塵屑に 等しきものと 世をうれひ われを捨てつる 人ぞうたてき
*「世」は「人生」という意味にとらえましょう。「うたてし」は、「嘆かわしい」とか「いやだ」という意味の古語です。
こんな人生、塵や屑みたいにつまらないものだと憂えて、自分を捨ててしまった人ほど、嘆かわしいものはないなあ。
最近、ある著名人が、自殺を思わせる死をとげたことに、材を得て詠んだものです。ツイッターの方でも繰り返し語っていることですから、わかっている人もいるでしょうが、その人の人生は、まるごと嘘でした。
親を盗み、顔を盗み、自分の人生をまるごと塗り替えて、この世でいい思いをしようとした、馬鹿だったのです。実際その人は、金持ちの家に生まれて、いい感じの人生を味わっていました。美貌と才能にも恵まれ、チャンスにも恵まれ、一見すばらしい人生を歩んでいるように見えたのです。ですがその人はある日突然自分の人生を断ってしまった。それはなぜか。
嫌だったからです。その人生でやらなければならなかったことが、まるで自分に合わなくて、苦しかったからなのです。一生こんなことを味わわなければならないのかと思うと、人生がつらく、つまらなくて、その人は自分の人生をとっとと捨ててしまったわけです。
馬鹿にもほどがある。本当の自分の人生を嫌がって、勝手に書き換えた人生を生きていたのに、それも嫌だと言って、捨ててしまう。塵屑に等しいというが、自分の人生を屑にしてしまったのは、自分ではないか。
嘘の人生でも、何とかできることはあったはずだ。少なくとも、死んで親を悲しませるようなことをしない選択はできたはずだ。結局のところ、馬鹿は自分のことしか考えていなかったのです。好きなように人生を書き換えておいて、それがつらいからといって捨ててしまうのは、あまりにも愚かなことです。
人生というものは、自分のものではありません。神が人間に貸して下さるのです。それが証拠に人間は、こんなすばらしい命を自分で作ることはできない。すべては神がやってくださることなのです。それを、自分勝手に作り変えて、苦しいからといって捨ててしまうことは、人生を、神を侮辱することです。
人は、神が創ってくださる人生を、素直に生きるべきです。そこで真面目に修行をして、愛を勉強するべきなのです。そんなことを、少しもやってこなかったから、愛がわからなくて、平気で親を悲しませるようなことができるのです。