
馬鹿でいれば 楽だと決めて なにもせず ほんとに馬鹿に なった馬鹿かな
*大火の作とも思えますが、実は違います。これは他の作者が、大火流に学んで作ったものです。ですから、乱調でいて、どこか品がいいでしょう。
今はスランプの真っ最中と言いますか、なにごとにも馬鹿に邪魔をされて歌が詠みにくいので、なんとなく大火流がやりやすいのです。
今は馬鹿が大騒ぎに騒いで、馬鹿が主流を独占しているような時代です。馬鹿は盛大にずると盗みをやって、自分をいいものにしまくったのです。世間のいいところにいるものは馬鹿ばかり。勉強の進んだ人は、よいものを馬鹿に盗まれて、痛いことになっているか、馬鹿に殺されるのを恐れて、馬鹿のふりをしているかのどちらかです。
馬鹿は人様ばかり見て、こいつは本物のいいやつだとみれば、集団でよってたかって馬鹿にしてつぶしにかかります。そのやり口と言ったらひどいというものではない。めったに言えないような悪口さえ平気で言って、冗談のぼかしさえ効かないような理屈を本気で言って、全員で人を殺しにかかるのです。
自分が激しくつらいからです。本物がひとりでもいると、自分の嘘があからさまにばれるからです。それがたまらないのです。
こんなに馬鹿が隆盛している時代では、人間は馬鹿でいるしかないとばかりに、みんなが馬鹿のふりをしています。自分を馬鹿にするために、妙な謙遜ばかりしている。論点をとりちがえたような変な表現ばかりしている。馬鹿のふりをしていなければ、いつ馬鹿に目をつけられていじめられるかわからないからです。
ですが、いつまでもそういうことばかりしていて、本気を出すことを怠っていると、ほんとに馬鹿になってしまいますよ、というのが表題の歌です。
いつまでもマジをやっているのは天使だけなのか、という絶望感にさいなまれながらも、わたしたちはやっていますがね、そのうち辛抱が切れて、投げ出してしまうかもしれません。そうなったら、人類の救済はどうなるかわかったものではありません。
人間はみんな、馬鹿みたいなことになるかもしれませんよ。
少しは、馬鹿をやめて、本気になってみてはどうですか。