小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

舞踏家、麿 赤兒の「斥力」とは、:

2015年05月28日 | 社会戯評
舞踏家、麿 赤兒の「斥力」とは、:
別に、舞踏に、興味があるわけでも、その世界に、精通しているわけではないが、60年代の頃、土方巽や、田中泯などの一連の所謂、前衛舞踏家と呼ばれる集団や演劇界の唐十郎の流れの中で、舞踏家、麿 赤兒という名前くらいは、知っている。強い磁力から、「逃げる力」は、決して、単なる消極的な回避し、逃避するというものではなくて、むしろ、しっかりとした「エネルギー」が必要とされるそうである。怯えて、逃げて、開き直って、生きて行くことこそ、大切あのであると、この舞踏家は、まるで、「武闘家」の如き、内に秘めたエネルギーを70歳を超えても、信念として、有している。昆虫の譬えを引用して、他者を無理矢理支配するやり方は、むしろ、退化なのではないかとも、今日の政治手法や安保法制のことを暗に批判しながら、「引き返す矜恃」を、意識的に有さなければならないと、説いている。戦争は、そうした「逃げる力」、「斥力」が、働かなくなったときに、始まるのであるとも云う。なかなか、戦う前衛舞踏家(武闘家)としては、勇気ある発言である。