ぺんだこの 痩せたるを見て 右を知る 夢詩香
*星のような遠い世界の歌が続いたので、少し身近なところに戻りましょう。
かのじょの右手の中指には、かなり大きなペンダコがあります。時を経て、だいぶやせてはきたが、若い頃にはずいぶんと大きく発達していました。中学の頃に、猛勉強した証です。
かのじょはよく、ものの右か左かを判断するとき、無意識のうちにこのペンダコをなでていましたね。ペンダコがあるほうが右だから、これは右の方にあるのだと。そういう判断を、この小さなペンダコでやっていました。
おもしろいでしょう。
右か左かということは、けっこう判断を迷うものですよ。こちらからは右側にあるものも、向かい側にいる人から見れば左側になる。そういうことを考えていれば、とっさに右か左かの判断を迷うことがある。
そういうとき、このペンダコが便利だったのです。
勉強をすると、いいことがあるということの一つでもありますね。何にせよ、自分がやって積み重ねてきたことは、必ず役に立つのです。
この肉体は今、わたしたちに受け継がれていますが、この小さな女性の姿は、あの人のやさしさそのものです。霊魂の姿では、かのじょはこれより若干男性的です。細身ですが長身の男性の体形をしている。その姿から、甘いにも甘すぎるほどの愛を抽出しようとするとき、こういうかわいらしい姿になるのです。
身長は、たいていの男性より低い。自分を小さくして、あなたに尽くしてあげようという心です。子供のような顔をしているのは、子供のようにあなたを信じていくという心です。愛の姿というものは、心をそのまま表している。
愛おしいでしょう。
こんな心の姿を、簡単に盗んでいくから、馬鹿はつらいことになるのですよ。
女性が男性より体躯が劣るからと言って、それを馬鹿にしてはなりませんよ。小さいということは、自分を低めてでも、人を愛していこうとする、とても麗しい存在だということなのです。
かたちというものは、その人の愛がなければ、できないものなのです。
小さなペンダコという形も、かのじょの愛の形だ。勉強して、自分を豊かにしていこう。そして、色んな人に尽くしていこう。
わたしたちも時々、このペンダコをなでています。かのじょがとても愛おしくなります。