小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

無念の殉職死に思う:

2013年01月27日 | 社会戯評
無念の殉職死に思う:
退職後も、或いは、協力会社での第二の人生をこれまでの海外経験を生かすべく、アルジェリアに赴き、イスラム圏での過酷な労働条件の下で、日本のエネルギー政策の根幹を担ってきた同世代の人達の無惨な戦死の報に接し、複雑な思いを抱く。企業戦士(?)とは、良く言ったもので、考えてみれば、カントリー・リスクも、企業という組織が、個人の生命までを、守ってくれるモノではないし、ましてや、生命保険や駐在員保険等で、充分カバーされるモノでもないであろうことは、長い海外経験を有する亡くなった人達自身も、充分、分かり切ったことではあろう。それにしても、かなりのベテランで、海外畑の現地事情にも熟知した人達が、それなりに、個々人でも、勿論、組織としても、身辺の安全に対する配慮をしていたとは思うが、何とも、言葉を失うものである。海外駐在武官による情報の収集能力や体制の在り方を巡って、議論は、色々とあろうが、現実的に、よく考えてみれば、最終的には、自分で自分の身を最大限に、守るしかないのであろうか?家を一歩出れば、国の内でも、危ういし、ましてや、国を一歩出れば、更に、危険度が増すであろう事は、赤ん坊でも分かろう。ましてや、国が、どれ程のことをして、守ってくれるのであろうか?国策で送り出された満蒙青年開拓団を想い出す。アメリカの銃乱射事件で、問題になった銃規制議論の中で、「銃から、市民を、銃で、守る」という自己矛盾のように、これからの若い人達が、ますます、危険な海外には、出掛けずに、内向きになることや、所謂、アニマルスピリッツ(野心的意欲や血気)が萎縮してしまうことをおおいに懸念せざるを得ない。それにしても、65歳定年制やベテラン技術者の海外企業への流出の問題ではないが、随分、海外の一線で、こうしたベテラン連中が活躍して、日本の海外関連事業・エネルギー産業をその根幹から、支えているという現実があるということが、改めて、垣間見られたのは、皮肉であろう。どのようにして、我々、団塊の世代は、これまでの海外経験とノウハウを、若い世代に、伝えていったら良いのであろうか?淵田六郎さんの主亡き今のフェースブック・ページは、何を、今や、語ろうとしているのであろうか? ご冥福を祈るだけで、果たして、喜ぶのであろうか?海外事故死や病死や自死でも、テロによる戦死でも、その価は、どうなのであろう。いずれにせよ、この事件は、別の形での「日本の9.11」に等しい事件であろう。遠いNYの貿易センタービルの炎上を、テレビで生中継を観ていたときとは、明らかに、異なる。それは、日本人が、殺害されたと云うエモーショナルな心情的なものだけではなくて、明らかに、イスラム聖戦主義者が、今日、異教徒を狙って、BPのみならず、その下請けや協働企業に対して、無差別で、その国籍・人種を問わず、異教徒に対して、闘いを実施したに過ぎない。よい子であったかどうかは、全く、別問題なのであろう。すべてのイスラム教徒が、このイデオロギーに共鳴しているわけではないことは明白であるが、少なくとも、我々は、同じ名前で、別の「聖戦」というものを、その歴史の中で、ついこの間まで、やってきたことを忘れてはならない。日本人は、ジハードを、単純に、非難できる立場にあるのだろうか。今や、「特別な白人扱いの有色人種」は、岡本公三や奥平剛士らによるテルアビブ(ロッド)空港乱射事件の当時の日本人に対するイスラム圏の同情的な見方とは、全く、変わってしまったのかも知れない。もっとも、現地人で内通した者もいれば、逆に、命を救ってくれた者が現にいたことは、唯一の救いであると云えよう。それにしても、アフリカでも、どこでも、内なる城壁を巡らして、一大中国人街を不夜城の如く、創り出して、海外進出する国に対して、日本人は、過去、米国やブラジルへの日系移民でも、「現地化」を絶対的な命題として、紀元2600年の奉祝行事でも、海外移民日系二世や三世に対しても、明確なテーゼを示すことなく、過去に扱ったし、依然として、戦後の今でも、海外進出や、移民の問題で、充分な宗教的な議論も、文化的な議論をすることなく、只、天然資源等の経済的な利益のみで、対外的な貿易、経済活動のみを最優先させてきたし、実際、今も、しているのが、現実であろう。テロリストを非難すること自体は、簡単であろうが、こうした日本のこれまでのイスラム圏、アフリカへの対応姿勢、歴史認識も、もっと、反省し、新たな独自な戦略を建てることが、重要であろう。エネルギー・コストも、結局、将来は、こうした現地プラントのセキューリティー・リスクの肥大化が不可避であることを考慮すれば、当然、高騰する一方であろうから、(シェール・オイル開発に伴う地下水の汚染や地盤変動の影響は、長期的にないのであろうか?バラ色の価格低下論は、妥当なのであろうか?)長期的、且つ総合的なバランスのとれたエネルギー政策の再構築も検討されて然るべきであろう。単に、弔意を表すだけで、本当に、(戦死)殉職された方々の目指した崇高な志しが、果たして、遂げられるのであろうか?私には、決して、そう思えてはならない。
勇ましい特殊部隊の創出やら、海外駐在武官の増員とか、又ぞろ、自衛隊法の改正とか、即時的な対症療法も、必要ないとは云わないが、「大川周明」を引き合いにだすまでもないが、今日のアジア・アフリカ・イスラム圏の研究レベルは、明治期や当時のそれに較べて、実際、どうなのであろうか?もっと、底流に流れる「思想的流れ」を研究している日本人から、一向に声が、聞こえてこないが、どうしたことであろうか。戦後何十年経過しても、開戦当時のエネルギー政策と今のエネルギー政策は、その根本的な底流に於いて、一向に、解決されていることもなければ、むしろ、悪化していると云っても過言ではないのではなかろうか?日本は、第一次・第二次オイル・ショックを克服したと云われているものの、それでは、今回の謂わば、「遅れてきた日本の9.11」は、如何に、克服できるのであろうか?
ご冥福を祈ると同時に、考えさせられよう。