梅の花が、一輪咲きました!:
芭蕉十哲の一人である「服部嵐雪」の俳句に、「梅一輪 いちりんほどの 暖かさ」が想い出されるが、何でも、ある解説に従えば、「いちりんほどの」という7文字が、平仮名で、漢字ではないという。それでは、「いちりんほどの」とは、どういう意味であるのか?それは、どうやら、一輪と一厘、或いは、凜として、同じリンでも、様々な意味が、作者の意図には含まれていると、成る程、そう詠むと、未だ初春の候、梅の小さな蕾が膨らんできて、冬の寒さの中にも、負けずに、「凜」として、その存在感を現わしつつ、少しづつ、冬の寒さも和らぎ始めて、ボチボチと、暖かくなりつつある、そんな時節を詠みながら、春の到来を待ちわびる心境をこの句に託したのであろうか、私は、てっきり、一輪の梅の花が開花したので、まだ、一輪だけが、咲く程度の寒さであり、春を待ちわびる気持ちは分かるが、未だ、春遠からじという風に、理解していたのを、恥ずかしく思う。書斎からは、上の方で、見えなくなってしまったが、女房殿に、気づかされて二階のベランダから眺めれば、一輪だけ、梅の花が、立派に、咲いていて、他の小さな蕾も、膨らんできつつあるように思えた。今年は、例年に較べて、寒い冬であるとばかり実感していたが、梅の花や、メジロ(鶯かどうかは、残念ながら識別出来ないが、、、)が来るのを観ていると、確かに、季節が、やがて、変わりつつあるのかなと肌で感じる今日この頃である。そろそろ、長い間咲いていた山茶花も、終わりに近づいてきている。いよいよ、春を告げる梅の花と交代かな!なかなか、俳句というものは、奥深いものである。
芭蕉十哲の一人である「服部嵐雪」の俳句に、「梅一輪 いちりんほどの 暖かさ」が想い出されるが、何でも、ある解説に従えば、「いちりんほどの」という7文字が、平仮名で、漢字ではないという。それでは、「いちりんほどの」とは、どういう意味であるのか?それは、どうやら、一輪と一厘、或いは、凜として、同じリンでも、様々な意味が、作者の意図には含まれていると、成る程、そう詠むと、未だ初春の候、梅の小さな蕾が膨らんできて、冬の寒さの中にも、負けずに、「凜」として、その存在感を現わしつつ、少しづつ、冬の寒さも和らぎ始めて、ボチボチと、暖かくなりつつある、そんな時節を詠みながら、春の到来を待ちわびる心境をこの句に託したのであろうか、私は、てっきり、一輪の梅の花が開花したので、まだ、一輪だけが、咲く程度の寒さであり、春を待ちわびる気持ちは分かるが、未だ、春遠からじという風に、理解していたのを、恥ずかしく思う。書斎からは、上の方で、見えなくなってしまったが、女房殿に、気づかされて二階のベランダから眺めれば、一輪だけ、梅の花が、立派に、咲いていて、他の小さな蕾も、膨らんできつつあるように思えた。今年は、例年に較べて、寒い冬であるとばかり実感していたが、梅の花や、メジロ(鶯かどうかは、残念ながら識別出来ないが、、、)が来るのを観ていると、確かに、季節が、やがて、変わりつつあるのかなと肌で感じる今日この頃である。そろそろ、長い間咲いていた山茶花も、終わりに近づいてきている。いよいよ、春を告げる梅の花と交代かな!なかなか、俳句というものは、奥深いものである。