うつそみの 人のきはをも 落ち果てて 犬のごときの 我が身となりぬ
*苦しいですね。毎日4首ずつを詠むことを自分に、というか自分たちに課しているが、なかなかいいものが詠めません。これなどももう少しひねりがほしいところだが。しかし率直にこうして詠うことが、このテーマにはいいのかもしれない。
人間が、人間の限界を超えると、こうなるという実例が、この世にたくさんできました。
馬鹿どもは自分をよくするために、実に多くの人間を犠牲にしていますから、その本当の顔は人間の限界を超えて、まるで犬のような顔になっているのです。
自分の本当の顔というのは、自分の本当の人生を導いてくれます。ですから、犬のような顔をしている人間は、犬のように生きねばなりません。では犬はどうやって生きているでしょう。
彼らは鎖にしばられながら、一生を人間のために生きねばなりません。人より馬鹿なものになって、人を一心に信じて、人に尽くしていかねばならないのです。
馬鹿どもは、その犬のような人生を、生きねばならないのです。人の下になり、犬のように人に尽くしていく。そこまでしなければいけないような、馬鹿をやり続けてきたのです。
なぜそこまでのことになったか。人の美貌を盗み、人の愛を盗み、人を犬のように利用してきたからです。ですから自分が犬になったのです。
人間でありながら、犬のように生きねばならない。それは苦しいなどというものではないでしょう。普通の人間なら耐えられない。ですからたいていの人間は、偽物の顔をかぶって人間のふりをし続けるでしょう。ですが中には、本当の自分の顔が出てくる人もいるでしょう。
その人は、人間が人間の限界を超えたということがどういうことなのかを、この人間世界に教えることでしょう。そして人類は深く学んでいく。
霊魂の世界がこの世界に及ぼしている不思議な影響を、多く経験し、人類は次第に変わっていくでしょう。
もう二度といやなことをしてはならないと、神もおっしゃる。それ以上悪いことをしては、人間は犬のようなものに落ちるのだと。