ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

たちまち

2019-11-16 04:38:23 | 短歌





月影を きぬとよそひて くはしめに ばけてたちまち 落つる馬鹿かな





*ご存知のように、今人間世界では、天使の真似が流行っています。かのじょがあまりに美しい女性だったので、ああなりたい馬鹿が一斉に真似してとても愚かなことになっています。

月影をきぬとよそひて、とは、月に例えられるあの人の真似をして、という意味にとってください。そのようにして美人に化けた馬鹿は、たちまちのうちに、人間を落ちてしまいました。

美人になりたい馬鹿は昔からたくさんいました。なぜ美人になりたがるのか。本当の自分がとてもいやだったからです。人と比べると、自分がとてもみじめで暗いものに思えたのです。ですから自分よりいいと思える人をいじめ殺して、その人の真似をして自分をきれいにするということを、馬鹿は大昔からやってきたのです。

そんなことをすれば、本当の自分がもっとみじめで暗くなるのですが、馬鹿者はやめられなかった。人のものを盗めば簡単に自分がきれいになれるからです。そしてそんなことばかりやってきて、自分の勉強はほとんどやらずに今までやってきたら、この時代馬鹿は天使の美女に出会って、一斉にそれにしびれて、みんなで真似をして、一気に人間を落ちたのです。

盗むにも、天使を盗んだら、もう終わりだったのです。

今まで、人間的努力など何もせずに、人からの盗みで簡単に美人になってきたものですから、天使の美女などを見ても、簡単にそれをやってしまったのです。そしてみなで人類を落ちた。もう人間ではない。人間ならば得られる、神の恵みをすべて失った。あまりにも愚かなことになった。

もう何度も言われていることですが、また言いましょう。それほど大事なことだからです。

美しくなるためには、人間は愛を勉強せねばなりません。そんな勉強を何もしないで、盗みだけで美しくなってきた馬鹿は、この時代で天使につまずいて、みなが人類を落ち、人類世界を追い出されることになったのです。





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見抜かれて

2019-11-15 04:48:30 | 短歌





いつはりの われをてらひて 見抜かれて 恥ぢしぼみゆく さいはひの夢





*これは、ある女優さんの顔を思い出しながら詠んだ歌です。その人は結構有名な人なんですがね、もろにかのじょにそっくりな顔をしています。もちろん、かのじょの顔を盗んだのです。

それはきれいな顔なのだが、実につらそうな顔をしていました。自分が嘘だということがわかっているからです。おそらく人にも言われているのでしょう。そのきれいな顔は嘘だと。心は全然ちがうのだと。

もう人間の感性は開けていますから、人の心も容易に見抜くことができる。見栄えだけにはだまされない。そういう時代が来ているというのに、いまだに偽物の美貌をかぶって生きている。それが恥ずかしいのに、ほんとの自分に戻ることもできない。

本当の自分に戻れば、いやらしいブスになるからなのです。人のものを盗んで自分をきれいにするような、いやらしいことをするやつだということが、もろにわかる顔になるからなのです。

こういう天使まねの馬鹿女、偽物の美人は、今矛盾の風に吹かれて実に苦しそうな顔をしています。やたらときれいなのに、人が嫌な顔をして逃げていくからです。

天使の顔は、中身がそのまま見えるという顔ですから、その女の貧しい心ももろ見えている。顔は天使的に整っているのに、心は猿のように未熟なのだ。自分がいやらしい偽物になっている。

天使的にきれいなのに、それが嘘だとばれているものだから、誰も愛してくれない。

天使顔の馬鹿女は、自分が偽物だから、本当の愛が寄ってこないのです。それは盗んだ見栄えで人をだまして利用しようとすることだからです。本当の愛はそんな心を嫌って、寄ってこないのです。

ですから馬鹿は、見栄えで幸せになろうとしたその夢をかなえることはできません。見栄え以外に何もないのに、それが通用しなくなって、美しい幸せがない自分の人生に、ぼんやり突っ立っているだけなのです。





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呼ぶ声を聞く

2019-11-14 04:58:59 | 短歌





みつかひの かほをぬすみて 夢のごと とほき荒野の 呼ぶ声を聞く





*「みつかひ」とはわれわれ天使存在のことです。今まで何度も言ってわかっていることでしょうが、一応重ねておきましょう。

天使の顔を盗んで、夢のように、遠い荒野の呼ぶ声を聞く。

遠い荒野とは、わたしたちがシジフォシアと名付けた、何もない世界のことです。

馬鹿なことをやって人間を落ちた者は、だいたい死後そこに向かいます。そこは神が何も創造を行わなかった不毛の世界。土はあるが水はない。空はあるが星はない。風は吹くが森はない。とにかく何もない世界なのです。

こちらの世界にいれば、小枝の先っぽでもあれば、土に絵を描くこともできるが、そんなものさえないのです。

そこに行った人間は、いえ人間を落ちた者は、まるできのこのように、永遠に何もしないでぼんやりしているしかないのです。

なぜそんなことになったのか。それは自分を馬鹿にすることによって、神の創造を馬鹿にしたからです。馬鹿者は自分を嫌がり、他の存在になろうとして、あらゆる馬鹿をやり、この世界に苦悩を投げかけてきた。それはそのまま、神の創造を馬鹿にすることなのです。

自分だけの幸福のために、馬鹿は人を馬鹿にし、神を馬鹿にしたのです。それゆえに、神の努力の結晶であるこの美しい世界を追い出され、神が何も創造を行わなかった不毛の世界へと赴き、そこで神のように創造を行わなくてはならなくなったのです。

ですが人間にそんなことができるわけがない。だから何もせずに、永遠にぼんやりしているしかないのです。





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孤独の地獄

2019-11-13 04:52:48 | 短歌





夢にまで 見てた天使に なってみて とたんに落ちる 孤独の地獄





*とにかく馬鹿女は天使になりたくてしょうがないらしい。天使が身も心も美しく、人間ではないものだからです。

そんな自分に、馬鹿はなりたくてしょうがないのです。ずると盗みで自分をきれいにして、とことんまで天使に似せて、自分を天使にしようとしている。

それはそれは、顔のつくりなどは上手に真似します。天使にそっくりな、整いすぎた美貌を、馬鹿は技術の粋をつくしてつくるのです。

ですが、天使の美貌というのには落とし穴がある。それは整いすぎていて、中身がそのまま見えるのです。天使ならなんとかなるのですがね、まだ未熟な魂が天使の美をかぶると、いやらしい心が透けて見えるのです。それが気色悪くてならず、人が離れていく。

天使に化けた馬鹿女は、簡単に正体を見破られて、人間に離れられていく。そして、愛がかけらもない孤独の世界に落ちていくのです。

天使自身も、美しさを理由に、多くの人に嫌われ、孤独の奈落を這いずり回っていた。しかしかのじょは神を知っていた。自分が美しくまっとうな生き方をしていれば、神が自分を見てくださることを知っていた。

また植物に心よせ、孤独を癒して生きることができた。そんなふうに、天使ならなんとかなるのです。しかし、自分をきれいにするために間違ったことをしている馬鹿女には、植物も神も苦い顔をする。

天使の真似をした馬鹿女もまた、天使のように皆に嫌われて、孤独に落ちる。だけど手をさしのべてくれるものはいない。なぜなら馬鹿女は、誰も愛したことがないし、誰も愛さないからです。

天使の美貌を盗んで、その美しさのゆえにみんなに愛してもらい、なんでもやってもらおうと、ずるいことばかり考えているからです。

そんな馬鹿が天使の顔をしていると、それだけで嫌われる。あまりにも愚かな嘘だからです。





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犬のごときの

2019-11-12 04:43:49 | 短歌





うつそみの 人のきはをも 落ち果てて 犬のごときの 我が身となりぬ





*苦しいですね。毎日4首ずつを詠むことを自分に、というか自分たちに課しているが、なかなかいいものが詠めません。これなどももう少しひねりがほしいところだが。しかし率直にこうして詠うことが、このテーマにはいいのかもしれない。

人間が、人間の限界を超えると、こうなるという実例が、この世にたくさんできました。

馬鹿どもは自分をよくするために、実に多くの人間を犠牲にしていますから、その本当の顔は人間の限界を超えて、まるで犬のような顔になっているのです。

自分の本当の顔というのは、自分の本当の人生を導いてくれます。ですから、犬のような顔をしている人間は、犬のように生きねばなりません。では犬はどうやって生きているでしょう。

彼らは鎖にしばられながら、一生を人間のために生きねばなりません。人より馬鹿なものになって、人を一心に信じて、人に尽くしていかねばならないのです。

馬鹿どもは、その犬のような人生を、生きねばならないのです。人の下になり、犬のように人に尽くしていく。そこまでしなければいけないような、馬鹿をやり続けてきたのです。

なぜそこまでのことになったか。人の美貌を盗み、人の愛を盗み、人を犬のように利用してきたからです。ですから自分が犬になったのです。

人間でありながら、犬のように生きねばならない。それは苦しいなどというものではないでしょう。普通の人間なら耐えられない。ですからたいていの人間は、偽物の顔をかぶって人間のふりをし続けるでしょう。ですが中には、本当の自分の顔が出てくる人もいるでしょう。

その人は、人間が人間の限界を超えたということがどういうことなのかを、この人間世界に教えることでしょう。そして人類は深く学んでいく。

霊魂の世界がこの世界に及ぼしている不思議な影響を、多く経験し、人類は次第に変わっていくでしょう。

もう二度といやなことをしてはならないと、神もおっしゃる。それ以上悪いことをしては、人間は犬のようなものに落ちるのだと。





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嘘で作った

2019-11-11 04:41:06 | 短歌





ごまかせは しない自分を ごまかして 嘘で作った 自分を生きる





*毎日四首ずつを詠むことを日課としていますが、これなどは少し調子が悪かった時の作です。わたしたちは今、馬鹿に活動を妨害されていて、なかなかにいい歌が詠みにくい。それでも何とかこの習慣を続けていくことで、この痛いスランプのトンネルを抜けたいと考えているのですが。

本当の自分を生きていると、この世界では痛い妨害に出会うことが多いのです。多くの人が、嘘で生きているからです。嘘で生きているのが苦しいから、ほかに本当の自分で生きている人を見かけると、どうしても邪魔する。

わたしたちのようなものには、本当に生きにくい世界ではあります。

なぜ人は嘘で生きようとするでしょう。本当の自分をごまかしてまで、偽物の自分をかぶり、それを生きようとするでしょう。それは自分を馬鹿だと思っているからです。人と比べて、自分は馬鹿なものだと思いすぎているのです。

人間、自分のことはわかっても人のことはよくわかりませんから、人のほうがずっと良く見えたりするのです。

だから、人の自分を盗んで、それをかぶって生きたりする。そうすると、自分が他人になれたような気がして、しびれたような甘い感覚に陥る。本当の自分を忘れて、すごくいいものになれたような気がする。

だがそれはしょせん嘘なのです。嘘は本当にはならない。どんなにがんばっても、本当の自分をごまかせはしない。かぶっている嘘の隙間から、時々本当の自分が漏れ見えてくる。それが苦しくて、人は一層嘘を塗り重ねる。それがまた苦しい。

その苦しさを、人は人にぶつけるのです。本当の自分をまじめに生きている人などを見かけたら、猛烈に憎くなって、躍起になってその人を潰そうとする。あまりにも、自分が痛いからなのです。

自分は嘘をついて、醜いことをしているからなのです。それなのにあっちは本当の自分をきれいに生きている。うらやましくて、その人をつぶして、その人のものを盗んで、自分がそれになりすまそうとする。

そしてまた自分をごまかして、嘘の自分を生きようとする。

馬鹿者の永遠の負のスパイラル。嘘をつき続けている限り、馬鹿者はこれに永遠に苦しみ続けるのです。





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常世

2019-11-10 04:54:43 | 短歌





とこしへの われのまことを 知りぬれば 人はまことの 常世をぞ知る





*「常世(とこよ)」とは、古語辞典によれば、不老不死の理想郷、となっていますが、ここでは単純に、「天国」という意味で使っています。

永遠の自分の真実を知れば、人は本当の天国を知る。

天国とは、どこかにある理想郷ではない。それは人間の境地なのです。

本当の自分というものは、すばらしいものです。考えてもごらんなさい。その自分というものに、どんなことができると思いますか。それは石のように何もできないものではない。考えることができる、思うことができる、手足があり、あらゆるところにいくことができ、あらゆることをすることができる。また、愛することも、憎むこともできる。それは永遠の創造体なのです。

その自分の真実の姿に気づき、自分が愛そのものであることを理解し、その美しさにしびれるほど感動するとき、人間は自分が誠に幸福であると感じ、ここに天国が成立するのです。

ただ自分の真実の姿に気づくだけで、無明の闇で苦しみあえいでいた地獄が消え去るのです。何もかもは、このすばらしい自分を馬鹿だと思い込んでいたからこそ生じた苦悩だったのです。その自分が馬鹿ではない。それどころかすばらしい愛の存在であった。それだけで人間はもう、永遠の天国の中にいるのです。

これを解脱と言います。解脱はあるひとにぎりの天才だけが到達できる幻のごとき境地ではない。いずれだれもがつかむことのできる、天国の境地なのです。

自分の真実の姿に気づいた人は、愛でなにもかもをやりはじめます。愛のみを理由にして、あらゆるよいことをやりはじめます。人々のために、愛のために、なんでもいいことをやるのです。そういう人間が増えれば増えるほど、世界もまたこころよい天国に近づいていく。自己存在は自分の愛を表現するためにあまりにもすばらしいことを実行するからです。

あるということは、あまりにも素晴らしい幸福です。その素晴らしい幸福を感じ、知ることができる自己存在は、あまりにも素晴らしいものなのです。





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人のくやしさ

2019-11-09 04:45:28 | 短歌





かへりいぬる 月のくはしき おもかげを おひてかたなき 人のくやしさ





*「かへりいぬ」は帰り去るという意味、「くはし」は「美し」で、こまやかで美しい、という意味の古語です。

もう帰り去ってしまったあの月にたとえられる人の、美しい面影を追っても、何のききめもない、人のくやしさであることよ。

ご承知のように、かのじょというひとがいなくなってしまってから、かのじょの真似をした偽物の美人が相当にたくさん出ました。それはそれは、かたちだけはそっくりにまねした馬鹿女がたくさん出たのです。

人工的に美女を作ることなど、霊界の側から操作すれば簡単にできるのですが、それにしても見境なくやりすぎましたね。同じ顔をした美人がたくさんいる。馬鹿はどうにも、あの天使の美女が相当によかったらしい。顔や髪型を似せて、いやらしいほどに自分をきれいに磨きこんでいる。

しかし、人まねで美人になれるかと思ったら大間違いだ。嘘と盗みで自分をきれいにして人をだまそうとしているということを見破られ、偽物の美人は堕ちていく。あれらは醜い嘘なのだと、冷たい目で見られている。彼女らの本当の顔は、実に動物的で醜いのです。まだ人間が動物的だったころから、ほとんど何も勉強していないからです。

ひとのものを盗んで平気で自分にくっつけるなどのことは、自分のことしか考えていない段階でないとできません。それは動物の心だ。馬鹿は何も愛を学んでこなかった。そんな未熟な霊魂が、実に愛と真心のみで人類すべてを救った天使の真似をしているのです。

あまりにも醜い所業だ。もうそんなことをすれば、人間としての限界を超え、人間ではなくなってしまうのです。

天使の美女になりたくて、その美を執拗なまでに真似して、自分をそっくりにしても、天使の美女になれるはずがない。それはまぬけな偽物で、人間を落ちた馬鹿者なのです。結局馬鹿は、そういうものにしかなれなかったのです。

天使の美など、盗むものではありません。





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愛なき砂

2019-11-07 04:44:37 | 短歌





何もせぬ 深きまよひに 苦しみて 愛なき砂に しづみゆく人





*今、馬鹿者は、愛が離れていくことに、苦しみあえいでいます。

馬鹿なことをしすぎて、人に迷惑ばかりかけていたら、とうとう愛の限界を超えて、愛が一斉に離れていったのです。

自分の周りに愛が何もない。誰も何もしてくれない。誰も愛してくれない。そんな寒い状況の中で、馬鹿者は愛を欲しがって泣き叫んでいるのです。

しかし、どんなに愛を呼んでも、愛は来てくれない。もう馬鹿者に愛想をつかしたからです。

愛は何億度と裏切られようと、来てくれていたが、馬鹿者はとうとう最後までそれに答えなかった。裏切りぬいた。ゆえに愛はもう、馬鹿者を愛することをやめたのです。

そうなって初めて、馬鹿者は愛がどんなにいいものか、わかったのです。

馬鹿者は愛の世界から追い出され、愛のない世界へと赴かねばならない。それがあまりにつらいので、愛、愛、愛、と馬鹿のように繰り返している。

しかし泣き叫んでいるだけでは愛はきてくれません。愛が欲しいのなら、もう自分から愛していくよりないのです。自分の中にある愛を表現し、愛をかせいでいくよりないのです。

愛を発揮し、自分から人の下になって人に尽くしていくのです。それをずっと続けていくのです。そうすれば、愛が振り向いてくれる。自分が愛した分だけ、愛が返ってくるのです。

しかしそんなことを何もしなければ、ずっと愛に背かれたまま、人は孤独でいなければなりません。

愛のない砂の世界で、ずっとしびれた悲哀にしみこんだままでいなければなりません。





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人を捨て

2019-11-06 04:47:53 | 短歌





人を捨て おのればかりを たふときと すればうしなふ とこしへの道





*偽物の人間が、自分を幸せにするために、どれだけの人間を犠牲にしているか、それを考えてみましょう。

人の美貌を盗み、自分をきれいにするためにも、かなりの数の人間を犠牲にしています。顔だけでない。足なども人から盗むからです。今は足の長い細身の美人が流行っていますから、そういう理想の形にするために、何人かの人間からいいものを盗んで、自分の霊体にくっつけるのです。

そうやって、理想的なスタイルを作る。

また自分はほとんど何もいいことをしていませんから、自分の徳分というものは少ない。だから他人から徳分を盗んで、自分にくっつけるのです。それもひとりやふたりではない。多くの人間から多くの徳分を盗み、全部自分にくっつけるのです。

ひとりの馬鹿を幸せにするために、実に百人は犠牲にしていますね。

馬鹿は嘘と盗みで作った自分と、自分だけが幸せになるために改造した人生を、平気で生きているのです。

遠い昔から、そんなことばかりしてきて、本当の自分の人生はほとんど生きたことがなかった。だから馬鹿どもは自分の修業というものができていません。この、人類の進化をかけた時代にまでなってきて、いまだに動物的エゴを脱ぎ捨てることさえできないのです。

そういう人は、もうこの時代で人類を落ち、永遠にこの世界を失うことになったのです。

彼らは、これから上昇していく人類の霊魂の進化の道から、外れてしまったからです。

人を馬鹿にして、自分の幸せばかり考えてやってきたら、とうとう人間の永遠の未来を失うことになったのです。





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