お雛様は2月の「雨水」の日に飾り始めます。
だいたい毎年2月20日前後で、今年は昨日19日でした。
成人した子供の雛人形は、神社に挙げてお祓いして処分されるのが私の生家の村の風習でした。
お祝いは何代も前の親戚からも贈られました。
この紙の掛け軸は私の初節句に頂いたもので、裏に書かれた名前から古い親類で、集落の中にありました。
処分を免れていたのを、無人となった生家の土蔵で発見しました。
近年は雛道具にタンスや針箱など飾ってるのを見ます。
タンスや針箱は江戸末期から明治時代になってからの物です。
高貴なお方が、ご自分で仕立物をなさることがあるとは思われません。
そのくせ牛車があったり、近年の雛道具はちゃんちゃらおかしい。
この掛け軸にはその様な道具は一切書かれていません。
御簾、階など屋根の付いた御殿の中に親王、内親王がいらっしゃる御殿飾りを、宮入と言っていました。
鴨居から取り付けた7段飾りには、雛飾りの他に、親戚中から初節句を祝って贈られた土人形やだるま、押絵に台を付けた人形、フランス人形など大賑わいでした。
松江でお生まれになった天神様、出生地に神社があります。
隣の伯耆の国の私の生家では男児の場合、ひな祭りに天神さんの祝いがこれもまた何代も前からの親戚中から来ます。
これは弟の物で、曾祖母の実家から贈られています。
弟の家の床の間に牛にまたがる天神様の墨一色の掛け軸がかけてありましした。
やはり土蔵で見つけて持って帰ったこと弟に伝えていませんが、要ると言ったら返そうと思っています。
御殿飾りの場合、親王、内親王の夫婦飾りは女児用で、御殿にお一人なのは天神様で男児用と決まっていました。
親王様と天神様の頭や刀を差し替えて遊びました。
男児には5月の端午の初節句の飾り物は母の里から届きました。
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