿に、それだけ家を出たい気持ちがあるのだと感じた。

 こんな対応はあってはならないが、A子が役所のスタンスを仕方なく受け入れることになった。

 緊急一時保護の申し込みをすることに

 個室に案内された彼女が15分くらいして出てきた。「詳しい状況を教えるように言われて、同じことを説明して、どういう希望をしているのか聞かれたから、今のバイトに通えるような場所で生活したいと言ったら、場所によっては職場に通えなくなるかもしれないけど、どこになるかは調整してみないと分からないし、門限があったり、友達や男性は入れなかったり、携帯を使えないところもあるけど、それでも申し込みをしますか?」と聞かれたと言う。

 またこの日は月の中旬で、母子生活支援施設への次の申し込みは翌月1日締め切り、入所は翌々月からになるため、それまでは「緊急一時」という形で入所できる施設を探すが、「本入所」できる施設はまた別の所になるかもしれないという説明を、聞きなれない言葉を使いながらされたという。

 彼女はアルバイトを希望していたので、一時入所先からさらに別の地域に移る可能性があると、就職先を探すこともできないと心配していた。それでも、保護されればお金の心配は必要なくなるため、私は「まずどんな所か行ってみて、もし合わないと思ったらまた他の選択肢も考えたら?」と提案して、彼女はまず家を出ることを選んで緊急一時保護の申し込みをすることになった。

   ここから私も相談に同席できることになった。2週間ほどで受け入れ施設を探すため、それまで家に戻って待機してほしいと言われ、手元にお金もないのに、その間の生活費や役所に来るまでの交通費については支援してもらえることのないまま、この日はA子も疲れ切っていて、帰宅することになった。

 母子生活支援施設の厳しい入所条件

 3日後、彼女から電話があった。

 「今日役所から電話があって、母子生活支援施設のことで話をしたいので近々来られますかと言われて、入れる所が見つかったんだと思って今日すぐに行ってきた。入所の手続きだと思って行ったら、入るには携帯没収、友達とか親戚とか、これまでの繋がりは一切断ち切って関係を整理すること。仕事にも行けない。子どもを私のママに会わせたくても地元に戻ってくることは許されない。地元からは遠い施設になる。一時保護の間、知人や支援者の人ともやり取りすることは一切できなくなる。地元を歩くことも禁止と言われた。

それでも入りたいかどうか、家族や友達、支援者には相談しないで自分一人だけで決めるように言われて、そんなんだったらもういいですと言って、申し込みを取り下げてしまった」と言う。

 彼女はまた公的支援を受けることを拒むようになり、家にいられない時はColaboや友達の家などを訪ね歩いている。また本人が必要とするタイミングが来たら、家を出るサポートをしたいと考えているが、今が好タイミングだったのに、と思う。もっと行政との連携ができていたら、と思う。

 制度や施設を必要としている人がいても、こうした対応から利用できずにいる人がたくさんいることを、役所などへの同行を通して日々実感している。

 入所のルールや制限はどうあるべきか?

 母子生活支援施設やシェルターは、DVなどから身を隠すようにして生活している方も入所するため、ある程度のルールや制限があることは理解できる。

 しかし、相談者が安心して相談できる環境を役所が作らない、相談をさせない、申請をさせない、施設を怖く厳しい所であるかのように「脅す」(そういう対応を受けた女の子たちが「脅された」と表現するのを聞いている)、どんな所であってもそこで生活する覚悟があるのかと迫る、これまでの繋がりを断たないと利用できないなど相談者を孤立させるようなことを言うなどして、制度を利用させない対応を再三目にしている。

 「せっかく入所させても、すぐに退所してしまう人がいるから」という相談員の声を聞いたこともあるが、そこでの生活が自分に合うかどうか、雰囲気はどうか、どこにあるか、どんなスタッフや利用者がいるか、どんな設備があるかなど、行ってみなければ分からないことの方が多い。合わなかった時に、相談者の失敗のような扱いを受けたり、面倒くさそうに迷惑そうに対応されたり、今後の支援を嫌がられることがあるが、相談者を責めるのではなく、別の施設や別の選択肢を提案できるようになってほしい。

 ルールや制限は管理のためではなく、利用者の安心安全や権利のためにあるべきだ。ある程度の制限があっても、一人ひとりが安心して入所できるように、相談者の状況に合わせて制限を緩くしたり、一定の約束のもとで携帯電話の使用や外出許可などの配慮を行ったりしている施設もある。この施設ならそうした対応をしてくれると分かっていても、施設への入所措置を決めるのは行政の判断になるため、私たち支援者が施設と関係を築くだけでは不十分だ。

 現実に起きていることを伝えたい

 役所では「施設側がそうした対応が可能だと判断するかは分からないため、窓口では一番厳しいことを言う」という話も聞いたことがある。が、そうであれば施設との入所調整を行う相談員が、相談者の希望や状況に合わせて、施設と交渉したり、相談者の不安を解消できるような説明をしたり、コミュニケーションをと取ったりすべきだ。そうしたスキルや知識、経験をもち、相談者に寄り添える良い相談員がいることも知っているが、相談に行った窓口で当初からそういう人に出会えることは、これまでにほとんどなかった。良質な相談員を確保するための待遇改善や研修の強化も必要だ。

 こうした対応の問題を指摘すると、関係機関に「あの支援者とは連携しにくい」と思われてしまうから、声を上げない方がいいと支援の関係者から忠告されることがある。施設関係者からは「相談員に相談者の利益のために動いてもらうためには、相談員の下手に出て相手を労ったり、どうしたらいいですか? と判断を委ねたりしてうまく動かすこと。相談中にイライラしそうになっても笑顔で、お願いする姿勢を忘れないように、とその子に伝えること」などとアドバイスされることも少なくない。

 でも、相談の現場はそんなに甘くない。施設側が、入所までにこんなに高いハードルがあることに気付いていないことも多い。だからこそ、こうして現実に起きていることを伝えたいと思った。

 相談者に変わることを求めるのではなく、支援の側が、必要としている人に利用してもらうために変わる必要がある。必要としている人がいたら、その人が安心して支援を受けられるようにサポートしてほしい。そして今回のケースでは、どこにも明文化されていないらしい「相談は1対1でしか受けられない」などのルールも、見直すべきではないだろうかとも感じた。


安倍内閣に退陣要求

2018年06月06日 | 社会・経済

有識者が安倍内閣に退陣要求
 
「日本人の道義は地に堕ちた」

日刊ゲンダイ 2018年6月6日

   世界平和や核兵器禁止などを訴える有識者でつくる「世界平和アピール七人委員会」が6日、安倍内閣に退陣を求める緊急アピールを発表した。財務省の文書改ざんや陸上自衛隊の日報隠蔽などの不祥事を受け、討議した結果だという。

  アピール文は以下。

   「5年半にわたる安倍政権下で、日本人の道義は地に堕ちた。私たちは、国内においては国民・国会をあざむいて国政を私物化し、外交においては世界とアジアの緊張緩和になおも背を向けている安倍政権を、これ以上許容できない。私たちは、この危機的な政治・社会状況を許してきたことへの反省を込めて、安倍内閣の即時退陣を求める」

 

  首相官邸と財務省のウェブサイトにも送付した。

 

  同委員会は、ノーベル賞受賞者の故・湯川秀樹氏らが1955年に結成。現在は、武者小路公秀氏(国際政治学者)、大石芳野氏(写真家)、小沼通二氏(物理学者)、池内了氏(宇宙物理学者)、池辺晋一郎氏(作曲家)、髙村薫氏(作家)、島薗進氏(宗教学者)が委員を務める。

 

  今回のアピールは発足以来130番目となるが、時の内閣の退陣を求めるアピールは過去になく、初めてだという。


「もっとあしたはできるようにするからもうおねがいゆるして」

2018年06月06日 | 社会・経済

死亡の5歳、ノートに「おねがいゆるして」両親虐待容疑

  朝日デジタル 2018/06/06

   東京都目黒区で虐待を受けたとされる船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5)が3月に死亡した事件で、警視庁は6日、すでに傷害罪で起訴されている父親の無職船戸雄大容疑者(33)を、保護責任者遺棄致死の疑いで再逮捕し、母親の優里容疑者(25)も同容疑で新たに逮捕した。同日発表した。2人とも容疑を認めているという。

 捜査1課によると、2人は1月下旬ごろから結愛ちゃんに十分な食事を与えずに栄養失調状態に陥らせ、2月下旬ごろには結愛ちゃんが衰弱して嘔吐(おうと)するなどしたにもかかわらず、虐待の発覚を恐れて病院を受診させることをせずに放置。3月2日に低栄養状態などで起きた肺炎による敗血症で死亡させた疑いがある。

 雄大容疑者は2月末ごろに結愛ちゃんを殴ってけがをさせたとして傷害容疑で逮捕、起訴されていた。

 結愛ちゃんの体重は死亡時、同年代の平均の約20キロを下回る12・2キロだった。部屋からは、「もっとあしたはできるようにするからもうおねがいゆるして」などと結愛ちゃんが書いたノートが見つかっていた。毎朝4時ごろに起床し、平仮名の練習をさせられていたという。

 都や一家が以前住んでいた香川県などによると、結愛ちゃんは同県で2016年と17年に計2回、県の児童相談所で一時保護された。2回目の保護が解除された後の同年8月末には、病院から「こめかみ付近と太ももにあざがある」と児相に通報があり、結愛ちゃんは「パパに蹴られた」と話したが、県は一時保護の必要はないと判断していた。

 一家は今年1月に目黒区に転居。県の児相から引き継ぎを受けた品川児相が2月9日に家庭訪問していたが、優里容疑者とは会えたものの、結愛ちゃんには会えなかったという。

 雄大容疑者については、結愛ちゃんに暴行を加えてけがをさせたとして香川県警が昨年2月と5月に傷害容疑で書類送検していたが、いずれも不起訴になっている。