われならぬ われをもとめて とこしへの まよひのつちに いりぬべきかな
*「ぬべし」は完了の助動詞「ぬ」と推量の助動詞「べし」の組み合わせで、強い推量・予想を表します。「きっと~してしまうにちがいない」などと訳されます。
自分ではない自分をもとめて、永遠の迷いの土地に、入ってしまうにちがいないなあ。
人間は本当の自分を嫌がり、他の自分ではない自分になりたがって、いろいろなことをしてきました。他人から美貌を盗み、徹底的に自分を作り変えて、それを生きてきた。しかしそんなことを続けていると、ほんとうに、まるでちがうものになってしまうのです。
あまりに本当の自分を馬鹿にしすぎてしまうと、本当の自分の何かが壊れ、本当の自分が何か別のものになってしまうのです。そうなればもう、二度と本当の自分には戻れない。
人間は、ただ本当の自分を素直に生きているだけで、神が約束してくださった美しい未来を生きることができるのです。ですが、本当の自分を嫌がり、別の自分になろうと馬鹿な試みを続けていると、その本当の自分が壊れ、何か違う別のものになってしまい、その神が約束してくれた未来をすべて失ってしまうことになるのです。
それはどういうことか。自分が何になるのかを、自分で創造しなくてはならない、本当に苦しいものになるのです。永遠に、人間ではないものになってしまう。
人間は馬鹿になると、形だけでもとカッコイイ自分になりたがって、自分をかっこよく改造してしまうなどということはよくあることですが、それを続けていると、本当に馬鹿なことになってしまうのですよ。
本当の自分から逃げ続けて、とうとう馬鹿なものになってしまったもの、というものになってしまうのです。
ふたたびと もどれぬわれの かげをひき とはにさまよふ ことひとのむれ
「ことひと」は「異人」、別の人とか、関係のない人とかいう意味ですが、ここでは人間ではなくなった人という意味にして使っています。
永遠に失ってしまった自分を悔いて、永遠にさまよう、人間ではなくなった人たち。
そういうものになりたくないなら、自分以外のものになろうとすることを、今すぐにでもやめねばなりません。たとえすべてを失っても、本当の自分に戻るほうが、賢いのです。