一切の法
2022-02-10 | 日記

https://budda.at.webry.info/201002/article_3.html
※事実は右を見て一度切られ左を見て一度切られ左右の連結する事が無い
禅の単を示す処は両手を打つ音の「ポン」の如く何度打っても一度切り
理屈の上からではなく理屈が落ちた処でなければ本当の処はわからない
我は認識の狭間に住し想念に座す
想念の内にのみ彼此の二見が立つ
事実は一息の如く一度切りの只今
法に二見なく我と事実の同時成道
右を得る処は左を失い右の唯一つ
左を得る処は右を失い左の唯一つ
本来の面目は一期一会の一得一失
二見が立たぬ処は比較も立たない
どこからどこへの此岸彼岸がない
法は前後際断した後先の無い只今
最初の一歩が最後の一歩の縁起生
始りと終りが等しい処ゆえに不動
今日の縁:「不動智神妙録 」沢庵
http://www.eonet.ne.jp/~chaos-noah/zen/takuan/index.html