小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ワールド・カップに思う:

2014年07月17日 | 社会戯評
ワールド・カップに思う:
何処で、云われていたのか、良く、想い出せないが、何でも、「強いから、勝つのではない。勝ったものが、強いのである。」と、成る程、いつでも、歴史は勝者の歴史で、「勝てば、官軍」、スポーツの世界も、又、理屈や理論ではないのかも知れない。守りを固めて、5バックで、全員参加の攻めの理論で、個の力を生かして、、、、、、、等というのを、もっともらしく、解説者らしき元Jリーガーの日本代表が語っているのを聞くと、何故、そういうことをワールド・カップ前に、云わなかったのか、「間違いなく、日本は、決勝リーグには、到底いけませんね」と予測・断言しえなかったのであろうかと、つい、首を捻ってしまうのは、どうしたものであろうか?思えば、日本シリーズでも、日本一になった途端に、持てはやされ、そのチームの特徴と野球理論が、解析されて、やれ、データ野球だとか、何々野球だとか、評論されるものの、翌年、惨敗して、最下位になるのをみると、一体全体、その野球理論というものは、何だったのであろうかとも思われる。サッカーというスポーツも、きっと、同じようなものなのであろう。ドイツ・サッカーの研究と分析が進むに連れ、これが、将来のサッカーの世界的な主流になるであろうと予言されているが、本当にそうなのであろうか?スポーツ理論が、経済理論や、政治理論と大きく異なるところは、最終的に、理論を学んだところで、最後に、それを演じきれるのは、最後の最後に、決めきれるかどうかは、ひとえに、プレイヤーの「個の能力、技量」によるものなのであろう。それでも、まだ、疑問が沸々とわき上がってくる。強いものが必ずしも勝つとは限らない。勝ったものが、本当に、結果として、強いのであろうか?では、強くは無いものが、何故、勝てるのか?こうなると、もはや、禅問答である。強くなるに越したことはないが、では、勝てるようになるには、日本のような弱いチームは、どうしたらよいのであろうか?個の力の向上とその集合体の強さを目指すべきなのか?それとも、画期的な別の新しい理論が、望まれるのか?ドイツは、これで、男女共に、来年の女子ワールド・カップに優勝する可能性が大きくなったが、なでしこは、どのような理論(?)で、対抗するのであろうか?とても、興味深いところである。