人の世は、滞在期間の定め無き、今日一日の旅の宿

 時 人を待たず、光陰 惜しむべし
 古より有道の人、国城 男女 七宝 百物を 惜しまず
 唯 光陰のみ、之を惜しむ

不合理な説法

2016-09-03 | 日記


信じる信じないは我を立てるが如き処には無い

信不信も縁起であり信がある処は自他を忘じる

信じよう信じまいとする処は我の作為に等しい

自我の信仰は相対に過ぎず信は不信の影を宿す

既に信じている処では自己を忘じ相手もいない

疑念を縁に対象が隔たり同時に認める我を起す

我を立て信じる様な処は信じるフリに過ぎない

指導者が自らへの信仰を強いる処に道理はない

敢えて信仰を強要するのはカルトに他ならない

悟った儂が言う事だから素直に聞けとは不合理

弟子の疑問に釘を刺して封じるのは偽りの説法

法には悟る対象も悟りを得る主体も存在しない

指導者が己の悟りを自ら公称する処に法はない

弟子が決着をつけ導師の悟りを証するのである

特定の観念を植え付けるが如き処に道理はない

禅は自己の問と向き合い自ら問を消滅させる道

自己の疑問こそ肝心要であり答えの方ではない

己が問の滅する処に自己を忘じ答えの残滓なし

資格試験の如き問と答えの蓄積は自己修養の道

約束事は人の習俗にあり法に決まり行事はない

禅は学芸の如く技術や理屈を習得する処に非ず


        
       「 廓然無聖 」
武帝: 「私は、長く寺を作り経を写させ
   僧を育てたが、どんな功徳があるか?」
達磨: 「無功徳」 何の功徳もありません。
武帝: 「では仏教の最高の真理とは何か?」
達磨: 「廓然無聖」・・当たり前の事です。  
武帝: 「私の前に居るそなたは、何者か?」
達磨: 「不識」  ・・・ ぞんじません。