小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

和食の文化遺産登録勧告に思う:

2013年11月08日 | 社会戯評
和食の文化遺産登録勧告に思う:
会席料理でも、或いは、懐石料理でも、又、韓国の宮廷料理でもなく、「一汁三菜」の和食であるそうである。しかも、食に付随する「文化」が、鍵でもあるそうである。広範囲に、食器や、盛りつけなどの「美的感覚」も、文化の範疇に入るのであろう。食器も、和食器は、割れても、再び、漆で、張り合わされ、その上から、金粉で、まるで、モミジの葉脈のように、器が、リボーン、再生される手法があるそうである。それにしても、今日では、一汁三菜ではなくて、ワン・ディッシュ・プレート化で、とりわけ、食べ終わった後の食器の洗浄も、より少ない皿の量で、簡単に、手早く早めに終了することが、今日の食器洗いのコンセプトのキーのようである。こうなると、究極の理想の料理は、お茶漬けか、スープ・パスタなのであろうか?一皿に、スープの汁と、パスタ麺と具であって、野菜も中に、入っていれば、ベストなのであろうか?それにしても、実に、皮肉な傾向である。本来の日本の食文化が、家庭で、廃れて行く一方で、日本の和食文化が、世界に、発見されようとしているとは、、、、、まるで、絶滅危惧種を保存するために、ユネスコの世界文化遺産登録の手助けを借りるとは、、、、、或いは、世界的な和食の普及を、その本家本元が、ブランドのライセンサーとして、世界中のライセンシーに対して、「本物」を提示するのであろうか?一方で、吉兆の偽装もまだ、記憶に新しいものの、有名ホテルや百貨店での止まるところを知らない「誤表記・偽装表示」(?)問題など、素材の良さを生かした調理方法、昆布・鰹節だしなどの世界的な注視の中で、和食文化は、何処へ、行くのであろうか?和食の職人には、驚かされることが、多々あるが、お品書きの字すらも、寺の高僧について、書道を学び、お椀の器の蓋も、その図柄を自ら、デザイン創作したり、料理の旬の素材の特色や、その最善の調理方法だけでなく、ダシの取り方、醤油・塩等の調味料も、花器や季節の活け花も、食器も含めて、日本文化に精通し、素人にも、分かりやすく、丁寧に、蘊蓄をさりげなく、一品一品、出すときに、説明もしてくれる、そんな職人技の和食の料理人は、確かに、絶滅危惧種の如くであろう。「食育」・「農業再生」も含めて、「和食文化」が、これからも、身近な生活の中に、子供の頃から、根付くことを願ってやまない。