たまをぬく 糸絶えはてて われならぬ ものとなりにし 馬鹿者の悔い
*これは、かのじょのこの歌を念頭に置いて詠まれた歌です。
わがたまを つらぬく糸の 細かりて 絶ゆるなきそを まこととぞいふ
わかりますね。たまをぬく糸というのは、霊魂(たま)を支えている愛のことです。その細くても切れるはずのない糸が、切れてしまって、自分ではないものになってしまった、馬鹿者たちの後悔であることよ。
残念ながらこの、「馬鹿者の悔い」が弱いですね。言いたいことはわかるが、わたしならもっときつい言い方にしたい。しかしこれ以外に思い浮かぶ言葉と言ったら思いつきません。
まだまだスランプから抜けるのには間がかかりそうです。
それはさておき、人間の霊魂というものは、限界を有する機能体であり、無理をさせすぎれば壊れてしまうものです。そういうことは少し前にツイッターで大火が教えていましたね。
自分を嫌がって、自分の本質である愛を剋することばかりしていたら、本当に自分が壊れてしまって、本当に自分ではないものになってしまうのです。
そうなってしまっては大変なことになるのです。永遠に人間ではないものになり、神が創ってくださった人間の永遠の未来をすべて失うことになる。つまりは、人間から天使に進化し、また永遠に進化していって、神にもなることができるという、自己存在の進化の正しい未来をすべて失うのです。
人間が壊れてしまうと、いったい自分は何になるのかを、自分で創造しなくてはならない、そういう者になるのです。
簡単に言うが、簡単なことではないのですよ。ものすごくつらいことがあるのです。それはここでは表現できないが、とにかく、人間を落ちたらもう永遠に、人間であることの悦びを歌えなくなるのです。
そうなる前に、馬鹿なことはもうやめねばなりません。人のものを盗んで自分とは違う自分になりたがるというようなことを、すっぱりとやめねばなりません。
たとえどんなに苦しいことがあろうと、本当の自分を生きていったほうが、永遠に自分を失うよりはずっといいのです。