いったい、織と編みはどちらが先だったのかと思った事がありました。
遺跡の出土品にこんなものがあったと、本に載っていました。
イラクサやアカソ、楮(こうぞ)や藤の皮をはいで繊維にしたそうです。
イラクサです。
アカソです。
苧麻(ちょま、からむし)の皮です。
茎のことを軽(から)といい、茎の皮をはいで蒸したので、植物の名がカラムシになったそうです。
楮(こうぞ)です。
葛です。
大麻です。
麻糸つむぎが上手だった慶応生まれの曾祖母の元に、町から業者がたびたび訪ねて来ていたと祖母が話してくれました。
これは曾祖母の残したものです。
歴史的には綿より絹が先だそうです。
絹を紡いだ蚕の繭です。
山で見かける山繭と比較です。
私が子供のころ、母が婦人会で講習を受けたのか農閑期に絣を織っていました。
大工さんに作ってもらった織機。付随する筬など諸々の道具が揃っていました。
畑で綿を栽培して糸にして、自らデザインした絣。
池で腐らせて乾燥した植物繊維で防染して紺屋に依頼します。
綿です。
綿には種が入っています。
綿を「綿繰り機」に挟んでハンドルを回すと、綿が向こうへ押し出されると同時に種が手前に落ちます。
綿を挟んでハンドルを回すと、種が押し出されてポロポロ落ちます。
当時は潤滑油に鯨の油を塗っていました。キーコキーコと音がしました。
祖母が母を手伝って、嫁姑が仲良く冬を過ごしました。
綿は糸車で糸にします。
綿畑はダムの底に沈み、高度経済成長期、とっくにやめていた機織りでした。
祖父母も両親も逝った後、たった一つ土蔵に残るこの糸車を遺品としてもらいました。
ハンドル部分がこんなのがあるとしりました。借りてきて写真撮らせていただきました。
腕を大きく回すのは疲れるでしょう。
こちらは外輪は大きく、ハンドルは手元で小さく回し効率が良い。
そして作られた縦糸です。一本づつ広げて筬(おさ)に通し反物の形に並べます
実際は反物の長さ13mです。懐かしさで古物として入手しました。
これにデザインした種糸を一本添わせ、墨印の部分を防染し、機にかける前に種糸を抜きます。
小学生のころ、糸を筬(おさ)に通していく作業の手伝いをしました。
雪明りの縁側でかじかむ手で糸を一本づつ、一本でも順番が間違っていると母がその場所までガサッと全部抜いてしまい、また後戻りでした。
茎の皮を細く裂いてつなぎ縒り合わせて糸にすることを「績む(うむ)」と言う。
綿や繭から繊維を引き出し糸を縒ることを「紡ぐ(つむぐ)」と言う。
紡績という言葉が生まれました。
綿の種を入手したので懐かしく、花壇に蒔いてみました。
つぼみです。
開花。
酔芙蓉のように紅くなります。
そして、
綿畑には一度も行ったことがありませんでしたが、最近になって知りました。
母が栽培していたのは伯耆綿だったようです。
弓ヶ浜絣は今でも故郷で作られています。
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