
われのなき 龍馬の真似の 痛さかな 夢詩香
*たまには俳句をやりましょう。これは、インスタグラムであるユーザーさんに贈ろうと思ったが、やめたものです。
なかなかにおもしろい方でね、音楽活動などもしながら書道などもたしなんでいるらしい。その人が坂本龍馬の字を朱筆で書いていたので、ふとこんな句が思い浮かんだのです。
坂本龍馬は人気がありますからね、その生き方を見習っているものは多い。だがああいう生き方というのはとてもリスクが大きい。それがわかっているのかいないのか、ただかっこいいからと、安易にスタイルだけ真似する人がいるもので。
ヘアスタイルを似せてみたり、やたらと言動を派手にしたりね、こういうだけでいくたりかの馬鹿の顔が浮かんできそうだ。大河ドラマなんかでも、痛い俳優に龍馬をやらせていますがね、うわべだけの龍馬という感じで、ちっともかっこよくない。龍馬本人も苦い思いを抱いているでしょう。
自分というものを賭けない、龍馬の真似の、痛さであることよ。
坂本龍馬は、ひとりで時代の壁に挑戦し、痛い傷を負わせてはみたものの、総身にその反動をかぶり、むごたらしく殺された人です。本当に時代に挑戦したいなら、命の一つや二つぶち壊れるほどの反動も覚悟せねばならない。様々な防護壁に守られた安全地帯で、命を失う危険を回避しながら、かっこだけ龍馬の真似をしている馬鹿ほど、かっこ悪いものはない。
命と人生をかけなければ、時代など変えることはできませんよ。
本当に龍馬のようになりたいなら、一度、総身で時代にぶつかって、壊れてみればいい。きついですね。しかしわたしたちに偉そうにこんなことを言えるのは、かのじょという人が、実際にそれをやってくれたからです。
女性の身でね、自分というものの真実を人間に教えるために、人生をなげうってくれたのです。かのじょは龍馬のまねなどしない。龍馬は龍馬。自分には自分のやり方がある。その自分で、世界を変えることのできる、大きな一手をかのじょは打ってくれた。
龍馬のようにかっこよくなりたいなら、自分というものを、まるごとかけて、神の中にとびこんでみなさい。なんのためにかと? 愛のため、神のため、そして、人類のためです。
それができてこそ、龍馬の真似も、それほど不格好にはならないことでしょう。