笑子のフォト俳句ブログⅡ

写真と俳句で日々を紡ぎます
🌳R6年森林公園アンバサダー🌳

目借時(めかりどき)

2021-04-26 00:00:00 | 2021春
目借時舐め尽くしけり薄荷飴  笑子
めかりどきなめつくしけりはっかあめ



【目借時】・・・晩春の季語
暖かくなって睡魔に襲われる頃をいう
「めかる」とは「妻狩る」の意で
蛙やその他の生物が相手を求めて鳴きたてたりすることをいう
それが目借りと書かれ、蛙に目を借りられ、眠くなる意 となった

まごまごたちが 遊びに来た日
庭に出てきたカエルさん
間近にレンズを向けても微動だにしません
かなり肝の据わったカエルさんでした(笑)
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草木ダム

2021-04-25 00:00:05 | 2021春
草木湖に綺羅とさざ波たち暮春  笑子
くさきこにきらとさざなみたちぼしゅん



【暮春】春の終わりごろ 晩春の季語です

あかがね街道の途中にある 草木ダムに立ち寄りました


ダムへ行ったら~~~~
ハイ!ダムカードはGETしないとね(^^)v



こういうのも旅の楽しみの1つ
とにかく閉塞感いっぱいの毎日なので
小さくてもいい、どこに「楽しみ、面白味」を見つけられるか
それこそ このコロナ禍を強く生き抜くためのヒントでは、、と
思うのです


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足尾の精錬所

2021-04-24 00:00:05 | 2021春
春深し足尾の色と問へば錆  笑子
はるふかしあしおのいろととえばさび


わたらせ渓谷鉄道の終着駅「間藤」に来ました
そこから更に進むと足尾の精錬所が見えてきます


この橋は「古川橋」
赤倉地区と精錬所をつなぐ歴史を物語る橋です
鉄骨と木材を組み合わせた構造で、現存するものとしては
国内最古の道路鉄橋だそうです
(現在は老朽化のため通行禁止となっています)



大煙突が見えてきました
精錬所は銅山閉山後も輸入鉱石の製錬が続けられ
平成のはじめまで稼働していたようです
現在も、一部の施設は現役で使われています


この日は 春爛漫の花桃や桜風景も撮りながら北上
最後は足尾の歴史の足跡も探しつつ撮影を楽しみました

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足尾・小滝坑跡へ

2021-04-23 00:00:05 | 2021春
春深き足尾の町を徘徊る  笑子
はるふかきあしおのまちをたもとほる


小滝坑 ここへ来たのは何年ぶりだろう
最盛期には1万人が暮らした地


渡良瀬川の支流、庚申(こうしん)川に沿い
かつての小滝坑を中心とした鉱山集落
昭和29年小滝坑閉鎖、社宅撤去となった

下の写真は なんだと思いますか??

 

坑夫のお風呂跡なんですね


初めてここへ来たときに とても切ない気持ちになったのですよね
過酷な労働を強いられていた人たちが1日のノルマから
解き放たれ 体を洗っていたところ・・・
この大きさでは すし詰め状態だったか
それでも、この入浴のひとときこそ
坑夫らの安らぎのひとときだったにちがいありません



上の写真は火薬庫跡
この場所の隅のほうに・・・↓
これはドリルか何かでここの鉱物の成分を調べたのでしょうか?



私が最初訪れたころは 社宅の名残もあったのですが
今は当時を偲ばせる遺構はほんの少しになっています



私は「足尾」という町に
言葉ではうまく表現できないけど 
なぜか惹かれるのですよね

足尾に人が住み始めたのは石器時代とのこと
畑地からやじりや石器縄文式土器などが発見されてるそう
奈良・平安時代にはすでに集落ができ足尾開発が進みます
その後は 室町時代から武士が移住して開発するとともに
農業集落を支配しました

 慶長15年 銅の鉱脈が2人の農夫によって発見され
以来町は銅山により繁栄します
 銅山は幕府の直轄下におかれ多くの労働者が採掘と製錬を行い
江戸の中期には足尾千軒と呼ばれるほどの繁栄を示しました

その後の衰退と鉱毒事件
時代に翻弄された町なのです


明日は精錬所跡へご案内します(^_-)-☆
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あかがね街道

2021-04-22 00:00:05 | 2021春
古き地図以てあかがねの道に春  笑子
ふるきちずもてあかがねのみちにはる

江戸時代のはじめ足尾銅山は幕府の直営とされていました
銅山街道(あかがねかいどう)は足尾で精練した銅を
江戸へ運ぶための道、まさしく銅の道でした

足尾を出た御用銅は、沢入・花輪・大間々・大原・平塚の
5つの宿を順番に送られたのち、利根川を下って
江戸浅草の御蔵入りとなりました 
この写真はその花輪宿で撮ったものです


今日から数日は
あかがね街道の記事にお付き合いください(#^^#)
コメント (19)
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