花の野に 花になきもの あまた咲き さかへゆく世の あさましき闇
*今週も不調ですね。添島が今張り切っているので、なかなかわたしにエネルギーが回ってきません。まあいいでしょう。今は彼に譲って、わたしは少し遠慮しておきましょうか。そのうちなんとかなるでしょう。
表題の作は、パラリンピックの開会式の写真を見て詠みました。障害のある人たちが、がんばって、誇らしげに歩いているという図でしたが、悲しいことに、ほとんどの人が、偽物でした。
徳分を他人から盗み、自己活動を他霊にやってもらっている、ずるい人たちでした。
本来なら、そんなところに出てこられるはずのない魂が、大勢パラの開会式に出ている。
目立つところに出て、輝かしい名誉を浴びるのにも、徳分がいるのですよ。前世かこの人生で、すばらしくよいことをしたものでないと、そんなところに出られないはずなのです。
本人は、自分で努力して、障害を乗り越え、自分の力を発揮していると思っていることでしょうが、本当はその活動のほとんどは、他霊がやっていることなのです。自分の霊はほとんど何もやっていない。
オリンピック、パラリンピックに出ている人たちは今、ほとんどが偽物です。それは馬鹿どもの霊たちが、総出でやっている、霊的ずるを駆使して馬鹿をいいものにするという、馬鹿げた活動なのです。
そんなずるい偽物たちが、栄えに栄えて、社会のよいところを独占しているのが、今のこの世界なのです。本当のよき人たちは、徳分を盗まれて、社会のかたすみで縮こまるようにして生きている。
パラリンピックの図などは、時々感動的なまでにうるわしく見えますが、偽物だとわかると、あまりにも悲しい。人々をだましていることになるからです。
こんなあさましいことがはびこる世界は、改めていかねばなりません。
本当によき人が、よいところに出て、社会をうるおしていく、そういう正しい世界が来ることを、願ってやみません。