小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

大岡優一郎著、「東京裁判 フランス人判事の無罪論」を読む:

2013年01月16日 | 書評・絵本
大岡優一郎著、「東京裁判 フランス人判事の無罪論」を読む:
東日本大震災が起きた直後に、当時のフランス大統領のサルコジは、原発大国であるフランスの国益を代表するかのように、何処の他国にも先立って、来日を果たしたことは、つとに、有名である。とりわけ、国営企業の汚染水処理のアレヴァによる原発事故への支援は、今でも、記憶に新しい。もっとも、それは、米国による日米軍事同盟の進化と政治的な思惑を伴って、震災と原発事故の発生と同時に、即時的に、実施されたオペレーション、「トモダチ」とも、何処かで、共通する胡散くさい臭いがしないわけではないが、、、、。
しかしながら、フランスという国は、明治維新の時も、したたかに、幕府側に、軍事顧問団を派遣しながらも、維新後も、様々な分野で、法曹分野などで、その存在感を、示し続けることに成功したし、最近では、イラク戦争開始時点でも、その大量破壊兵器の存在への疑義から、多国籍軍によるフセイン政権への武力行使に、ギリギリまで、反対し続けたことも忘れてはならないであろう。(本稿を書いていたら、マリヘ、武力介入したらしいと)
フランスという国は、自国の存続のためには、何者にも依存すべきではなく、どのような外圧にも服するべきではないという独立自尊のスタンスの表れに他ならない。同調すれども同盟せずという言葉に代表される如く、常に国益を守る一方で、ここぞと謂うときには必ず、大義や理念を前面に掲げ、外に向けて発信しないと気が済まない国なのかも知れない。別の意味で、孤高のドゴール主義者なのであろうか?

第二次大戦中、及び、戦後の歴史に関しては、どうも、我々の子供時代にも、或いは、今日でも、未だ、その歴史観が、充分と検証されている訳ではないだろう、とりわけ、歴史教育の中では、やや、タブー視されてきた嫌いが無きにしも非ずの観が禁じ得ない。ある人々によれば、それは、占領軍と日教組により影響を受けた「自虐史観」以外の無いものでもないと、とりわけ、我々のような戦後間もなく教育をうけたところの「団塊の世代」は、その影響下に、著しくあると、謂われてきているが、、、、、、。とりわけ、今日、日韓、日中間での歴史認識に関しては、「天皇の戦争責任」、「慰安婦・朝鮮人強制連行」問題、「侵略戦争」という戦争責任・戦争犯罪、米国による原爆投下や東京大空襲によるによる無垢の「民間人の大量殺戮」、南京事件などの「戦争犯罪」、或いは、戦時捕虜兵への虐待、ソ連による「シベリヤ抑留問題」、「満州国」の法的位置、「仏印への進駐」と武装解除、等々、暗黒の「東京裁判」での「平和への犯罪行為」や、「共同謀議」といった内容を、今日的に、この著作は、改めて、フランス人判事の主張を通じて、考え直すものである。
もっとも、従前の歴史観を覆すために、或いは、その自虐史観からの修正を期待するものであれば、間違いなく、読中・読後、ガッカリさせられることは、間違いないであろう。むしろ、刻々と変化し続ける状況に即応できるように、自律的に正しく、考察し、判断を下そうとする精神活動を重視しようとする思いこそが、このフランス人判事ベルナールからのメッセージを学ぼうとする著者の向かわんとするところであるかも知れないだろう。決して、インドの判事パルのような論理からの日本側被告達への弁護や援護ではなさそうである。そのことを、事前に、確認してから、本著作を読まなければ、間違いなく、ガッカリさせられることになろう。
まずは、その人となりから、読み解いてゆくことにしよう。
奇しくも、私は、1948年12月の生まれであるが、まさに、その月には、東条英機等の処刑が行われるも、その3日前に、ベルナール判事は、3年近くに及ぶ日本滞在を終えて、離日し、フランスへ帰国し、終生、二度と、日本の土を踏むことがなかったことになる訳である。司祭になるべく通っていた神学校を辞め、第一次大戦の戦火に身を置き、その後、母国の司法官となり、終生カトリックへの盲目的な信仰の中にしか生きられなかった一方で、共産主義者で離婚歴のある女性を娶った男、過激なプルードン主義、無政府主義の思想にも感化された男、一官吏として、フランス海外植民地帝国主義を支えながらも、容赦なく母国の入植者をも断罪し、獄へと送った男、自由フランスに与し、ナチの傀儡、ヴィシー政権から死刑判決を宣告された男、アングロ・サクソンの多数派をなす判事達に最期まで楯を突き、全ての日本人被告達の死刑判決に反対し、その反対判決書で、異論を残し東京を離れた男、天皇の戦争責任問題について、真っ向から刃向かった男、等、人となりとしては、要約すると、こんなところであろうか。生涯に亘り、カトリックの刷り込みから抜け出すことが出来ずにその教義の桎梏の下で、東京裁判の判断を行ったと断じるには、著者の主張の如く、少々、短絡過ぎるのかも知れない。
もっとも、アフリカやアジアでの本格的な植民地経営に乗り出す中での伝道は勿論、文化的な指導に当たったのも「カトリック宣教師達」に他ならなったし、野蛮で無知な先住・原住民達にその言語や文明・習慣を捨てさせ、欧州文明を施して、同化させてやることこそが、フランス人の恩恵に満ち足りた仕事であり、責務であると合理化したことは否定できないであろう。パリ万国博の歴史も、当時のメディアは、盛んに、そのように宣伝流布されていたのであろう。日本の植民地統治(創氏・改名など)も又、然りであるし、アメリカ先住民族から、フロンティア精神で、結果的に、土地を収奪していったのも、又、歴史的に、然りであろう。緯度が三度ほども変われば、こちら側とあちら側では、法というものは、全く、異なるものであること、又、人類に妥当するはずの国際法と言えども、制定した側に力さえあればその支配から免れ得ることは、重々、彼自身も熟知していたはずである。彼にとっては、東京裁判での被告を裁くことができる制定法は、何処を探しても、この世には見当たらないと感じていたはずである。

フランスという国は、今日の米国に勝とも劣らぬ位、言語も文化も、世界標準であるという確信、普遍主義が大きく働いているが、このフランス人判事については驚くほど、その実像が知られていないのが実情であろう。「日本無罪論」で人口に広く膾炙しているインド代表判事のパルだけが、脚光を浴びているのが、実体であろうか?しかしながら、ベルナールによれば、そのパルは、「二つの過ち」を犯していると、ひとつは、侵略戦争を犯罪とする法を持っていないとする見方は不正確であると言う点、もう一つは、戦争責任を個人にも問うことが出来るという視点が欠落していると言う点で、、、、、、、。インドのパルが、非植民地化された国の反西洋帝国主義の観点から、多くを語り、平和に対する罪は事後法だとする実質的な実定法主義のスタンスをとり、オランダの判事、レーリンクのものと同様、自然法の観点から議論し、判断を下そうとするベルナールの姿勢とは、根本から、相容れないものがあったのであろう。
ドイツの「ニュールンベルグ戦犯裁判」とは異なり、「東京裁判」では、無罪と認められた者は一人もいなかったし、ベルナール等の少数意見書は、最期まで、法廷で読み上げられることも無かったのである。当初から、少数意見が生じても公表はしないという取り決めが、事前に、交わされていたようである。確かに、英米法のコモン・ローを適用する国々とは異なり、フランスのような大陸法系の国々には、少数意見を残す習慣はなかったことは事実であろう。それにも関わらず、このフラン人判事は、日本人被告に対して「公正」を期すために、自らの判決意見書を残そうとしたことは特筆に値しよう。「正義」を明確に留め置きたいとの意思の表れであって、他のパルなどの少数派の判事の論拠とは異なるのも事実であろう。連合国と謂うよりもむしろ、戦勝国側による「文明の裁き論」に基づく「東京裁判史観」、確かに、インドのパルは、反西洋帝国主義者であり、フィリピンのハラニーニャは、「バターン死の行進」の生存者の一人であるし、オーストラリアのウェッブは、ニューギニアの日本軍による残虐行為に関する調査の報告書をあげた経歴があるのも事実である。
東京裁判を拘束するニュールンベルグ裁判の成立のプロセス、実際、処罰する為に設けられた様々な規定が、後に、東京裁判にも適用されることになる。「通例の戦争犯罪」に加えて、新たに二つの罪:「平和に対する罪」、「人道に対する罪」、これらは、半ば、既成事実化していた訳である。軍事裁判憲章が、ニュールンベルグでは、長期の議論の中で、制定されたのに対して、東京では、マッカーサーによる行政命令として短期間で、決められていたのも事実であろう。ベルナールは、その点、「裁判所憲章」を実体法そのものと完全には見なしていない。
それでは、一体、どこに、「正義」を置こうとしたのか?
「忌避申し立て」と「管轄権動議」、そして、「侵略戦争」は、不法なモノではなく、「パリ不戦条約は、戦争そのものを犯罪としていない」と同時に、「戦争は国家の行為である」から「国家の一員として行動した個人には国際法上の何らの責任は生じ得ない」という論陣、個人の責任を追及出来るのかどうか、
アングロ・サクソン系の侵略戦争を国際法上の犯罪、有罪性とする解釈に対する法概念上の対立、ベルナールによる「普遍の法」としての「自然法」の中にこそ、「正義」が置かれるべきであるとする根本的な理念に対する考え方、これが、カトリック的な神の掟の普遍性と結合して中世神学的自然法理論が構築されたのであろうか。
「法実証主義、実定主義」の悪法もまた法という主張と真っ向から対立する純粋法学。
明文化されていない「自然法」が、実体法として優位を持ち、これに従って、判断を下すべきとしたのだろうか。そして、国家を超越する、「より大きな枠組みの中に存在する法」に侵略戦争を裁く根拠を求めた。侵略戦争の有罪性は、成文法があろうがなかろうが、普遍的な良心の結果である不文法、「自然法」の中にこそ、置かれるべきであるとした。
プロテスタント系の判事達は、実定法主義の立場から、「東京裁判憲章」は、軍法としての拘束力を有し、今次の侵略戦争は犯罪性を有すると結論づけられたのである。
彼の見解では、「正義は、連合国にあるのではない」としながらも、史上二度目の戦犯裁判、それ自身が開かれること自体までをも、否定するモノではなかった。
フランス(ベルナール)でも、オーストラリア(ウェッブ)、インド(パル)でも、判事の選考それ自身が、二転三転したことは、紛れもなく、事実であったと、本来、彼は、サイゴンでのBC級戦犯裁判のインドシナ法廷を、実際、予定されていたそうである。
「不正で犯罪である戦争もあれば、正義で合法の戦争もある」と云う、所謂、「正戦論論争」は、当時の「聖戦論」や、今日的なやや宗教性を帯びながらも政治的な意味合いを持つ、「ジハード」にも、連なるモノではないだろうか。原爆投下に代表される不法行為を一切不問にしつつ、「大きな悪を倒すためには、小さな悪も容認する」というような建前論、「不正な戦争を止めるために、正しい戦争が必要不可欠である」と云う「連合国側から観た正戦論」の依って建つところの論旨、これは、湾岸戦争の時も、「悪の枢軸同盟」という言葉、同様、何処かで、未だに、耳の片隅に残っているような気がしてならない。
「通例の戦争犯罪」を、「不作為の責任」のもとで、犯してしまったのかどうか、「死刑判決」がそれにより、下すことが可能かどうかの決め手となってしまったという皮肉。(東京裁判での量刑が、どのように決められたのか?詳しい経緯は、今日でも、未だ、良く解明・公開されていないのが実情である。) 但し、彼は、作意か不作為かに関わらず、その当然起こるべき結果以外のことについては、誰も広範囲の責任を負わされ得ないとする見解を示している。フランス本国でのヴィシー政権の誕生とは真逆な手つかずであった海外植民地でのドゴール自由フランスによるレジスタンス活動、戦勝国の一員としての複雑な事情、戦時中のインドシナにおけるフランスの日本軍に対する当時のヴィシー政権下での協力とその後の捕虜虐殺問題、等々、ベルナールは、自らの海外植民地での体験から、本国での閣僚や指揮官という立場にいる者と戦場の最前線で任務を遂行する者との間に常に横たわる隔たり、即ち、必ずしも本国の思い通りには働くとは限らない「植民地の指揮命令系統」といったものをよりよく、認識していた嫌いがあろうことは否定できないであろう。戦争自体の不可避性を否定しない姿勢の背景には、カトリックの信仰や自然法だけではなく、こういう自身の植民地帝国での一法官吏としての実体験やプルードンの戦争論の影響もあったのかも知れないと。
とりわけ、多数派の判事達が主張した満州事変を基点とする所謂、「日中戦争15年戦争論」に対して、満州事変から盧溝橋事件までの少なくとも4年間は、中国側も停戦協定が合法的に結ばれていたと主張するに及んだ。日本も中国も、互いに、戦争状態という体裁を好まなかったと、従って、同じグループによる所謂、「共同謀議」なるものも、持たれ続けられた筈もないと主張した。更には、日本の満州に於ける数々の利権は、明らかに正式な条約によって与えられたもので、改めて、そのことを多数派判事達にも主張した。
これに沿って、日本が満州の地を「生命線」と見なしたことは、何らの不法性も無く、その防衛のためにしばしば起こされた紛争・騒動は当然の権利として起訴されるに値しないと述べると共に、擁護もしたのである。
今日、こうした議論は、「アジア諸国との歴史認識」の新たな議論の展開と相俟って、必ずしも、妥当なものであるとは、云えなくはないが、我々は、常に、今日の尺度だけから、物事を推し量ってはいけないのかも知れない。歴史的に観ても、幕末列強からの不平等条約の締結・改定から、日韓併合までも、当時の時代背景と帝国主義のバランス・オブ・パワーの観点から、それが妥当かどうかは、別にしても、現実的な史実を直視し、考察し直さなければならないのであろうことを教えてくれているのではないだろうか。直裁的な額面通りの解釈は、若干、無理あるのかも知れない。それらを差し引いても、興味深い論拠であること、また、そうした主張・弁護が展開されたという事実こそが、この東京裁判の公判の中にあったことを初めて知ったことは、意義深いものである。
「張作霖殺害事件」の「リットン調査団」の証拠集めにも、或いは、後の「満州事変」に収斂される前年の「中村大尉殺害事件」にも言及しながら、確たる証拠のないことを理由に、日本軍による計画的な謀略であると断定することに抵抗したのである。従って、「共同謀議」という考え方の適用にも批判し認めなかったのも、注目に値するであろう。
彼は、著者が云うように、何処かで、心の底に、満州国の新国家建設という壮大な実験を、自身の海外植民地体験と重ね合わせていたのかも知れないし、実際、日本にとっての満州との関係性が、自身の母国・本国と一法務官吏として任官した植民地の関係と、「某かの同じような共通の関連性」を、心の片隅に、見出していたのかも知れない。
東京裁判での「予審の欠如」の問題について、これは、一度も、開廷されることもなく、被告に不利益を被らせてしまったという後悔とそれ故の裁判の不当性と関係するであろうか。被告の弁護に役立てられる資料を事前に収集出来なかったこと、或いは、証拠の入手を辞めさせようとした圧力の事実をも批判した。もっとも、英米法の下で、マッカーサーからの一行政命令で、英米法に準拠して裁判が開廷された以上、そもそも、初めから、「大陸法の下での予審制度」なるものが、導入されるはずもなかったのであろうが、、、、、、。又、法律家であれば、重々、その意味も理解していたであろうことは、推量するに難くはない。

「天皇の戦争責任」についても、異彩を放っていた。必ずしも、それは、フランスという国家が、国家としての公式な見解を述べたものとは、言いがたいが、、、、、、、。緊迫し始めた当時の「米ソ冷戦」、朝鮮半島の抜き差しならぬ情勢という戦後間もない国際政治環境の微妙な変化を前にして、連合国側でも、とりわけ、東京裁判での「天皇の戦争責任問題」は、極めて、センシティブな課題であったことであろう。もっとも、戦争責任は明らかに追求されるべきものであり、訴追されるべきであったと言及したものの、最終的には、その非訴追は、連合国側の最善の利益のためであったとも結んでいる。
この裁判自体が、対象とする事件から関係する被告人が選ばれるのではなくて、「初めから、被告人の名前ありきであった」として、天皇一人が裁かれなかったことは、ひとえに、「法の不平等」であり、遺憾であったとしたものである。又、被告達は、「主犯格の共犯者」に過ぎず、「主犯者が、訴追を免れている」とまで終始主張し、裁判の根源的姿勢を批判した。更には、真珠湾攻撃は、紛れもなく、天皇の勅許の下で、進められたもの以外の何ものでないともした。総勢11人の判事達の中で、唯一、天皇訴追を最後まで、峻厳な姿勢で示し続けたベルナールは、パルのそれのようには、日本人にとっては、溜飲の下がるものとは必ずしも認識されていなかったのであるかも知れない。この点こそが、恐らく、歴史的評価が、当時の日本人には、到底、受け容れがたいものがあったのやも知れない。

「原爆投下への批判」、自然法に準拠する人間にとっては、普遍的な人間に対する原爆の投下は、他に類をみないほどの犯罪であり、日本の戦争が侵略戦争にみえても、その責任を追及することは、理不尽なことであると考えるに至った。
既に、時代は、「法実証主義の時代」であり、自然法的な倫理的、宗教的要素は複雑化して、法と道徳・規範、法と宗教などが理論的に峻別されるようになってからも、未だ、充分な時間が経過していないのは、事実であろう。むしろ、「生命倫理」の問題や、「領土問題」や「歴史認識」、「海洋覇権」、「大陸棚の解釈と主張」の問題など、今日的な問題が、容赦なく、惹起されて来つつあるのが、今日の状況であるが、皮肉にも、法実証主義だけでは解決できない様々な厄介な難題が萌芽し始めているのが、現状であることは、間違いなさそうである。

「温故知新」ではないが、「戦後史の暗黒部分」は、まだまだ、資料が充分解明されていないところが多く、この著作でも、主張されている如く、確かに、これまでは、インド判事、パルによる東京裁判の日本人被告達への弁護論が、反西洋帝国主義の観点から、植民地帝国主義の楔からの解放に寄与したとする論拠にも、利用されているとは謂わないまでも、理論的な根拠を与えてしまったことは、確かに、否めないかも知れない。その点、この著作の中で、様々な観点から、今日的喫緊の課題を再提起されていることは、おおいに、評価されてよいと考えます。とりわけ、60余年前に遡って、当時の緊迫する国際情勢、とりわけ、占領軍による政治的な圧力の下、純粋自然法理論学的な立場から、正々堂々と、少数意見を陳述したことは、刮目に値するものであろう。とりわけ、「天皇の戦争責任」、「共同謀議」、「(侵略)戦争の発端時期」、「戦争そのものの有する合法性と非合法性」、或いは、「平和に対する罪」、「人道に対する罪」、「原爆投下への批判」、「予審の欠如」、「通例の戦争犯罪」、「不作為の責任」、等々、考えてみれば、旧ユーゴスラビア紛争での民族浄化に対する戦争裁判とか、イラク戦争裁判とか、今日に至るも、戦争裁判の報道には、枚挙の暇もないのは事実である。本書を読み進める上での教訓とは、(決して、歴史認識の再解釈とか、改竄とは謂わぬまでも)、事実に即した正当な解釈とは、如何にして行われなければならないのか、中国での「南方週末」の「報道・言論の自由」問題ではないが、改めて、個々人が、どのように、事実・史実と正面から向き合い、歴史と対峙していったら良いのか、そして、その一歩一歩の歩みが、結局、現代史を形創っていくことになることに、改めて、目を向けなければならないと、読後、感じる次第であります。その意味で、「無罪論」に、余りに、重点をおいて期待しながら読んでいると、やや、ガッカリさせられることは、初めから、保証しておきましょう。




我が老犬のお正月:

2013年01月15日 | 動物・ペット
我が老犬のお正月:
我が老犬殿には、休みという概念は無さそうであることは、分かっている。しかしながら、人間様には、人間の年末から年始に掛けてのお正月休みの過ごし方がある。とりわけ、普段は、毎日酒を嗜むということはなく、せいぜいが、週末や、気が向いたときに、軽く、ビールや、日本酒、料理によっては、ワインとかを家族で、飲むくらいである。お正月は、若干、別物で、一寸、美味しいお酒を、必ず、毎晩、大量ではないが、上質なお酒を、少々、飲むことにしているので、夜更かしもあってか、その翌日は、ほとんど、熟睡か、或いは、熟睡し過ぎて、逆に、明け方早くに、目が覚めるかのどちらかである。我が老犬は、クリスマス・ケーキも、お雑煮も、おせち料理も食べる訳ではないので、いつもの如く、朝から、オムツを替えてくれ、散歩はまだか、朝飯は、いつになるのか、とばかりに、初めは、フェーンと、甘え泣きで、徐々に、自己主張を初めて、大声で、吠え始めるのが、常套である。いつものように、コートを着せて、オムツを外して、オシッコとウンチを促してから、いよいよ、散歩である。それにしても寒い。外の温度計は、-4度を示している。手袋をしていても、指先が痛く感じる。トボトボ、いつもと変わらず、臭いをクンクン嗅ぎながら、歩を進めて行く。若干、後ろ脚が、衰えてきている。心なしか、家でも、後ろ脚を投げ出したり、へたり込む回数が、多くなってきたような気がするが、、、、、、、。それでも、たっぷり、30分とか、長いときには、1時間、朝晩の散歩は、欠かせない日課である。もう、人間の年齢で言えば、来月には、満92歳(犬年齢:18歳)にもなるのであるから、自由気儘に、やれば宜しい。散歩が終わるとすぐに、朝食を済ませるや否や、再び、ご就寝である。昼までぐっすり、時には、午後三時過ぎまで、、、、、、、。こんな具合に、我が老犬のお正月休みは、今年も又、無事に、終了しました。



雲の流れるを愉しむ:

2013年01月14日 | 自然・植物・昆虫
雲の流れるを愉しむ:
箱根駅伝の時に、随分と激しい突風が、吹いていると実況中継のレポーターが、云っていたが、ふと、ガラス越しに、外を眺めると、大きなコナラの古木の先端が、左右に、その枝先を、ユッサユッサと揺らしている。確かに、すごい風のようである。炬燵に寝転びながら、青空を見上げると、白い雲が、まるで、孫悟空の金斗雲が、空を横切るように、すごい勢いで、飛んで行く。家の中からでも、相当、早いと確認出来るのであるから、この高さと距離から、数学的に、計算でもしたら、そのスピードは、大変なものであろうことは、想像に難くない。夏、ベランダで、読書しながら、ゆっくりと流れる雲をみていることは、とても、愉しいことであるが、冬、炬燵に入りながら、枯れ葉が、完全に落ちてしまって、その開けた空間から眺める空の雲も、又、実に良いものである。冬の雲の流れの方が、夏よりも、圧倒的に、早いようである。眺めているうちに、温々と、暖かいので、ウトウトし始める。この寝そうでいて、寝てないようなその端境期が、又、正月休みの時には、何とも、堪らない。流石に、朝から、迎え酒という訳にはゆかないが、、、、、、、、、。たまには、星や月や雲を眺めたり、風を感じたりするのも、一興ではなかろうか?



トースターに見えるもの:

2013年01月13日 | 社会戯評
トースターに見えるもの:
我が家のトースターの一台は、既に、20年以上、故障もなく、しっかりと、働いているが、もう一台は、残念乍ら、タイマーが、故障したままである。何とか、直したいと思い、上から、下から、横から、ねじ穴を探そうとしたが、全く見当たらない。正月の広告を見ていると、何と、特売で、1000円代ではないか?それにしても、タイマー以外の機能は、全く、不具合はない。キッチン用のタイマーを使用して、いつも、パンを焼く時間をセットしては、ピピピッとなると、取り出す手作業、マニュアルである。たまに、焦がすが、、、、、。特に、これで、不自由という訳ではないが、ストレスなのは、むしろ、「修理できない、そのこと自体」である。しかも、自分で、やろうにも、やれないというもどかしさ、時間は充分ある。やる気もある。但し、皆目、修理の方法が分からないのである。しかし、直し方さえ、教えて貰えれば、修理可能であろうが、、、、、、現実は、そうはゆかないのである。時代は、既に、そういう消費者を置き去りにして、ものづくりが、体系化されているのである。説明書というものには、基本的に、修理などは、前提に書かれていないのである。もうとうの昔に、耐用年数・減価償却(?)は終了しているのだから、新型を、しかも、当時よりも、デフレで、もっと安く買えるのだから、買替えた方がベターであるとでも謂わんばかりに、これでもか、これでもかと、家電の広告は、圧力を増してくる。この内なる闘いは、もはや、神経戦的な消耗戦に近いものである。頑固者のモノを大事にするモッタイナイ派の消費者、今や、稀少価値の絶滅寸前危惧種の消費者と、これに対峙するところのメーカー側の使い捨てコンセプトの永遠の闘いであろうか?もはや、こうなると、カネの問題ではなくなる。意地なのか?いや、大義なのだろうか?何の大義か?創られたトースターの声なき声の大義の為なのか?食品みたいに、総平均原価を下げるために、ストックを持つというわけにもゆかず、キッチン・タイマーを活用するという選択肢しか残されていないのだろう。すすけて黒光りした故障していない片一方のトースターには、黒い文字で、「ナショナル」の文字が、燦然と輝いているのは、何とも、皮肉である。もっとも、リコールで、未だに、何年も経過しても、一つ残らず、回収するまで、探し続けなければならないのも、プロダクト・ライアビリティー(PL)の観点からすれば、大変なコストが掛かっているのも事実であり、何とも皮肉な矛盾する展開であろうとも思われるが、、、、、。




雪国の寒さを思う:

2013年01月12日 | 社会戯評
雪国の寒さを思う:
宮古島に、移住した友人によれば、12月の師走時でも、気温が20度以上あったりして、暖かであるそうである。昔、ロス・アンジェルスに住んでいたときに、冬場、出張で、シアトルに行ったときに、冷たい空気に、頬を打たれたときに、やっぱり、冬は、寒くなければ、人間、シャキッとしないモノだなあと、変に、感心したものである。もっとも、香港に住んでいた友人は、冬場、NYへ、出張したときには、零下10度で、温度差30度以上で、体調がおかしくなりそうだったと、云っていたことを想い起こす。やはり、冬は、寒いのが良さそうであるが、それにしても、里山の朝は、寒い。外気温が、散歩するときには、-4℃である。流石に、我が老犬も寒かろう、コートを羽織っているから、良さそうである蛾、脚は、随分と冷たい。残雪が、残る道を、散歩した人と犬の脚跡を追いながら、トボトボトといつものように、歩いて行く。毎日、これが、雪だったら、玄関、階段、車の周辺の雪かきを行なわなければならず、屋根の雪下ろしもしなければ外にも、でられないとなると、これは、一大事である。何故、これだけ、科学が発達しているのに、屋根の雪かきや、道路の除雪や融雪に関する技術が、生まれてこないのであろうか?たまにしかやらないから、雪かきも面白いが、これが、命に関わるようになると、面白いとか、言ってはいられない。まだ、新雪の粉雪の除雪は、容易であるものの、これが、毎日、湿った雪で、尚且つ、毎日が、どんより曇った雪雲に覆われていたら、心身共に、ずっしりと、重く感じられることになろう。雪国の人が、粘り強く、我慢強いのが、寒さの中で、改めて、感じられる。今晩から、明日の朝に掛けて、雪模様の予想である。



厳冬のシジュウカラ:

2013年01月11日 | 動物・ペット
厳冬のシジュウカラ:
野生の小鳥にとって、冬の里山では、餌をどのようにとって生き抜いてゆくのであろうか?とりわけ、雪の積もった翌朝などは、餌も雪に埋もれて、探し出すのは、大変困難であろう。ベランダの餌台にふと眼をやると、その先に、緑色した繭が、クヌギの茶色の葉先に、くっついている。すると、シジュウカラが、一羽、何やら、一生懸命に、一心不乱に、その繭玉をこじ開けようとでもしているのか、嘴で、突っついている。既に、少々、外側の繭玉の糸が、何本か、ほつれ出ている。繭玉の中にいるであろう虫でも、冬のタンパク源として、食べようとでもしているのだろうか?そう言えば、時々、繭玉に穴が空いたまま、そのまま、葉先に残っているのを見つけることがあるが、毛虫の方も、うまく、羽化するモノもあれば、こうして、鳥の餌になってしまうものもあるのであろうか。なかなか、自然界は、厳しいものである。都会に住んでいるシジュウカラは、その点、小諸の里山に暮らす野鳥に較べると、ずっと、気候も暖かで、餌に恵まれているかも知れない。もっとも、その反面、車やカラスなどの予期せぬ敵との闘いが、待ち受けているのであろうが、、、、、、、。どちらが、良いのであろうか?シジュウカラに、一度、尋ねてみたいものである。シャッター・チャンスと思い、デジカメを取りに、一寸動いたら、気配を察知してか、サッと、飛び去られてしまった。(残念)




ベトナムの子供を支え続けた日本人女性が、ついに、初対面の記事に思う:

2013年01月10日 | 社会戯評
ベトナムの子供を支え続けた日本人女性が、ついに、初対面の記事に思う:
貧しいベトナムの小さな子供達を、20年以上の長きに亘って、支え続けてきた日本人の女性が、その幼き日々の将来への希望であった医師になり、来日を果たして、ベトナム人の被支援者の青年と、初めて、対面したと言う記事を読んだ。そう言えば、亡き父も、戦争中、従軍したインドネシアのボルネオ島で、小さな少年を可愛がり、そんな経験からか、退職後には、月々、某かのお金を送金して、金銭的に恵まれないインドネシアの子供を支援するプログラムに参加していたのを想いだした。定期的に、ボランティアの手により、父からの手紙が、現地語に、翻訳されて送附され、見返りに、現地からの子供による手紙が、日本語に翻訳されて、写真と共に、父の手許に、送られてきて、その成長を確認する仕組みになっていた。もう、その少年も、恐らく、現在では、もう、50歳以上になっていることであろう。私の友人で、ベトナムの少数民族出身の看護師志望の学生に、日本から奨学金を送る支援活動をしているご夫妻がいるが、4年に、一度、音楽会のコンサートを開いて、募金を募っているが、前回は、小学校のクラス会メンバーや、在日ベトナム人留学生などにお願いして、協力・支援してもらった。又、牧師をやっている友人は、タイやフィリピンで、農業指導のプログラムを、キリスト教の団体として、現在も支援活動に携わっている。様々な形で、自分の出来る範囲で、支援活動に、金銭的にも、物質的にも、労働奉仕でも、精神的支援でも、何でも良いが、そういう活動に、会社での仕事以外で、関われる機会が、小さくても、もっと、もっと、日本人には、欲しいものである。それにしても、鮪の初競りの値段が、1億5千万円もつけられるとは、いくら、飽食の時代の宣伝代込みや天候不順の為とはいえ、如何なものであろうかと思うのは、私一人だけであろうか?樹を植えるのも良し、文具を贈るも良し、小学校を作るのも良し、小さな草の根の社会的な貢献をする方法は、いくらでもありそうである。但し、善意を悪用する詐欺には、気をつけないと、念の為、老婆心ながら、、、、、。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/worldnews/620266/
http://www.worldvision.jp/


万引きは、病気なのか?:

2013年01月09日 | 社会戯評
万引きは、病気なのか?:
最近では、発達障害も、アルコール依存症も、薬物依存症も、ギャンブル依存症も、摂食障害も、或いは、新しい型の鬱病も、何もかもが、病気であると診断されてしまうようである。米国精神医学会の診断基準では、今や、万引きすらも、「クレプトマニア」(盗癖)とされてしまうそうである。即ち、他のどこにも分類できないような「衝動制御の障害」だそうである。日本でも、とりわけ、万引きは、これまでの面白半分での少年犯罪から、今や、分別のある(?)大人や高齢者や医者・教師・警察官までもが、生活に困窮した結果、万引きするのではなくて、経済的に買う余裕があるにも関わらず、捕まる危険とリスクに見合うことのない少額商品の万引きを、常習的に、行なう「大人の犯罪」と化してしまったそうである。又、極度の日常的な強いストレスの影響や精神的な圧力から、常習的な万引き癖から、抜けられなくなるとも、分析されているそうであるが、、、、、、、。そして、刑罰よりも、治療にもっと注目すべきであると云う議論が高まっているそうである。それにしても、今や、倫理とか、規範とか、修徳とか、スポ根や武道の精神までも、再興せよとは謂わないまでも、人間の有する自発的な精神鍛錬の自主性そのものまでも否定するような「脳生理学的な」議論には、やはり、疑問を呈せざるを得ないだろう。むろん、有効な治療で、完全に治癒できるのであれば、それをしない手はないが、何とも、複雑な思いがする。マックス・ウェーバーではないが、キャピタリズムの精神主義的な倫理観、神が天上からいつでも観ているという倫理主義的な観点や、孔・孟・老を初めとする古来からの賢人達が、競って編み出したところの四徳・五常「仁・礼・義・智・信」・五倫、等、或いは武士道とは謂わぬが、こうした「心の衝動制御システム」は、一体、どこへ、消えてしまったのであろうか?合理的、且つ現代的な科学主義に基づく解釈とも対立するとも思えないが、、、、、、、。まるで制御不能の原子力エネルギーのようなものなのであろうか?もっとも、甘いものが、止められずに、糖尿病予備軍と化してしまったり、「食べてはいけないリスト」を作っても、いつしか、食べてしまったり、いつもダイエットに失敗したりというようなことは、やはり、「衝動制御不能障害」という病気の一種なのであろうか、、、、、、、、、。これではまるで、性犯罪再犯常習者への性欲抑制のための注射療法ではないが、近い将来、万引き防止の薬物療法なるものが、開発されることになるかも知れない。(苦笑) 私のような「せんべい中毒者」は、一日一善・一枚を、どのように、制御したらよいか、思案中である。衝動喰いとの内なる静かな闘いは、私の中で、現在進行中である。考えさせられてしまった。



冬の北アルプスを臨む:

2013年01月08日 | 自然・植物・昆虫
冬の北アルプスを臨む:
飯綱山山頂にある小諸美術館の駐車場脇から、富士見城趾へと向かう散歩道は、365度全方向が、開けていて、全く、冬の絶景スポットである。冬の晴れた日には、その名前の通り、遠く、遙かに、富士山の頭が、チョコンと見える。これなら、やったことはないが、元旦の初日の出のご来光も拝めるかも知れない。北側の浅間山は、真っ白に、冠雪していて、眼前に迫り来るように見えるし、眼下には、上信越高速道路が、きれいなカーブを描いて、トンネルへと続いている。南側には、遙かに、台地を思わせるようななだらかな八ヶ岳や赤岳が、眺望でき、富士山の姿に似た蓼科山も、確認出来る。西の方に目をやると、いつもは、遙か遠くにある北アルプスの嶺々が真っ白な山稜とともに、くっきりと、眺望できる。ひときわ、三角形の鋭く尖った先端は、剱岳のようである。あんなに尖ったてっぺんを、しかも、真冬の大雪の中をよく登山するものである。測量のために登った映画、剱岳を想い出す。この山頂には、小諸紅垂れ桜の樹が、植樹されていて、花見にも、うってつけの場所かも知れない。それにしても、青空を仰ぎ見るのは、気持ちがよい!真っ青なブルーのキャンバスに、白い雲が、まるで、自然に、刷毛ででも描いたように、アクセントを添える。カモシカの彫刻が施された樹の杭の上空に、龍とも蛇とも思われるような白い雲が、浮かんでいた。山並みだけではなくて、空と雲を主役にして、思わず、シャッターを押してしまった。海も良いけれど、このうっすらと霞んだ幾重にも連なる山並と、大空の青さと白い雲とのコントラストは、何か、心にわだかまっているモノを払拭してくれる力が、どうやら、自然には、ありそうである。まるで、ナチュラル・ヒーリング・パワーである。しばらく、この雄大な景色を眺めていると、自然治癒力というか、精神バランスの免疫性を回復してくれるようなそんな感じがしてくる。毎日、都会の人工建造物や構造物の景色ばかり観ていたら、次第に、麻痺してきて、精神に何か、異常をきたすのも分からなくはない。夏では、なかなか、北アルプスまでは、観られるものではないので、冬ならではの贅沢な眺望であろう。是非、一度は、観られることを、美術館共々、お勧めしたい、そんなスポットである。素人写真を添えておくことにしよう。



浜矩子著、「新・国富論」を読む:

2013年01月07日 | 書評・絵本
浜矩子著、「新・国富論」を読む:
経済学説というものは、その時代が色濃く反映されたものであり、その時代背景を十分認識していないと、確かに、理解出来ないし、その価値の今日的な再認識なり、応用は、出来ないものであろう。何故、アダム・スミスなのであろうか?今日、ヒト・モノ・カネ(順番に注意!)が、簡単に、国境を越えて移動するグローバル経済では、カネが、ヒト、モノを引っ張り回し、企業が成長しても、必ずしも、人々はしあわせになるとは限らない。今や、国民国家も機能不全に陥っている。そもそも、国富論のタイトルは、An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations 「諸国民の富の性質と原因についての研究」であって、国民国家なくして、その経済学の誕生は、なされなかった。因みに、刊行された年には、アメリカ合衆国が、イギリスから独立するという時代背景があったことも見逃せない事実である。諸国民の富であって、諸国家の富ではない。それでは、「諸国民の富」の概念とは、一体何なのだろうか?国民国家とは、何なのであろうか?それは、国富という概念自体が、一国で、一定の自己完結性をもって初めて確立していることを前提としているのであれば、今日のこのグローバル社会とは、どのように、違うのであろうか?今日のグローバル社会とは、即ち、グローバル・サプライ・チェーンという巨大な構図そのものであると言い換えても過言ではない。モノづくりのためのヒトの役割分担は、今や、その中に、組み込まれていて、カネは、ヒトによるモノづくりの世界と袂を分かち、自分勝手に、一人歩きし始めてしまったと、アダム・スミスが、厳しく戒めた当時の重商主義者と今日の泥棒貴族達(ポール・クルーグマン教授が、こう表現しているが)とが、重なって見えてくるが、、、、、。労働価値説や見えざる手は今日、どのように理解したら良いのであろうか?
本書とともに、旅をすることにする。
グローバル長屋を、地球という長屋に例えて、ヨーロッパ長屋、アメリカ長屋等と呼称して話を現状分析しながら進めてゆく。但し、このグローバル長屋には、嘗てのパックス・アメリカーナや、ブリタニカのように、確固たる大屋が今や、不在で在り、皆んな店子ばかりであると。火消し役の欧州中央銀行もFRBも、本来の火消し役のはずが、火種を消すのではなくて、飲み込みながら、超えてはならない一線を、今や、超えつつ在り、不良債権を手許に抱え込み、本来、民間企業が、潰れるべき所を、国毎、倒産の危機に、陥りかねず、財政の壁から、更には、財政の崖へと、事態は、悪化の一途を辿りつつあるのが、現状であると。市場の失敗を補うのが、財政の主たる役目であるが、アメリカ長屋もニッポン長屋も、悩みは同じであり金利が、事実上、ゼロの近い所に押さえ込まれれば、体温計は、体温計の役目を果たさなくなりつつあると。次々と、財政出動しても、容易に、カネが、国境を越えるグローバル時代だから、高収益を求めて、どんどん国外に流出してしまい、金融緩和してもカネは国内には廻らないことになると、中央銀行が、事実上の国債買取機関化してしまい、財政から、規律というものがなくなり、独立性が失われつつある結果に陥ると、更には、LIBOの不正操作の件を引き合いにだしながら、究極の自主規制的な国際的な金融ガバナンスが、傷つけられ、人の褌で、相撲を取るところのウィンブルドン化現象が、とりわけ、金融ビッグバン以後に、顕在化してきたと。
(ヒト・モノ・カネ)の順ではなくて、今や、まず、カネが国境をいとも簡単に、何の未練もなく、超える以上、(カネ・モノ・ヒト)の順番に変質しつつあるようである。要するに、世界的な標準規格というグローバル化と称する流れは、おおいに、カネ先行で進行し、通商というテーマが廃れて、通貨が、全面に、押し出されてきた訳である。更に、それが、IT化の波と共に、ミセス・日本人妻という名前の一億総デイトレーダー化というFX等の為替取引とも相俟って、カネは、実体経済のモノからかけ離れたところで、一人歩きを始める訳である。そして、それに一番キリキリ舞いさせられるのが、実は、国民国家なのであると。それが、如実に色濃く反映させたものが、90年代のアメリカン・スタンダード(世界標準)であり、ゴールディロックス・エコノミーとその後のリーマン・ショックを経て、果てしなき安売り合戦や格差や貧困などの今日的な課題へと、導かれるのである。一時期、想い出せば、マスコミは、こぞって、「ストックから、フローへ」、或いは、「貯蓄から投資へ」(実際には、銀行預金=貯蓄で、証券、株や債券の購入=投資・投機へという大いなる誤解)と、掛け声も、勇ましく、まるで、開戦前夜の戦争待望論を鼓舞するかの如き様相であったことを想い起こす。カジノ金融へと変質してしまった。
筆者が、総括するように、確かに、
1. グローバル時代は、必ずしも、グローバル・スタンダードの時代ではない。
2. グローバル化とは、均一化ではなく、多様性である。
3. グローバル化は、巨大化ではなく、極小化である。
4. グローバル時代は、国民国家の危機である。
5. 地球時代は、逆に、地域の時代に他ならない。
そんな観点で、今日的な欧州EU危機や、超メタボ・キリギリスであるアメリカの財政の崖や、老青年のアリさん国家である日本のアベノミックス、天才子役の中国経済のハード・ランディング問題などを別の角度から、眺めるのもどうやら、価値がありそうである。よく考えてみれば、中国の富裕層と貧困の問題も、別の形で、日本にも程度の差はあれども、実際に、存在するし、アメリカにも、(we are the 99%)という反Wall Streetデモでもみられるような豊かさの中に併存する貧困問題の底流があるのは、事実である。新たなバランスというものは、如何にしたら、可能なのであろうか?
 再び、筆者は、アダム・スミスが異を唱えた当時の重商主義・労働価値説を考察する。商品の価値は、その生産にどれ程の労働が投下されたかによって、決まると、だとすれば、当時は、カネ=金貨をより多く獲得出来た人間が勝利者である以上、売る物の量が多ければ多いほど、代金が入手可能であるから、自ずと、保護主義(見えざる手に対するところの見える手である:権力)、植民地貿易の独占権という覇権争いの戦いに陥ることになる。これまで、人類は、三回のグローバル時代を経験しているが、国富論の時代は、第一次の大航海時代ではなくて、第二次の産業革命(蒸気機関と機械化)の18世紀から19世紀の初期の時代であり、我々は、今日、IT主役の第三次グローバル化時代である。これらに共通するものは、何なのであろうか?それは、著者によれば、「労働・市場・通貨」の三点セット:分業の利益であると、今日のスマホの分業生産の例を挙げつつ、説明してゆくことになる。分業の効率を確立化した上で、市場概念を導入し、これらが、結びつくことにより、一段の分業の高度化と生産性の向上に繋がる。市場は、広ければ広いほど、自由であれば自由であるほど、ベターであり、何人も何物も作意や恣意や裁量を施さないのに、社会の利益が促進され、国富は、極大化することになる。ところが、こうした見えざる手による結果的には最善のところに物事が落ちついて行く筈の「合成の勝利」は、実は、「合成の誤謬」という現象を招来してしまうと著者は云う。つまり、誰しもが、個別的にみれば、正しい選択をしているのに、正しい解答を誰もが選択する結果、全体としては、極めて不合理で不正解な結果に至ってしまうと。今日では、自己完結的な一国主義化ではなくて、グローバル・サプライ・チェーンという名前の究極の国際分業体制なのであり、交換動機こそが、国際分業を生み出す本源的な原動力であると。「見えざる手」への盲目的なお任せ主義ではなく、或いは、弱肉強食的な市場礼賛・原理主義でもなく、又、市場が、無謬性を有していることを主張しているのではなくて、むしろ、アダム・スミスは、分業に発達に伴う「人間の知性の退化」について、警告を発しているのではないかと、著者は、推論する。未開社会の思わぬ利点にも言及しながら、「選択と集中」ばかり、流行ったり、視野狭窄と大局観の欠如が、やたらはびこり、究極の国際分業の果てに透けて見えてくる低水準労働による極限的な人間疎外の問題の中で、何をすべきなのか、何が出来るのか、そして、何が出来なくなってしまったのかを、再度、「国富論」を読み解くことによって、考え直すことは、意義深いことであろうと。その意味で、「知性の退化」という問題提起は、現在のほとんど麻痺した我々の感性にとっては、大変、痛い言葉のように感じられるが、、、、、、、、。
 タイの大洪水や東日本大震災を通じて初めて垣間見えたグローバル市場のサプライ・チェーンの危うさは、これまでの一国市場主義や、所謂「国際競争力」や「○○立国」という言葉を、今や、何処かへ、置き去りにしてしまったのである。収益性と継続性を追求することこそが、企業の本質である以上、「公共の利益」を促進するということは、可能なのであろうか?第三次グローバル化時代は、「全体最適」は、「部分最適」を必ずしも保障する訳ではないし、明らかに、今や、そうではないことは、誰の眼にも、明らかである。国際分業が究極化し、自国の雇用が減少し、技術は流出し、風化して、地域経済は疲弊してしまい、空洞化と潜在的な金融リスクは、金融工学的な手法の下で、拡大し、通貨価値が上がるにも関わらず、その逆の成果に陥るという「解体の誤謬」という「全体は天国、個別は地獄」という大不正解な現象が、生じているのが、現実であると。国破れて、山河ありではなくて、今や、国破れて、或いは、企業敗れて、何もなしという状況に陥ってしまう。
 アップルのiPhoneやiPadを例に挙げつつ、羊羹チャートで、「その財の生産地と製造元企業の国籍が必ずしも一致しない」という現実を、複雑な第三次グローバル化時代の複雑なサプライ・チェーンの構造を、具体的に、詳細且つ、立体的に、解説する。
想い起こせば、生まれた年には、為替レートは、365円だったが、社会人になる頃には、308円、この間、金本位制の崩壊、国際基軸通貨であるドルの崩壊による管理通貨制に、オイル・ショック等、250円から、100円へ、更には、80円へ、そして、金融リスク・ヘッジの極小化の為に編み出されたはずの金融工学的な手法が、逆に、リターン極大化の為に、形を変えて、逆襲し始めて、為替デリバティブやら、FX取引(外国為替証拠金取引)や超円高、サブプライム・ローンによる不良債権の問題や、更には、超低金利、ゼロ金利政策による量的緩和金融政策までを招来してしまった。
 どうやら、どこのグローバル長屋も不甲斐なく、肝心のG8やG20という管理組合さんも、出来の悪い魔法使い同様、全く、当てにならず、もっぱら、経済成長優先のお題目を唱えながら、財政再建にこだわる処の話ではなさそうである。財政面でも金融面でも政策が窮地に陥り、次の一手が、期待されているが、具体的な効果が現れるような舵取りが、この著作の中でも、残念乍ら、示されていない。スミスの時代に考証された「労働価値説」も、今日では、クルーグマン教授が呼称した泥棒男爵やカジノ金融界の傲慢不遜なディーラー達の不当な高額所得に較べると、非正規雇用採用労働者の労働価値は、一体、如何ほどの違いがあるというのであろうか?今日的な労働価値説とは、このグローバル・サプライ・チェーンの真っ只中で、どういう意味合いを有するのであろうか?どうやら、我々は、知性の退化という現実の中で、形を変えて生き続ける見えざる手を見透かすだけの知性を身につけない限り、いつまでたっても、本質をみることが出来ないであろう。アダム・スミスやマルクスが生きていた時代やケインズが提唱した経済学も、今や、余りに、可動変数の増大化と多層化・複雑化が、国境を越えて進行した結果、因果関係の連鎖が、見極められなくなり、一長屋の利益が、他の長屋の足枷にもなり得る今日、どのように、地球規模での長屋の共通利益を、考えたら良いのであろうか?それとも、一国市場主義の自己完結的な保護主義的なブロック経済へと再び、舞い戻らざるを得ないのであろうか?そうした観点から、竹島や尖閣や、TPP議論を眺めることは、決して、意味のないことではなさそうである。
ケインジアンが前提としていたところの国民国家の政策機能も、今や、機能不全に陥りつつある以上、国民国家の経済運営、そのもの自体が、国民国家の存在を脅かしていると云えなくはない。それは、丁度、EUと個別加盟国との今日的な問題とも、何故か、不思議と重なり合わされる。
 著者は、最終章で、個別にリスト・アップされてきた42個に及ぶキーワードを基にして、ジグソー・パズルのピースを選り分け、組み合わせる作業に入ってゆくのである。ヒトの箱、モノの箱、カネの箱、クニの箱、そして、ワクの箱へと、、、、、、、、。ヒト・モノ・カネが、国境を越えることが、クニの自己完結性とその政策の効力を脅かしている以上、ワクを、改めて、考察し直す必要があると、著者は、展望する。そして、更に、その箱毎に、仕切りで区分を入れながら、小箱を並べ替えながら、ネーミングしてゆくことになる。どうやら、その形が、おぼろげながら、全体像が見えてきたようである。それは、要するに、どうやら、ドーナッツ状の(ヒト・モノ・カネ・クニの四つのアメーバー)が、連なる輪のようなもので、その穴が、どうも、(ワク)のブロックのようである。ワクの形は、これらの四つのアメーバー・ブロックの形によって、決定されるようで、逆に、その形が変化すれば、自ずと、ワクの形も可変すると、、、、、、、、、。本来、ワクというモノは、外側にあるから、枠であって、その中の世界の姿を規定するものである。そして、それが、枠の枠たる所以であるはずであるにも関わらず、今日の世界では、どうも、そうではないように思えてならないと著者は云う。このパズルは、動くパズルで、常に、連続的な目まぐるしく形を変えつつ浮遊するアメーバー・ドーナッツのようなものであると、、、、、、。
 どうやら、旅の行く末が、見えてきたようである。高度な社会的な分業は、実は、分かち合いそれぞれに得意分野毎に特化して、分割担当することで、効率を上げ、成果を高める支え合い、分かち合うことのようである。寄せ木細工的な生産体系が、グローバル・サプライ・チェーンの本質であるようだ。これまでの古典的な分業を基にした貿易理論や、二国二財モデル、比較優位理論では、今や、時代適合性を欠いていることは、間違いなさそうである。想えば、65年の構造不況も、その後の複合不況という名称も、景気循環を待ちつつ、どこかに、先進国の仲間入りをする上での構造的に通らなければならないひとつの日本と言うクニの枠内で議論されていたのかも知れない。結局の所、所得税が、或いは、法人税が安く、相続税もないクニへ、資産が最も効率的に運用できる場所へ、ヒト・モノ・カネが、いとも簡単に、国境を越えて、どんどん、吸収されていってしまい、富を求めて、国境を越えられない者達だけが、その内側に残されてしまうのか?こうなると、もはや、「国富論」ではなくて、皮肉にも、「国負論」状態になってしまう。著者は、最終的には、金融に如何にしてマトモさを呼び戻したらよいのか、金融の在り方を再現させるのには。動物園でもジャングルでもなく、むしろ、サファリパーク方式の体制が向いているのではないかと方向付け、そこに、ヒトの知恵と良識に、依存せざるを得ないとする。そして、最終的には、ヒトの価値に、労働価値に、舞い戻る。しかしながら、今日、国境を越えてどんどん、低レベルでフラット化してゆき、低位横並びであるとも云う。確かに、アダム・スミスは、「諸国民の富」と言っているのであって、決して、「諸国家の富」とか、「自国民」、「自国」とは言っていないのである。飽くまでも、「諸国民」なのである。「富」とは、国家に帰属するのではなくて、国民に帰属するモノなのである。そのことこそが、本のタイトルに潜む、今日的な課題なのかも知れない。鄧小平が、生きていたら、習金平にどう言うであろうか?複雑な今日的なパズルの隠しピースは、どのようにはめられたら良いのであろうか?「見えざる手」は、権力による「見える手」ではなくて、「差し伸べる手」、やさしさのある、勇気ある手、知恵のある手であると、著者は云うが、、、、、、、、、。そして、今日の「新・重商主義」に対抗すべき基軸は、グローバル市民が、依って立つところの「地域共同体」であると云う。どうも、旅の最期は、何か、いつものように、学者先生に煙に巻かれたような結論であり、何か抽象的なユートピア的手法のような感がなくはない。現状分析には、成る程、ある程度は、役立つものの、今日的な課題を解決する処方箋を、この本の中に、期待することは、やや、難しいことであるかも知れない。まさに、著者が云う如く、我々は、未だ、「動くパズル」の中で、もがき、あがいているだけで、確たる処方箋が、示されているとは、どうやら、云えないのではないかと、思われてならない。余り、具体的な処方箋を期待しすぎると、読み終わった後に、若干、ガッカリするかも知れない。