塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

改めて思う天然素材の価値

2017-03-17 00:23:51 | 日記
 スパイクのアッパーにニットが用いられる事が多くなりました。

 ナイキとアディダスは市販のスニーカーにもニットを用いることが多くなりましたし、僕も店頭で試し履きをしたことがあります。

 選手によって感触は異なるでしょうが、僕はどうもニットの感触に慣れません。

 簡単に言えば普通のキャンパス素材やレザーの方がしっくりくるというわけですが、それは僕がスニーカーよりも革靴を好むためでしょうか。

 人工皮革も最近はシームレス、形状記憶にストレッチと様々なデザインで選手をサポートしています。

 確かに人工素材の発展は目覚ましいですし、僕もコートや仕事用の鞄はポリエステルやナイロンを用いています。

 一方で僕のような冷え性は

 合成素材よりも天然素材
 足元を常にあたたかくするように

 ということで、どうしても天然素材に目が行きます。

 それは天然素材が伝統的であることもそうですし、僕が靴クリームやブラシで磨くこと、それらを新調する楽しみを知っていることもあると思います。

 プーマ、アディダス、ミズノが今でも天然素材スパイクを生産しているのは、そこに

 1・ブランドの歴史が詰まっている
 2・自社のクラフツマン・シップを途絶えさせない
 3・熱狂的なファンがいる

 という3点があるのでしょうが、事実製造が止まれば嘆くファンが大勢いるでしょうね。

 やはり「普通」であり続けることは、今の世の中、凄く難しそうですね。
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改めて思う選手が子供に与える影響力

2017-03-17 00:06:57 | 日記
 時代小説を読むと、清酒を飲む場面、蕎麦を手繰り寄せる場面が頻繁に現れます。

 僕の父は止めてしまいましたが渓流釣りが趣味で、岩魚や山女魚を放流するたびに釣ってきてくれて、川魚に恵まれていた時期があります。

 独活、タラの芽に蕗の薹。

 これらの天ぷらは我が家の食卓に並ぶことも多く、七草がゆも天然素材で賄えることを思えば、地方都市のさらに地方都市に住むことは、まんざらでもないように思います。

 冒頭の文章ですが、これらを読むと

 「ああ、蕎麦食べたいなあ」
 「清酒はまだあったかなあ」

 と、強い影響を心理面で与えますし、作者も読者が自分の作品で食卓が豊かになれば、凄く嬉しいはずです。

 サッカーも想像力をファンに与えれば、選手は凄く張り合いがあると感じるでしょうね。

 特に子供たちは

 「あの選手、昨日の試合でこんなことしたよね」
 「うん、あれは凄かったよ」

 と話題にして夢中でボールを蹴る、会話をする。

 なんて優雅で素敵な時間なのでしょうか。

 僕が小学生時代はプロではありませんから、さすがに読売、三菱、日産など、日本サッカーリーグの話題は無く、漫画の世界でサッカーに没頭していました。

 ズック靴で夢中になってボールを蹴ったあのころ、いじめだとかモンスター・ペアラントなど、今の問題は考えられない、牧歌的な時代でした。

 その背景には

 1・子供と親の心が満たされていた
 2・子供に想像力が溢れていた
 3・ボールを蹴ることで、心が洗われていた

 という3点があると思います。

 でも、今でも子供たちは名手のプレイに心を奪われる、そこに違いはありませんよ。
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