小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

島倉千代子と「おっ母さん」と言う言葉:

2013年11月10日 | 社会戯評
島倉千代子と「おっ母さん」と言う言葉:
島倉千代子が、75歳で、逝ってしまったと報じられたが、自分の世代的な感覚で云えば、もっと、年上のような気がしてならない。ほんの10歳しか、年上ではなかったのかという驚きである。「この世の花」が、1955年に、200万枚のヒットであったとは、これ又、驚きである。恐らく、当時は、ラジオから、流れてきたであろうあの唄のメロディーが、改めて、この曲を耳にすると、子供心に、耳の底に、不思議と蘇ってくるものである。同様に、子供の頃に、ハッキリとはしていないが、恐らく、耳にしたであろうと思われる曲は、記憶の片隅に、何処かで、すり込まれているのであろうか?1957年の「逢いたいなぁ、あの人に」も、1958年の「からたち日記」も、からたち、からたち、からたぁ~ちの~花が、、、、、とどういう訳か、懐かしく、口ずさんでしまう。1957年の「東京だョ、おっ母さん」は、150万枚も売れたそうであるが、今や、この言葉も、絶滅危惧種の類であるのだろうか?確か、昔の駒場祭ノポスターだったか、何かの時に、「とめてくれるな、おっ母さん、背中の銀杏が、、、、、」と奇抜なイラストとともに、当時流行った高倉健の「唐獅子牡丹」の入れ墨になぞらえたキャッチ・コピー以来であろうか?もう、そんな「おっ母さん」と言う言葉を今日、使う人も、少なくなってしまったのではないだろうか?ましてや、二重橋を上京の観光案内に、手を取り合って、手を合わせる人も、今や、絶滅危惧種になりつつあるかも知れない。それにしても、借金返済とか、怪我、病気、離婚とか、「人生、いろいろ」あった生涯である。又、ひとり昭和の泣き節の歌姫が、逝ってしまったが、紅白歌合戦の相手側だった三橋三智也や春日三郎、三波春夫、フランク永井も、思えば、みんな、鬼籍に入ってしまったものである。わずか、10歳しか、離れていなかったことにも、どういう訳か、改めて、驚かされる。ご冥福を祈りたいものである。