うづしほの 鳴く海の辺に 降り来たり 人のつまとも なりにけるかも
*短歌ばかりが続きますね。これでは何かと思いますので、次は俳句を取り上げましょう。どうしても短歌が多くなるのは、ほかの人があまり俳句をやってくれないからです。俳句は、天使にとっては少々短すぎるようだ。どちらかと言えば人間向きでしょうね。わたしたちがやると、17文字にするために切り捨てなければならない情感が大きすぎるのです。
まあそれはそれとして表題の歌にいきましょう。
「うづしほ」はもちろん渦潮のことです。言わずともわかるでしょうが、細かく抑えるのがわたしのやり方です。
渦潮が鳴く海のほとりにある街に降りてきて、あの人は人間の男の妻になったのだなあ。
「かも」は感動や詠嘆の意を表す終助詞です。「かな」とほとんど同じです。体言や活用語の連体形につきます。その時々の自分の感覚によって使い分けるとよいでしょう。
この歌の背景には、羽衣伝説がありますね。天から降りてきた天女が羽衣を男にとられて天に帰れなくなり、男の妻になり子をなすが、やがて羽衣が見つかると、天女は空に帰ってしまう。
男性というものはこういうことをします。女性に捨てられるのが何よりいやですから、女性の力をそいで、男に逆らうことができないようにして、自分の妻にして従えようとする。女性は仕方なく受け入れて男に従い、妻となって子も産むが、心の中では容易に溶けない苦しみがある。
男は働いて暮らしを保証してくれはするが、本当に欲しいものは絶対にくれないからです。欲しいものとは何か。自分の本当の魂の自由から、愛したいという欲求です。そういう魂の自由を封じられて、無理矢理男に強制されて愛さされることほど痛いことはない。
自由な魂の願いから、夫を愛するのなら幸福だが、男に生きる力も自由も奪われて、無理矢理に愛さされるのは、苦しい。そんなことで愛しても、男がつらいものになるだけだ。だが女性はそれを正直に訴えることすらもできないのだ。
羽衣伝説には、こういう男の無理無体に対する、神の世界からの反問が隠れているのです。おまえたちはそれでいいのかと、見えない世界が男にずっと尋ねているのです。だが気付くことができた男はいなかった。
だから伝説の中では、天女の妻は男に隠された羽衣を見つけると、すぐに天に帰ってしまう。なぜなら、男は決して、彼女を愛してはくれなかったからです。美しい女を自分の相手にしたいという、男のエゴだけで、彼女を支配していたからです。
そしてあの人もまた、帰っていった。羽衣は見つからなかったが、友達が迎えに来たのです。あの人は、4人もの子を捨てて天に帰れるような人ではなかったのだが、もう、背後から見ていたわたしたちのほうが、堪えられなかったのです。
無理矢理に愛させようとした男から、かのじょを逃がすために、わたしたちは無理矢理、かのじょをあなたがたから奪ったのです。