昨日、在京の大学時代の先輩から手紙と資料が送られてきました。A4サイズの封筒には、先月開催された“70工学院同窓会”の写真入り手作りニュースが同封されていました。私も出席する予定でしたが、勤医協苫小牧病院開院30周年記念祝賀会と重なったために参加出来ませんでした。写真で先輩たちの顔を見ながら、「・・・皆さん渡辺さんに会いたがっていましたよ。今度会えることを楽しみに・・・」といつも後輩を気遣う先輩の気持ちが伝わり、感謝、感謝で一杯です。(今度というのはいつ?になるかは判りませんが、必ず出席するぞ!)
“70工学院同窓会”は、1970年前後の工学院大学2部(夜間)に通いながら自治会など学生運動を共に過ごした先輩、後輩の有志の会。昼は働き、夜は学び、そして授業が終わると学生運動(学費値上げ反対運動など)の日々でした。先輩たちのなかには5年生・6年生が常識という世界。「・・・自治会活動に参加すると留年は当然の宿命」とまで言われた時代でしたが、年間収入の1/3が授業料だっただけに、「何としても4年間で卒業しなければ!」と苦手な専門書を読みながら、何とか4年間で卒業することが出来ました。入学時134人いた同級生のうち、仕事が忙しく通学が困難な仲間、授業料が払えなくてやめていく仲間。そんな学生生活で4年生に進級できたのは19人。そのうち私だけが2単位不足の条件付きでした。1年生の時の“図学”(2単位)がどうしてもとれなくて4年間でようやくOKに!勤務先の仕事関係で国会図書館や特許庁などに資料探しで通いながら“卒論”書きが出来たのは助かりました。
私が入学したのが1971年4月でしたから40年前のこと。エンジニァを目指して電気工学を選択したものの同級生のほとんどが工業高校の電気科を卒業した面々。仕事を覚えるのも大変でしたが、それよりも学科の単位を取るのは四苦八苦でした。そうした苦労が、(調査活動など)議員活動のなかで生かされていると思います。高校時代も含め、いつも私の周りには頼りになる先輩がいて、見守ってくれました。先輩からの手紙を読みながら、夢中で学生運動に参加していた40年前を思い出しました。