私たちの体は、一生の間にゆっくり朽ちていく。これはつらいことだ。
若い肉体のままでいたいと望んでも、そんなわがままは通用しない。
人の体が年とともに、衰えていくのは、避けがたい人生の苦しみである。
ならば心はどうか。
心も、体と同じように、衰えていくのだろうか。
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確かに認知症など、脳に様々な不都合が起ってくる、可能性は高まる。
しかし、それも、脳という「肉体」の老いである。
私が言いたいのは、「脳も含めた肉体の器官は、年とともに衰えるが、
心はどうなるのか」、という問題である。
老人の心は、若者の心よりも、弱いのだろうか。
年をとれば、残りの寿命は減る。
体は衰え、記憶も薄れ、背後から死の薄闇が忍び寄る。
しかし、だからこそ、年をとった人は、その切ない状況を、
わが身のこととして、確実に感じることができる。
年をとった人には、元気はつらつな青少年には分からない、
「人生の本質的な苦しみ」を、おのずから感得する力が、生まれてくる。
肉体が衰えていくからこそ、そこに宿る心には、生きることの本質を、
見通す洞察と、そこから生まれる、他者に対する深い優しさが、
備わってくる。それは、年をとることの、なによりの恩恵である。
年をとるということは、苦悩を感じとる力が、心を磨くのだ。
お年寄りはなぜ偉いのか。それは、生きる辛さを知っているから、
そして、その辛さを抱えて生きる中で、知恵と慈悲の意味を、
本当に理解しているからだ。
年をとることそのものが、修行なのである。
*** 朝日新聞・「日々是修行」
佐々木 閑(花園大学教授・より抜粋にて ***
誰でも、年をとっていくわけですが、心は、
までは考えませんでした。
私の父も、ボケになって(昔ですから)、母、家族はたいへんだったと思います。
あるとき、お手洗いの便器を綺麗に洗っている
姿を、訪ねたときに見たときは、涙が出ました。
心の中では、すまないと思って、綺麗にしているのではないかと・・・・・。
年をとるということは、悲しいですね。
お父様も、心強いあやのすけさんがいらっしゃいますので、お幸せです。
あやのすけさんに、甘えているかもしれませんね。
お元気で、側にいることは、嬉しいことですものね。
以前はポジティブに考えられたこともすべてがネガティブ思考。
年々、わがままになっていくし(笑)他者への思いやりや優しさというのはないかも。
あっ!孫たちだけには別。もう無償の愛を注ぎまくりです!!
私にとってスーパーマンだった父が老いていく姿は悲しいものもありますが、いっぱい愛情を注いでもらったお返しをしていけたらと思ってます。(できないんですけどネ!)
「人生の本質的な苦しみ」は、若いうちには
分からないことですし、お年寄り、若いもの
と区切らなくても、若い人の中には、
心を磨いている人も、いることと思います。
心は衰えずに、経験を積み重ねて、膨らんで
いるのかもしれませんね。
バイオの進歩とともに、西洋アジサイの品種も、ますます増えていくかもしれませんね。
日本アジサイの、額アジサイに私は、美しさを感じています。
年齢とともに、体は衰えても、心には
磨きがかかっていることは、嬉しいこと
ですね。
そのような、磨きのかかった心を、
もてるように、お手本になれるような、
人生でありたいですね。
有難うございます。
また、
年寄りのような若者もいれば、青年の志をもった老人もいます。
ところで、柏葉は紫陽花と思えませんね。
交配が進んで、バラ風とか、ユリ風アジサイが創られて、ますます花が多様化しそうですね?
長い経験は、若い人には真似られない事ですね
良識と経験とで、若い人の手本となれる様な人生で有ります様頑張りましょう、
有難う御座いました