早いものです。去年の11月12日母ちゃんが旅立ってから1年です。
この一年、異常に早く何をしたかと聞かれると、全く進歩がない私である。
ちょっと進んだのは、デタデタ.comのマッティングサイトとシステムがバージョンアップできたことくらいである。
年を取ってきたのか、空回りが多くなるのか、はたまた鈍感になっているのかVSOPな日々にかまけている自分に情けない。
来週は、納骨。そして最終的断捨離。やはり身の回りが落ち着かないとどうも落ち着かない。
どこかで、けじめをつけてまだまだこれからやりたいことができるように頑張ろう。
おふくろも、それを望んでいるに違いない。
それにしてもあまり実感がない。
ほぼ4年の松山との2重生活、脊椎の圧迫骨折から始まり、要支援から、2度目の骨折。
そして本格的な介護が劇的な回復で、痴呆という最後の1年の前までは実に大きな苦労は感じなかった。
社協やデイサービス、訪問介護、ショートステイ、通院、グループホーム。。。。
いずれにしても、社会保障の使えるものはすべて使っても、介護には最低「人間らしい生活」を送ってもらうには、これまた最低20万は持ち出しになる。
この現実は、僕もTV番組で「あすの福祉」の時代から介護などの番組をたくさん経験してきたが、ほとんど「机上論」で番組上の「構成」で役に立ったものがなかったというのが実感である。
結局は「経験」無しにはわからない。そのことだけよくわかった。
いとこのお母さん(おふくろの妹)もきっちりおふくろの逝去4週間後旅立った。
ひとりでは寂しかったのか、はたまた偶然なのか?
親父も、祖母が亡くなってきっちり1か月後だった。
森田家は、実家も他の親戚も葬儀にだれも来なかった。
なので、今回は従姉と二人で、姉妹を偲ぶことにした。生石町の本家(今は娘さん夫婦が住んでいておばさんにも連絡してくれなかった。おまけにおふくろの兄が亡くなっても一言も連絡がなくお墓参りで気が付き、これがおふくろの高血圧の原因になってしまった。激怒だった!)に連絡しようが、ほかに親戚に葉書出そうが誰も来なかった。
小さく終わらせます。
おふくろのお通夜で、40年ぶりくらいに再会した従姉と。
こよなく愛する、「伊予っ子ラーメン」である。
生きているということは実に素晴らしい。
無駄にしてはならない、ラーメンすすりながらしみじみ思う。
戦争など絶対にあってはいけない。
なぜ、日本は「中立国になれない」のだろうか?
武器よさらば! 合掌。