小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

徳州会の蹉跌と猪瀬、5000万円借入の摩訶不思議:

2013年11月22日 | 社会戯評
徳州会の蹉跌と猪瀬、5000万円借入の摩訶不思議:
徳田虎雄が、離島を中心とする地域中核医療を掲げて、日本医師会と真っ向から対決する路線を歩んできたにもかかわらず、いつの頃からか、結局、カネと政治力にものを言わせた力尽くでの医療改革の方向へ、舵を切り始め、やがて、それは、高い志を掲げていたのに、本人の難病の罹患にも重なり、やがて、変節し、大いなる試みも、政治的な蹉跌を踏んでしまう結果になったのは、どうしたものなのであろうか?地域中核医療病院構想自体も、どうなってしまうのであろうか?人は、カネと権力を自分のモノにすると、やがて、間違いなしに、腐敗・堕落すると云うことなのであろうか?その検察の強制捜査が、行われている徳州会から、個人の借り入れとして、巨額の資金を、本来は、政治資金報告書に、記載されなければならないような資金を、単なる個人的な借り入れとして、しかも、無利子・無担保とは、(借用書は、発行したとか云われているが、、、、、当たり前ではないか!)何とも、夢のような話である。一体、あの元気な頃のオリンピック招致の頃の元気な姿勢は、何処へやら、一方的なサンドバック状態での記者会見の有様である。それにしても、個人経営者なら、或いは、住宅ローンでも、土地や家・屋敷といった不動産を担保に入れるか、個人保証書を差し入れ、更には、生命保険も掛けられてと、しかも、しっかり、金利を課せられて、、、、、、、個人の名誉も誇りもズタズタにされて、しかも、しっかりと印鑑証明書付きの実印を捺印させられて、、、、、、、、というのが、実情ではないだろうか?一体、アカウンタビリティーは、何処に行ってしまったのであろうか?穿った見方をすれば、本当は、都知事選用の資金ではなくて、オリンピック招致活動資金にも、実は、「お・も・て・な・し」のために、裏金か何かで、使われていたのではないかと、邪推もしたくなってしまう。ツイッターの発信は、どうしたものだろうか?あんなに、頻繁に、発信していたのに、、、、、、、。一刻も早い、説明責任を果たすべきであろう。こちらからも、ツイッターしてみることにしようか?まだ、これから、他にも、政界の疑獄に、飛び火・発展する可能性は、ないのだろうか?それにしても、大きな金額を、組織の力にせよ、自分自身の力にせよ、動かしていると、自然と、カネの魔力に麻痺してきて、その桁数が分からなくなってしまうものであるが、、、、、、、、。それにしても、淡い期待を抱いていた人達は、さぞかし、ガッカリしているであろうし、そういう人達も含めて、都民にも、日本国民にも、説明責任は、免れないことは間違いないであろう。



「庄司貴和子」展を覗く:

2013年11月22日 | 伝統工芸・展示会
「庄司貴和子」展を覗く:
刻の審判の場へ、「祈り」という題名の展示である。絵画というモノは、とりわけ、自分がよく未だ知らない画家の絵を鑑賞する機会を得ることは、まるで、友達から良い本を薦められた時のような感じに似ているものであろうか?何か、そんな気がする。茶房、読書の森で、コーヒーを飲んでいたら、丁度、ケーナの名匠ご夫妻が、やってきて、梅野記念美術館で、見てきた帰りであると知らされた。39歳という若さで、腸癌で夭逝したこの画家は、見舞いに来た、赤ん坊を身籠もった友人との別れ際の言葉は、どんな思いで、発せられたものであったのであろうか?自らの意思ではなく、時代により、その絵筆を置かざるを得なかった、信州の「無言館」で覧られる戦没学生画家達とは異なるものの、その肉体的な「死」により、創作を続けられなかった無念さは、加山又造が、評するように、「単純極まりないのに、典雅で、えらく洒落た感じ」、「日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、、、、、、」、題名を読みながら、その絵を観ると、成る程、エレガントで、ある程度は、半抽象画のような気がしないでもない。しかしながら、風景そのままの写実ではなくても、題名が、無題、不詳なるものになると、何とも、観る側には、心細い、何か、不安げな感慨が湧いてこないではない。たまたま、居合わせた小学校の低学年の子供達が、担任と美術の先生に引率されてだろうか、絵の前で、何を描いたのであろうかと、想像しながら、素早く手を挙げて、「ここは、ボールに見えます」とか、「あそこは、雲に見えます」とか、一生懸命に、絵の鑑賞の授業をしていたが、何を描いたのではなくて、何を描きたかったのかと謂うことは、まだ、幼い子供にも、大人にも、分からないことかも知れない。いずれにしても、私が、この年で、初めて観た絵に対して、この子供達は、幼いときに、既に、触れることが出来たことは、それ自体、すごいことではないだろうか?又、50年後にでも、この子供達が、同じ絵を、もう一度鑑賞する機会があるとしたら、どんな思いで、その時は、この同じ絵を観ることであろうか?私が子供の頃には、学校でも、家庭でも、物質的にも、文化的にも、貧しかったのか、そんな機会はなかったような気がする。併設展示されている、青木繁・菅野圭介展も、なかなか、興味深い展示である。梅野満雄と青木繁との友人関係とか、代表作、「海の幸」の絵を観ながら、想いを馳せるのもまた、一興である。第13回「私の愛する一点展」も、なかなか、様々なジャンルの展示で、何か、食事にたとえると、それこそ、色々なジャンルのお好み料理が、少しづつ、小出しにされていて、観る側の興味をそそられる。アンケートに答えて、菅野圭介の絵葉書、「海」をゲットしました。来年、1月13日まで、東御市梅野記念絵画館で、開催予定だそうです。館内の喫茶店から、目の前の湖面に、唐松が黄金色に映えて、窓越しに、眺められる浅間山の景色は、まるで、絵画のようでした。帰りには、明神館の温泉も宜しいですよ。