面白く、そして下らない

私は批判をして何かを為した気になっている大衆の一人に過ぎないが、何か少しでも波紋を起こす小石になれればと書いている。

天安門虐殺から30年

2019-06-04 23:57:49 | 政治
1989年(平成元年)6月4日それは起きた。支那天安門広場で民主化を求める支那の若者達が人民解放軍に虐殺されたのだ。

革命やクーデター騒動には外国勢力の支援がほぼ必ずといって良いほどある。ベネズエラではマドゥロ政権を打倒しようとするグアイド国会議長は米国が強力に支援している。

日本の若き侍達の英雄物語として語られることが多い明治維新も大英帝国の影が見え隠れする。

しかしこの若者達に外国勢力の支援は全くなかった。自然発生的な集まりでさえあった。胡耀邦元総書記の死去への追悼だった。

もっとも運動の規模が大きくなるにつれて外国在住の華僑などが支援したようではあるが。

しかし趙紫陽総書記は若者達に理解を示したものの、当時最高権力者だった鄧小平をはじめ保守派の長老は武力鎮圧を決めていた。

そして虐殺された。

天安門広場は学生達の血で染まった。

これが支那の本性なのだ。自由を求めても民主化を求めても武力で弾圧されてしまう。支那「4000年」の歴史で法治も民主も一切なかった。あるのは外国の支配か武力による易性革命だけだ。

そのような支那への対処法は封じ込めしかないはずだ。ソ連という共通の敵がいる場合は敵の敵は味方ということで一時的に手を組むことがあり得るとしてもだ。

日本も始めは対中円借款の中止など西側諸国と歩調を揃えて経済制裁を科した。しかしまず宇野宗佑総理がサミットで支那を孤立させないと他の西側諸国とは一線を画した発言をする。

そしてなんと海部俊樹首相はいち早く支那への経済制裁を解除してしまった。

その後宮沢喜一はなんと支那共産党の要請を受け、天皇皇后両陛下をご訪支那を閣議決定してしまい、天皇皇后両陛下のご訪支那が行われた。

この天皇皇后両陛下のご訪支那が決定打となり西側の経済制裁次々解除されていった。

自民党元総理の長老である中曽根康弘、鈴木善幸、竹下登などは支那への経済制裁に反対だったから自民党の総意だろう。

河野洋平や加藤紘一らも経済制裁解除と天皇陛下のご訪支那に賛成だったはずだ。

しかし自民党保守派は流石に天皇陛下のご訪支那には反対だったようだ。それを宮沢喜一の指示とはいえ橋本恕駐中国大使が説得に当たるのだから外務省の外交感覚もゼロだ。

その後支那共産党の最高幹部の回顧録で天皇陛下のご訪支那は良いように利用されたことが明らかになっている。

自民党は腐りきっていたということだ。

小沢一郎が自民党を飛び出して細川内閣を作った後小選挙区制に選挙制度を変更しなければ自民党は消滅していただろう。

その日本の「恩」に支那共産党は愛国教育強化という反日教育の実施で応えた。完全に恩を仇で返されたのだ。

その後の支那は日本の高度経済成長どころではない急速な経済発展を遂げる。日本は追い抜かれGDPは3倍も差がついてしまった。

核武装し、弾道ミサイルは常に日本を向いている。尖閣諸島沖には支那沿岸警備隊が現れ我が物顔だ。

自民党の親支那派は墓の下から引き釣り出して糾弾してやりたいくらいだ。中曽根康弘と河野洋平はまだ生きているが。

マキャベリの言葉が思い出されてならない。

「隣国を援助するものは滅びる」

私は祖国の滅びを座視するほど反日ではないが、安倍晋三や麻生太郎、そして財務省による消費税増税と緊縮財政により日本経済が縮小していくさまを見ているともう駄目なのかと落ち込む。

安倍晋三は小泉純一郎とは違い、財界の要請からかもしれないが、あれで親支那派なのだ。

自国民を躊躇いもなく虐殺する異形の国家支那を援助し育てた日本。馬鹿に政治はできないと痛感する。

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