思へども かへるなきとは 知りつれど 覚えず落つる なみだなるかな
*今日は少し女性的な歌をあげましょう。もちろん女性が詠ったのではありませんが、男も女性の気持ちになって歌うことはできます。
「知りつれど」の「つ」は完了の助動詞です。もうすでに終わってしまっていることを言い表すときに使いますね。「知っていたけれど」とか、「もうとっくにわかっていることだけど」とかいう感じで使いました。「知りたれど」でも文字数は合うし、「たり」も完了の助動詞ですが、まだ状態が続行している感じがあり、「つ」のほうがもう完璧に終わっている感じがする。どちらかと言えば、「知りつれど」にした方が、情感が深くなる。歌で表されている女性の、積み重ねてきた時間の深みとか、あきらめを感じます。
慣れてくれば、こういう助動詞の使い分けも、感覚的にできるようになります。
あの人のことを思って尽くしても、その心に見合うようなことは返してはもらえないのだと、とっくにわかってはいたけれど、時に痛い仕打ちを受けてしまうと、思わず知らず、涙が落ちてしまうことであるよ。
こんな経験をした女性は、たくさんいることでしょう。
妻になってみれば、無償の心で夫や家族に尽くすのは当たり前だと思われている。養ってもらっているだけでもありがたいと思えと言われると、何も言えないから、黙っているが、時にみんなのために尽くすだけ尽くしても、何もならない女の身というものと思うて、涙が出るときもあるでしょう。
そんな時は、他に明るい楽しみを見出して、何とか自分を立てなおして、まっとうに生きようとするのが、正しい女性というものなのだが。
人しれず流した涙というものは、消えていくようで消えていきはしないのです。誰にもみられることはなかった涙は、流した人の心の奥で、常にうずいている。小さな傷のように、見えないところで何かを訴えている。
それはいつしか、目をそらすことのない現実として、その涙を流させる原因となった人の元にあらわれてくることでしょう。
この世に生まれたもので、消えていくものなど、本当はありなしないのですから。
白露の 玉ははかなく 消ゆべきも 神の目を染む 涙は消えず 夢詩香