今週も半分過ぎました。
昨日(14日)が学術振興会特別研究員(DC1)申請の学内締め切りで、教授による評価書を添付して無事に提出してきました。さてさて、無事に採用されるだろうか・・。いや、書くべきことは全て書いたし、今からそわそわしていても仕方がありません。後は運を天に任せましょう。
ところで、いつのまにやら修士課程の修了が近付いてきました。既に修論発表会の日時は決まっていて、8月2日に行われるようです。9月修了は基本的に留学生数人と私だけで少数ですから、博士課程の修了審査会と合同で行われるとのこと・・。我が研究室の代表として、それなりにきちんとした発表にしなければなりません。これまで私は抗菌蛋白質の活性について、生化学的な実験を専ら行ってきたのですが、外部に委託していた構造生物学的解析も先日成果が出たため、私の修士論文で両者を纏めて記述する予定です。しかも、近い将来の論文化を見据えて英語で修論を書くことになってしまいました。・・・でもまあ、期待されるからには、やるっきゃない状況ですね。(汗
もちろん、先日のブログで書いた別研究の論文化の話も並行して進んでいます。・・・・・( ゜∀゜) アハハハハノヽノヽノ \ / \ / \(私は全くもって大丈夫です)。
さてさて、「駅巡り」も、シリーズで始めたからには続けることが肝要ですね。今回は、特に現実逃避感が味わえる旅の「はるけさ」を感じられる、日本最北端と最南端の駅をご紹介します。
「稚内(わっかない)駅」 JR北海道・宗谷本線 1928年12月開業
2003年8月17日撮影。
北海道最北の街、稚内市に存在する駅です。戦前には南樺太への連絡船への乗り換え駅として栄え、多くの旅客・貨物を捌くために広大で複雑な構内線路配置を誇っていましたが、徐々に縮小し続け、現在ではホーム1面と線路1線のみが残るのみです。しかし、今でも稚内駅付近の埠頭からは礼文・利尻・サハリン方面へのフェリーが就航しており、交通の結節点として重要な役割を担っています。
なお、現在稚内駅では再開発計画が進行中で、上の写真の駅舎は今年4月に閉鎖され、新駅舎に業務が移行されています。また、駅前広場には再開発ビル(第1期)が既に完成しており、旧駅舎跡に第2期の再開発ビルが建設され、来年春には新たな駅前広場などの施設とともに全面供用される予定です。
稚内駅構内北端にあった「最北端の線路」の看板(2003年8月17日撮影)。
再開発のために一時撤去されていましたが、ちょうどこの写真を撮った辺りに新駅舎が建設され、現在はガラス越しに見られる場所に復活しているようです。
参考→稚内駅前地区市街地再開発HP
私が訪問した2003年当時は夜行特急「利尻」が運行されており、早朝に稚内駅に到着、北の防波堤などの観光スポットを少し見た後に特急始発のスーパー宗谷2号でとんぼ返りという強行スケジュールで訪ねました。(2007年に「利尻」は廃止)
稚内駅の乗客数は一日119人(2008年)とかなり少ない部類に入りますが、最北端の駅・終着駅・特急停車駅として、鉄道ファンにとってはとても重要な駅です。再開発完了の暁には、是非また訪ねてみたいと思います。
「赤嶺(あかみね)駅」 沖縄都市モノレール「ゆいレール」 2003年8月開業
2005年3月11日撮影。
沖縄県那覇市に存在する駅です。日本最南端の鉄道駅として知られます。この「ゆいレール」開業以前は、長らくJR九州の西大山駅(指宿・枕崎線)が日本最南端とされていましたが、晴れて沖縄県に鉄道が復活(戦前には複数の鉄道路線が存在しました)し、最南端のタイトルを獲得しました。
この赤嶺駅は那覇市街地の南西端に位置しており、周辺住民や糸満・豊見城市方面へのバス乗り換えに利用されています。一日の乗客数は1632人(2007年)で、なんと稚内駅の10倍以上です。まあ、稚内は中長距離旅客が中心で、都市交通駅である赤嶺とは単純に比較できませんが、意外に利用されているものですね。
駅前には、立派な石碑が建てられています。モザイクの人物は、大学受験前日にも関わらず余裕をかましてモノレール乗り潰しをしていた私です。(無事に通ったから良かったものの・・)
ちなみに、私が沖縄在住時代を通して赤嶺駅で写真を撮ったのはこれ一回きりでした。住んでいると、いつでも行ける気がして全然興味が湧かないものなんですよね・・。
稚内駅と赤嶺駅の位置関係。両駅間は約2500kmも離れています。ちなみに稚内駅基点で北東側に2500kmの場所はアメリカ領アリューシャン列島、赤嶺駅基点で南西側に2500km行くと、ベトナム南部になります。日本は広い!
ここまで最北端、最南端と紹介したので、最西端の駅もついでに紹介しちゃいましょう。
那覇空港(なはくうこう)駅」 沖縄都市モノレール「ゆいレール」 2003年8月開業
2005年2月24日撮影。
赤嶺駅から僅か一駅の、ゆいレールの西の終点です。その名の通り、那覇空港と直結しており、利用客は多い(乗客数4607人/日)です。ちなみに、最北の稚内、最東の東根室、最南の赤嶺よりも利用客が多く、「最果て」の代名詞網走駅(450人/日)の10倍以上も利用客の多い、元気な最果て駅です。
駅の改札口脇に設置された日本最西端の駅の碑。これは受験のため沖縄に到着した直後に真っ直ぐ撮影に向かった写真です。こちらは観光客からも目につく場所に設置されているので、結構撮る人も多い気がします。ちなみに、この駅は日本最南端の終着駅でもありますね。
さて、ここまで北南西と最果ての駅を紹介してきましたが、では最東端の東根室駅(JR根室本線)はどうなのかと言えば、実はまだ未踏なのです。釧路までは何度か行っているのですが、根室はさらに100km以上先に有り、しかも特急が停まらないのでなかなか行けずにいます。さすがに、北大在学中のいずれかには訪問するつもりですが、しばらく先のことになりそうです。
昨日(14日)が学術振興会特別研究員(DC1)申請の学内締め切りで、教授による評価書を添付して無事に提出してきました。さてさて、無事に採用されるだろうか・・。いや、書くべきことは全て書いたし、今からそわそわしていても仕方がありません。後は運を天に任せましょう。
ところで、いつのまにやら修士課程の修了が近付いてきました。既に修論発表会の日時は決まっていて、8月2日に行われるようです。9月修了は基本的に留学生数人と私だけで少数ですから、博士課程の修了審査会と合同で行われるとのこと・・。我が研究室の代表として、それなりにきちんとした発表にしなければなりません。これまで私は抗菌蛋白質の活性について、生化学的な実験を専ら行ってきたのですが、外部に委託していた構造生物学的解析も先日成果が出たため、私の修士論文で両者を纏めて記述する予定です。しかも、近い将来の論文化を見据えて英語で修論を書くことになってしまいました。・・・でもまあ、期待されるからには、やるっきゃない状況ですね。(汗
もちろん、先日のブログで書いた別研究の論文化の話も並行して進んでいます。・・・・・( ゜∀゜) アハハハハノヽノヽノ \ / \ / \(私は全くもって大丈夫です)。
さてさて、「駅巡り」も、シリーズで始めたからには続けることが肝要ですね。今回は、特に
「稚内(わっかない)駅」 JR北海道・宗谷本線 1928年12月開業
2003年8月17日撮影。
北海道最北の街、稚内市に存在する駅です。戦前には南樺太への連絡船への乗り換え駅として栄え、多くの旅客・貨物を捌くために広大で複雑な構内線路配置を誇っていましたが、徐々に縮小し続け、現在ではホーム1面と線路1線のみが残るのみです。しかし、今でも稚内駅付近の埠頭からは礼文・利尻・サハリン方面へのフェリーが就航しており、交通の結節点として重要な役割を担っています。
なお、現在稚内駅では再開発計画が進行中で、上の写真の駅舎は今年4月に閉鎖され、新駅舎に業務が移行されています。また、駅前広場には再開発ビル(第1期)が既に完成しており、旧駅舎跡に第2期の再開発ビルが建設され、来年春には新たな駅前広場などの施設とともに全面供用される予定です。
稚内駅構内北端にあった「最北端の線路」の看板(2003年8月17日撮影)。
再開発のために一時撤去されていましたが、ちょうどこの写真を撮った辺りに新駅舎が建設され、現在はガラス越しに見られる場所に復活しているようです。
参考→稚内駅前地区市街地再開発HP
私が訪問した2003年当時は夜行特急「利尻」が運行されており、早朝に稚内駅に到着、北の防波堤などの観光スポットを少し見た後に特急始発のスーパー宗谷2号でとんぼ返りという強行スケジュールで訪ねました。(2007年に「利尻」は廃止)
稚内駅の乗客数は一日119人(2008年)とかなり少ない部類に入りますが、最北端の駅・終着駅・特急停車駅として、鉄道ファンにとってはとても重要な駅です。再開発完了の暁には、是非また訪ねてみたいと思います。
「赤嶺(あかみね)駅」 沖縄都市モノレール「ゆいレール」 2003年8月開業
2005年3月11日撮影。
沖縄県那覇市に存在する駅です。日本最南端の鉄道駅として知られます。この「ゆいレール」開業以前は、長らくJR九州の西大山駅(指宿・枕崎線)が日本最南端とされていましたが、晴れて沖縄県に鉄道が復活(戦前には複数の鉄道路線が存在しました)し、最南端のタイトルを獲得しました。
この赤嶺駅は那覇市街地の南西端に位置しており、周辺住民や糸満・豊見城市方面へのバス乗り換えに利用されています。一日の乗客数は1632人(2007年)で、なんと稚内駅の10倍以上です。まあ、稚内は中長距離旅客が中心で、都市交通駅である赤嶺とは単純に比較できませんが、意外に利用されているものですね。
駅前には、立派な石碑が建てられています。モザイクの人物は、大学受験前日にも関わらず余裕をかましてモノレール乗り潰しをしていた私です。(無事に通ったから良かったものの・・)
ちなみに、私が沖縄在住時代を通して赤嶺駅で写真を撮ったのはこれ一回きりでした。住んでいると、いつでも行ける気がして全然興味が湧かないものなんですよね・・。
稚内駅と赤嶺駅の位置関係。両駅間は約2500kmも離れています。ちなみに稚内駅基点で北東側に2500kmの場所はアメリカ領アリューシャン列島、赤嶺駅基点で南西側に2500km行くと、ベトナム南部になります。日本は広い!
ここまで最北端、最南端と紹介したので、最西端の駅もついでに紹介しちゃいましょう。
那覇空港(なはくうこう)駅」 沖縄都市モノレール「ゆいレール」 2003年8月開業
2005年2月24日撮影。
赤嶺駅から僅か一駅の、ゆいレールの西の終点です。その名の通り、那覇空港と直結しており、利用客は多い(乗客数4607人/日)です。ちなみに、最北の稚内、最東の東根室、最南の赤嶺よりも利用客が多く、「最果て」の代名詞網走駅(450人/日)の10倍以上も利用客の多い、元気な最果て駅です。
駅の改札口脇に設置された日本最西端の駅の碑。これは受験のため沖縄に到着した直後に真っ直ぐ撮影に向かった写真です。こちらは観光客からも目につく場所に設置されているので、結構撮る人も多い気がします。ちなみに、この駅は日本最南端の終着駅でもありますね。
さて、ここまで北南西と最果ての駅を紹介してきましたが、では最東端の東根室駅(JR根室本線)はどうなのかと言えば、実はまだ未踏なのです。釧路までは何度か行っているのですが、根室はさらに100km以上先に有り、しかも特急が停まらないのでなかなか行けずにいます。さすがに、北大在学中のいずれかには訪問するつもりですが、しばらく先のことになりそうです。