時は、7月15日22:00。
山岳会club8.5φのメンバー 伊藤リーダー、坂本サブリーダー、上原、木田の4人は、クロスケで北岳に向かった。
目的は、「日本第2位の高峰北岳(3,192m)の頂上直下にある北岳バットレス」標高差600mの岩壁である。
16日5:00、交通規制があるため、登山口の広河原へは、芦安の駐車場からタクシーで向かう。
4人は夕方までに、北岳山頂へ抜けることが出来るか、不安を覚えていた。
登山口(6:30)から「北岳バットレス」のD下沢までは、2:20分程(8:50)で到着した。皆、予定通りだったのでホットした。
途中、山下君の友人に会った。行き先を聞くと「北岳バットレス 4尾根」に行くとのことだった。
4人は、2つのパーティに分かれた。先行パーティは、伊藤・坂本組。後攻木田・上原組。
一番初めに、「北岳バットレス ピラミッドフェース」を登り出したのは、坂本だった(11時前頃)。
快調な登りでdガリーの大滝右側をドンドン登っていった。
伊藤・坂本組は、後から登ってくる木田・上原組の為に難しい所に、カラビナやスリングを掛けルートを作りながら登った。
伊藤が6ピッチめをリードしている時最悪の事態が・・・・・・(13時頃)。
登ったいる伊藤は異変に気づいた。上から伊藤は叫んだ
「どうした?人が落ちたのか?」
坂本は、真っ青な顔で言った「リュックが落ちた。」
「誰のが落ちたの?」「俺の・・・・。」
坂本の右側では、リュックを繋いであったはずの、テープスリングとカナビラが静かに揺れていた。
結ばれていたはずのリュックは、中身をバットレスに撒き散らし160m下の雪渓に消えていった。
下を見るといくつかの小さなテラスに、荷物が引っかかっていた。
その時、静かに雨が降り出した。坂本の涙雨なのかも知れない。
話合いの結果。
坂本は、一人で懸垂降下し荷物を回収することに。
坂本は思った。「荷物はどれだけ回収できるか分からない。せめて、アプローチシューズは回収しなくては。クライミングシューズでは下山も出来ない。お金も、車の鍵も・・・。」
伊藤・木田・上原は、そのまま3人で頂上を目指すことにした。
数ピッチを一人で懸垂降下するのは、初めてだった。
困難な道だった。
「風の中の昴。砂の中の~~~」中島みゆきの歌が聞こえた気がした・・・・。
一番事故の多い懸垂降下を一人でやりながら、途中で荷物を拾うことが出来るだろうか・・・。
次の支点までロープが届くか分からないままの懸垂下降だった。
一番怖いのは、一回に40m程降りてロープを回収するときに、ロープが途中の岩に引っかると、もうそこから降りることが出来なくなってしまうことだった。
毎回不安になりながら、ロープを引っ張った。
雨の中、一番初めに回収したのがレインスーツの上着だった。坂本は神に感謝した。
一番下の雪渓間際の登り始めた所に、リュックは落ちていた。
水筒以外は、全て回収出来た。奇蹟だと思った(14:30頃)。
雨の降る中、一人で広河原に戻った(17:00)。道路が閉鎖される時間ぎりぎりだった。
空で芦安へ帰るタクシーを値切って、駐車場に戻ったのは18時頃だった。
無事を伝える為、伊藤リーダーに電話した。圏外だった。
何度目かの電話でやっと電話がつながった(19時頃)。
まだ、登っている最中らしい。
駐車場まで戻った事を伝えたところで、電話が圏外になった。
後で聞いたら電話の時には、まだ、マッチ箱の懸垂をしたところで、山頂直下の肩の小屋に着いた時は、21:30頃だったそうだ。
最悪の事態と奇蹟を一日で経験した今日は、本当に疲れた。
リュックが落ちた原因は、いつもは荷揚げ用フックに落下防止用カラビナをかけているのだが、今日はリュック横の荷物を止めるフォルダーに引っ掛けいた。何かの原因でホルダーのジョイント部プラスチックの留め金が外れてしまったのだと思う。
色々なことが起きるものだ。でも、落としたのがリュックでよかった。落としたのが命だったら・・・。
3人には、本当に迷惑をかけてしまった。すいません。
山岳会club8.5φのメンバー 伊藤リーダー、坂本サブリーダー、上原、木田の4人は、クロスケで北岳に向かった。
目的は、「日本第2位の高峰北岳(3,192m)の頂上直下にある北岳バットレス」標高差600mの岩壁である。
16日5:00、交通規制があるため、登山口の広河原へは、芦安の駐車場からタクシーで向かう。
4人は夕方までに、北岳山頂へ抜けることが出来るか、不安を覚えていた。
登山口(6:30)から「北岳バットレス」のD下沢までは、2:20分程(8:50)で到着した。皆、予定通りだったのでホットした。
途中、山下君の友人に会った。行き先を聞くと「北岳バットレス 4尾根」に行くとのことだった。
4人は、2つのパーティに分かれた。先行パーティは、伊藤・坂本組。後攻木田・上原組。
一番初めに、「北岳バットレス ピラミッドフェース」を登り出したのは、坂本だった(11時前頃)。
快調な登りでdガリーの大滝右側をドンドン登っていった。
伊藤・坂本組は、後から登ってくる木田・上原組の為に難しい所に、カラビナやスリングを掛けルートを作りながら登った。
伊藤が6ピッチめをリードしている時最悪の事態が・・・・・・(13時頃)。
登ったいる伊藤は異変に気づいた。上から伊藤は叫んだ
「どうした?人が落ちたのか?」
坂本は、真っ青な顔で言った「リュックが落ちた。」
「誰のが落ちたの?」「俺の・・・・。」
坂本の右側では、リュックを繋いであったはずの、テープスリングとカナビラが静かに揺れていた。
結ばれていたはずのリュックは、中身をバットレスに撒き散らし160m下の雪渓に消えていった。
下を見るといくつかの小さなテラスに、荷物が引っかかっていた。
その時、静かに雨が降り出した。坂本の涙雨なのかも知れない。
話合いの結果。
坂本は、一人で懸垂降下し荷物を回収することに。
坂本は思った。「荷物はどれだけ回収できるか分からない。せめて、アプローチシューズは回収しなくては。クライミングシューズでは下山も出来ない。お金も、車の鍵も・・・。」
伊藤・木田・上原は、そのまま3人で頂上を目指すことにした。
数ピッチを一人で懸垂降下するのは、初めてだった。
困難な道だった。
「風の中の昴。砂の中の~~~」中島みゆきの歌が聞こえた気がした・・・・。
一番事故の多い懸垂降下を一人でやりながら、途中で荷物を拾うことが出来るだろうか・・・。
次の支点までロープが届くか分からないままの懸垂下降だった。
一番怖いのは、一回に40m程降りてロープを回収するときに、ロープが途中の岩に引っかると、もうそこから降りることが出来なくなってしまうことだった。
毎回不安になりながら、ロープを引っ張った。
雨の中、一番初めに回収したのがレインスーツの上着だった。坂本は神に感謝した。
一番下の雪渓間際の登り始めた所に、リュックは落ちていた。
水筒以外は、全て回収出来た。奇蹟だと思った(14:30頃)。
雨の降る中、一人で広河原に戻った(17:00)。道路が閉鎖される時間ぎりぎりだった。
空で芦安へ帰るタクシーを値切って、駐車場に戻ったのは18時頃だった。
無事を伝える為、伊藤リーダーに電話した。圏外だった。
何度目かの電話でやっと電話がつながった(19時頃)。
まだ、登っている最中らしい。
駐車場まで戻った事を伝えたところで、電話が圏外になった。
後で聞いたら電話の時には、まだ、マッチ箱の懸垂をしたところで、山頂直下の肩の小屋に着いた時は、21:30頃だったそうだ。
最悪の事態と奇蹟を一日で経験した今日は、本当に疲れた。
リュックが落ちた原因は、いつもは荷揚げ用フックに落下防止用カラビナをかけているのだが、今日はリュック横の荷物を止めるフォルダーに引っ掛けいた。何かの原因でホルダーのジョイント部プラスチックの留め金が外れてしまったのだと思う。
色々なことが起きるものだ。でも、落としたのがリュックでよかった。落としたのが命だったら・・・。
3人には、本当に迷惑をかけてしまった。すいません。