森と湖の国、フィンランド・デザイン展を歩く:
アートディレクター・太田英茂の仕事展を、長野の信濃美術館で、観る予定をしていたのにも関わらず、リハビリやらで、残念乍ら、見逃してしまった。能力とは別に、仮に、もう一度、職業を選べるのであれば、工業デザイナーや建築デザイナーなどは、興味深い職業であると、常々思っている。しかしながら、これを生業にして、30年も、40年も、クライアントに恵まれて、仕事をし続けるには、やはり、並々ならぬ才能と、泉の如く迸る尽きぬアイディアがなければ、なかなか、その業界で、成功も覚束ないであろう。フィンランドという国は、実際に、行ったことも、仕事の接点があった訳でもないが、この展示に著されている「生活の中の美」というものは、何か、日本人の伝統的なごく自然な生活美とも、相通ずるモノがあるように感じられてならない。日本人は、どちらかと言えば、土の焼き物である陶器の方に、ガラスよりも、興味が赴きがちではあるが、西洋的な場合には、成る程、ガラスなのかとも思い知らされる。そう言えば、子供の頃に、灰皿とか、花瓶とかも、この展示の中でみられたような「似たもの」が、我が家にもあったような記憶がある。生活美と云っても、せいぜいが、今日では、箸置きや、ランチョン・マットとか、ワイン・グラスか、ウィスキー・グラスか、或いは、我が家の場合には、日本酒の冷や酒用のグラスか、せいぜい、シャンパン・グラス(いや、スパークリング・ワイン・グラス止まり)くらいだろうか?流石に、この展示の中に、散見されたような素晴らしいピッチャーや、ボウル、タンブラー、ウォッカ・グラス、クリスタル・グラス、泡ガラス製の花瓶、雷鳥やオーロラのようなオブジェ、何とも表現出来ぬデザインのランプ等、尽きぬ人間のデザインに対する考え方が、改めて、観てとれて、驚かされる。もっとも、下司の勘ぐりで、「きっと、洗う時には、手が震えて仕方ないよね!」と山の神に、皮肉っぽく、目配せしてしまったが、、、、、、。それにしても、照明デザイナーが、きっと、この展示の裏では、上から、下から、斜めからと、色とりどりの陰翳と光と陰の交差とコンビネーションを、極限まで、構想させていたのではないかと思われる。自宅では、そこまでは、電気代の節約の大義名分もあり、壁の飾り棚についている照明も、消されてしまっているが、今日ぐらいは、点灯してあげることにしようか?グラスの光り輝き具合とは、やはり、効果的な照明がされなければ、うまく、その輝かしい個性を愉しめないのかも知れない。それにしても、レース・グラスという微細なレースのようなヒビが入った繊細な、今にも、触れると割れそうなグラスは、芸術的以外の何ものでもないとため息が出てしまう。デザイン性が、高いだけでなく、実用的で、しかも、収納性に富む機能性も、同時に、持ち合わせていることは、フィンランドという国の特徴を、想い起こさせるに充分たるモノがあろう。今晩は、以前、知らずに、購入した中国製の江戸切り子グラスで、(本物の江戸切り子ではなくて、中国製である)ビールでも、仕方なく、飲むとしようか?いやいや、やはり、この感動を味わうためには、クリスタル・ガラスのショット・グラスで、大吟醸でしょうか?くれぐれも、洗うときには、手が滑らないことを願いつつ、、、、、、この生活美の感動を忘れぬように、、、、、と。
サントリー美術館HP:
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2012_06/display.html
アートディレクター・太田英茂の仕事展を、長野の信濃美術館で、観る予定をしていたのにも関わらず、リハビリやらで、残念乍ら、見逃してしまった。能力とは別に、仮に、もう一度、職業を選べるのであれば、工業デザイナーや建築デザイナーなどは、興味深い職業であると、常々思っている。しかしながら、これを生業にして、30年も、40年も、クライアントに恵まれて、仕事をし続けるには、やはり、並々ならぬ才能と、泉の如く迸る尽きぬアイディアがなければ、なかなか、その業界で、成功も覚束ないであろう。フィンランドという国は、実際に、行ったことも、仕事の接点があった訳でもないが、この展示に著されている「生活の中の美」というものは、何か、日本人の伝統的なごく自然な生活美とも、相通ずるモノがあるように感じられてならない。日本人は、どちらかと言えば、土の焼き物である陶器の方に、ガラスよりも、興味が赴きがちではあるが、西洋的な場合には、成る程、ガラスなのかとも思い知らされる。そう言えば、子供の頃に、灰皿とか、花瓶とかも、この展示の中でみられたような「似たもの」が、我が家にもあったような記憶がある。生活美と云っても、せいぜいが、今日では、箸置きや、ランチョン・マットとか、ワイン・グラスか、ウィスキー・グラスか、或いは、我が家の場合には、日本酒の冷や酒用のグラスか、せいぜい、シャンパン・グラス(いや、スパークリング・ワイン・グラス止まり)くらいだろうか?流石に、この展示の中に、散見されたような素晴らしいピッチャーや、ボウル、タンブラー、ウォッカ・グラス、クリスタル・グラス、泡ガラス製の花瓶、雷鳥やオーロラのようなオブジェ、何とも表現出来ぬデザインのランプ等、尽きぬ人間のデザインに対する考え方が、改めて、観てとれて、驚かされる。もっとも、下司の勘ぐりで、「きっと、洗う時には、手が震えて仕方ないよね!」と山の神に、皮肉っぽく、目配せしてしまったが、、、、、、。それにしても、照明デザイナーが、きっと、この展示の裏では、上から、下から、斜めからと、色とりどりの陰翳と光と陰の交差とコンビネーションを、極限まで、構想させていたのではないかと思われる。自宅では、そこまでは、電気代の節約の大義名分もあり、壁の飾り棚についている照明も、消されてしまっているが、今日ぐらいは、点灯してあげることにしようか?グラスの光り輝き具合とは、やはり、効果的な照明がされなければ、うまく、その輝かしい個性を愉しめないのかも知れない。それにしても、レース・グラスという微細なレースのようなヒビが入った繊細な、今にも、触れると割れそうなグラスは、芸術的以外の何ものでもないとため息が出てしまう。デザイン性が、高いだけでなく、実用的で、しかも、収納性に富む機能性も、同時に、持ち合わせていることは、フィンランドという国の特徴を、想い起こさせるに充分たるモノがあろう。今晩は、以前、知らずに、購入した中国製の江戸切り子グラスで、(本物の江戸切り子ではなくて、中国製である)ビールでも、仕方なく、飲むとしようか?いやいや、やはり、この感動を味わうためには、クリスタル・ガラスのショット・グラスで、大吟醸でしょうか?くれぐれも、洗うときには、手が滑らないことを願いつつ、、、、、、この生活美の感動を忘れぬように、、、、、と。
サントリー美術館HP:
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2012_06/display.html