埋火や 孔子も悩みし 泥の闇 夢詩香
*「孔子」はもちろん孔丘のことですが、ここでは「こうし」と読まずに「くじ」と読みます。そういう読み方もあるのです。
イエスのことは「耶蘇(やそ)」といい、釈尊のことは「釈迦(しゃか)」という。短い言葉には敏感になっていた方がいいですね。
助詞の「の」や「と」は「~のような(に)」との比喩に使えます。「泥の闇」とは「泥のような闇」ということ。「山と積み」とは「山のように積む」ということです。組み合わせ次第でおもしろい表現ができる。五文字の制限の中でそれをやるのは楽しい。
「虹と消え」は「虹のように消える」ということ、「玉と冷え」は「玉のように冷える」ということだ。いろいろとおもしろい表現を考えてみてください。「花の笑み」とは「花のような微笑み」ということ、「鴗(そび)の青」とは「かわせみのような青」ということです。練習して頭を柔らかくしておくと、とっさによい句が詠めたりしますよ。
「埋火(うずみび)」は、火桶などの中の灰の中に埋もれた火の気配のことです。確かに燃えているらしいが、それらしいものは見えない。だが手をかざすと暖かい。
泥のような闇の中で、火桶を抱えながら、かすかな温かみを感じている。光は見えないが、確かにあるのだ。だが、闇の中を生きるのはなんと苦しいことだろう。
何も見えない暗い世界を、埋火のようなかすかな希望に胸をあたためながら生きねばならない。そのような苦悩を、あの孔子も感じていたに違いない。
何もかもが絶望的な世界を、それでも愛を信じて生きていかねばならない。決して腐ることのない玉を胸に秘め、すべてを愛に導くために、生きねばならない。
美しいが、激しく切ない。
荒野とは、人間の迷いの世界です。そこでは無明がいつも煙のように漂い、神の光をさえぎっている。その煙を出しているのは、人間の迷いの炎だ。それを消すために、孔子はあらゆる試みをしていた。
多くは失敗だった。だがあきらめずに信じて生き続けた。その人生の中では、彼の理想は実現しなかった。だが、彼が埋火のような希望を信じて生きつらぬいた伝説は今も生きている。
それが確かに、今もこの、煙漂う暗い世界を照らしている。