白飴の 夢はあだかと とひしとき 露のさだめと いはましものを
*本歌取りですね。元歌は有名だからわかるでしょうが、一応押さえておきましょう。
白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを 在原業平
「~ましものを」は「~したらよかったのに」とか「~であろうに」とか訳されます。
白飴のような甘い救いの夢は、結局は無駄なのだろうかとあのひとが尋ねたとき、消えてもまた結ぶ露のさだめのようなものだと、言えばよかったのに。
表題の歌を訳せばこうなりますか。
あの人は自分が甘いことは十分に知っていました。この究極の難の時代、人類の全てを救うなどということが、可能かどうかわからないほど馬鹿ではない。だが、それをやらずにいることは、自分を裏切ることだとも知っている。
だからやっていたのだが。まさかここまで虚仮にされるとは思ってはいなかったのだ。
この結果はわたしたちの予想をも超えていました。
人類はあまりにも愚かなことをしてきましたから、多数のものが人類を落ちるだろうという予測はあった。しかしここまで増えるとは思ってはいなかったのです。
それもこれも、かのじょという存在が消し飛んでしまうほど、馬鹿の狂いようが激しかったからだ。
露というものは、結んだと思えばすぐに消えてしまうが、しかしまた明日になれば再び結ぶ。そのように、夢は一度はついえても、また結ぶ時があるだろう。そう答えることができたころは、まだ幸せだったか。
二度と結ぶことがない露と、自分がなるだろうとは、夢にも思ってはいなかったろう。
だが、かのじょの夢は消えたわけではない。すべての人類を救うのだというかのじょの願いは、確かにこの世界に残されているからです。
わたしたちは、その夢を少しでもかなえようとしてくれる人が、人類の中から出てくることを願っている。
馬鹿なことをした。自分というものの真実を知らない間に、あまりにも愚かなことをした。そのことを少しでも補うために、あの人の夢をかなえようとして欲しい。
ありとあらゆる人間の心に、わたしは問いたい。すべての人間を救いたいというあの人の夢を聞いて、いつまで黙っているつもりなのかと。
夢はかなうかどうかが問題なのではない。そこを目指して何をするべきかなのだ。
あの人の夢があだなどではなかったということにするために、努力をしてくれる人がひとりでもでることを、願ってやみません。