塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

国を超えて環境を変える大切さ

2017-03-25 01:26:25 | 日記
 2000年代中頃、オマーンやバーレーン代表が日本代表を苦しめ始めた時、ミラン・マチャラは以下の点を指摘しました

 「彼らがプロとしてカタールやUAEで戦うことは当然意義がある」
 「しかし、招集してもクラブの意向で選手が集まらなくなったことも事実だよ」
 「以前は皆が国内にいた。だから視察も簡単だった」
 
 つまり1990年にワールドカップに出場したUAEは、中東では恵まれた環境にあり、その環境にバーレーンやオマーンの選手たちが挑戦した、というわけです。

 ならばオマルにモハメドなど、UAEの選手たちが日本、韓国でプレイすれば、UAEも変わるでしょうか。

 オマルからすれば

 1・慣れ親しんだホームが会場である
 2・アジアMVPであり、自分が違いを作る必要があった

 という気負いがあったかもしれません。

 日本代表は現在、7割近くが欧州でプレイしていますが、時には日本では考えられないくらいの批判、殺伐とした空気の中で戦っています。

 逆に言えば

 「確かに中東の観戦風景は独特だ」
 「でも、これくらいの事で怯むことは無いさ」

 という、ある種の達観があったように感じます。

 以前にもお話しましたが、ロンドン五輪出場をかけた戦いのさなか、僕はシリア代表FWアルスーマを見て、ああ、こんなに優れた選手がいるのだなと感心しました。

 そして彼が当時プレイしてクエートではなく、日本を含む別のリーグからオファーがあればもっと注目されるのではないか、と感じたのです。

 もしオマルが日本でプレイすれば、それは興味深い出来事ではないでしょうか。
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異なる環境に慣れるむずかしさ

2017-03-25 01:06:32 | 日記
 ワールド・ベースボールクラシックで、日本代表の選手たちが悪天候だけでなく、米国では当然の天然芝に戸惑ったと聞きました。

 セカンドの菊池選手を擁護する声が多いのも、マツダ・スタジアムは確か天然芝だったと思いますが、祖の彼をもってしても、環境が変わると大きな負担がかかることが理解できているためでしょう。

 日本のドーム、人工芝と米国の天然芝と屋根がない、言い換えれば雨天は当然、という形の隔たりですね。

 サッカーも同様で、日本は常に手入れが行き届いた芝が用意されます。

 長野パルセイロも同様で、ある意味3部リーグでここまでの施設を持つことは、世界でみれば不思議でしょう。

 2部や3部というのは

 1・選手がはやく移籍したいと思う環境である
 2・プロではあるが設備は貧弱であり、選手売買で利益を得る

 事が当然のためです。

 ドイツは厳冬で有名で、Jリーグから移籍した選手はミックスソールで戦うと聞きます。

 言い換えれば、国、気候、スタジアムで適切な用具を選ばなければ、転倒が怪我を自分で防ぐことは出来ないというわけです。

 アディダスが2006年、自分でスパイクをカスタムできるF50を発表したのも、世界中に契約選手がいることもそうでしょうが、選手に適切な準備をしてほしいという願いもあったと感じます。

 日本代表に限らず、サッカーでは頻繁に海外遠征を行い、異なる気候風土と警備体制に身を置きます。

 野球でもオフシーズン、米国やキューバ遠征を行えるのであれば、やってみる価値はあるのかもしれません。
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